【▼ぐりぐらメモ/2025年2月2日】
月曜日、祝日の休診や打撲の痛み残りから、間が開いてしまった母の通院。かかりつけの内科の受診が思っていたよりも早く終わったので、その足で、皮フ科へも。帰りに外食して、よいかんじだったのだけど、帰ってきたら、母が玄関で歩けなくなってしまった。今週は、そんなかんじで動けなくなることが多かった。訪問リハビリのときは、結構、いけてたので、怖さから(文字どおり)腰が引けているのだと思いたいのだけれど。怖さをなくすことができれば、と思いたいけれど。いつかは、そう先のことでもなく、いろいろむずかしくなるのはわかっているのだけれど。
母の起き抜けの夢モードは、船上、高●屋の5階(にあるという介護施設)、軽井沢の別荘。高●屋の5階は、いま行っているところから別のところに移らされるかもしれないという不安からかもしれない。そんなことないよーと答えていたのだけど。
夢と言えば、起きたら忘れるのだけど、めずらしく覚えていることが続いた。むかし住んでいた団地に似たところで、部屋の模様替えをしている夢。自転車で遠出して、知らない建物に寄ったら、ウェブ上で少しやりとりしていたひとが入院している病院だったという夢。あとひとつ、ほとんど覚えていないけれど、コンプライアンス云々と前置きするひとたちへの反感を口にする夢。
コンプライアンス云々と前置きするひとたちへの反感を口にする夢は、タレントによる社員への性加害をめぐるタレント本人とテレビ局の対応がひきがねになっているのだろうと思うけど、以前から、小さい子が周囲を気にせずに遊びまわっていることに対して、親(等)が「ほら、おじちゃんに怒られるよ」と注意するのと同じだ、と思って、あきれていた。傷を加えることやその可能性があることについてあからさまに言わないのは、本来、情けの問題だと思う。のだが、情けがないひとがいるから規定をし、規定しても気にしないひとがいるから遵守を唱えざるを得ない。なのに、規定することや遵守することを嘲るのは、元々の問題を軽視しているからだ。言うたら、自業自縛なのに、何故あんなに得意げなのだろう。軽視することが世の大勢であると信じているからだ。情けがないひとに言うてもしかたないことかもしれないけれど、情けないとしか言いようがない。
母デイ日。火曜日は出かけず。木曜日は恒例の隣市図書館での「朝日新聞縮刷版」チェック。今回は1978年9月、10月、1981年3月、1978年6月。あとの二つは再確認。1981年3月は掲載日の土曜夕刊が休刊日だったことで無かったと思っていた週の「FMウィークリー」が別の日に掲載されていたのではないかと(金曜日に掲載されていた)、1978年6月は『GO
ツトム・ヤマシタ ロックの旅』のテレビ欄での紹介文の確認。LPも手に入れたし、この番組についておさらいしておこうかなと思って。
土曜日は、北浜「FOLK old book
store」に、尾柳佳枝個展『周辺の額縁』を見に。「FOLK」もしばらく行っていなかったので、覗きたくて。ひさしぶりなので、案の定というか、例によって、一回素通りしてしまったけれど。尾柳さんの作品は、今回は、広場みたいな、ぐるっと囲んだ作品がよかった。尾柳さんも、覚えていてくださっていて、びっくりでした。有元葉子さんの話から、G対策の話になったりして、何の話をしてるんやというかんじだったけど。楽しい時間になりました。
今年は、卓上カレンダーを手に入れ損なっていることもあり、尾柳さんの2025年カレンダーを買うことにしたのだけど、おいとまを告げて、レジに持っていったら、気になっていた井上園子さんの歌がかかっていて、そうだった、ここでライヴが最近行われたのだったと思い出し、「CD置いてますか?」と訊ねたら、置いている場所に案内してもらって、再び階下に戻ることになった。戻ってきた言い訳を尾柳さんにしたら、ライヴを見られたそうで、うらやましかった。井上園子『ほころび』購入。サイン入り、でした。
きょうも北浜方面に出られればと思って、朝からあれこれ済ませていたのだけど、前述のように、母の歩行が心許ないので、往復の移動時間を含めて5時間、ひとりにしておくことはできないと判断した。
節分なので、去年に続いて、キンパの店で、恵方巻代りにキンパを買った。太巻ではないということもあったけど、どちらにしても、まるまる一本無言で食べる、なんて、食事とは言えないゲームのようなことはする気はなかった。
昨日は夜から雨が降っていて、きょうもくもっていたので、朝、洗濯が終わったときに、干せるかどうか確かめようと、玄関を開けたら、ちょうど郵便が届いたところだったので、驚いた。配達のひとも驚いたのではないか。彦根「山の湯」に頼んでいたlakeと児玉奈央『last
summer』。京都のどこかで買えるのではと思っていたのだけど、見つけられなくて、金曜日に注文、土曜日に振込したのに、日曜日にもう届いた。注文した時点で発送してくださっていたのだ。
今週のテレビ欄。●『沿線地図』第10回から第15回(最終回)。このあたりは、割と覚えていた。子の行動によって、家族関係の歪みが露わになり、耐えられなくなった親たちが壊れ始める。理詰めの松本父(児玉清)・子(広岡瞬)、感情的だけど筋を通そうとする藤森母(岸恵子)・子(真行寺君枝)、はじき出されて酒に溺れる松本母(河内桃子)、右往左往させられながらやり過ごそうとする松本父(河原崎長一郎)。それぞれの葛藤が、松本祖父(笠智衆)になすすべのない無力感あるいは失望を与えてしまい、自死を招く。広岡瞬演ずる息子は「そんなんでいいのか。どうにかならないのか」と問うけれど、物語の中で答えは示されない。家族の全員がそれぞれの形で敗北している、が、生きていかなくてはならないというドラマだった。●月曜日、うとうとしていて、『119
エマージェンシーコール』が半分くらい過ぎてしまった、と思ったら、前述のタレントによる社員への性加害への対応についてのテレビ局の記者会見が長引いて、休止になった。●『バニラな毎日』。悔し涙をたたえた蓮佛さんの目に見入ってしまう。●『100分de名著』名著146・安克昌「心の傷を癒やすということ」。世界は心的外傷に満ちている、という言葉。心の傷を耕すという観点が心に残った。●『ミステリと言う勿れ』再放送が終り、『沿線地図』も終り、韓国歴史ドラマは何度も見たものばかりで、見るものがなくなってしまい、ほっとするやら、ちょっと寂しいやら。
今週のラジオ欄。●NHK-FM「ジャズ・トゥナイト」2025年1月25日放送分で気になった曲。Colin
Vallon "Mars"、"Timo"、Ai Furusato "The Dawn"、Barre Phillips "A-i-a"、"Quest-Part4"。●NHK-FM『FMシネマサウンズ』シリーズ第1作特集。『猿の惑星』は、物語と画面の印象が強すぎて、音楽がほとんど記憶になかったのだけど、今回も改めてそう思ってしまった。クリス・ブラックウェルの自伝で、彼の母親がイアン・フレミングの友人で、007には母親がモデルの女性が登場するという話を読んでいたところへ、『007は殺しの番号』の話題で、音楽からもジャマイカの風景を思い出すことができて、よかった。●KBS京都ラジオ『岸野雄一の地球が奏でる音めぐり』岸野さんレコメンドの男性ヴォーカル特集。今回も、好きなひとばかり。
-
Tiny Tim - Tip-Toe Thru' The Tulips
With Me ("God Bless Tiny Tim", 1968)
-
Peter Ivers - Alpha Centauri ("Terminal
Love", 1974)
-
Television (Tom Verlaine) - Venus ("Marquee
Moon", 1977)
-
Mayo Thompson - Dear Betty Baby ("Corky's
Debt To His Father", 1969)
-
Anthony Moore - Stitch In Time ("Out",
1976)
-
Faust (Rudolf Sosna) - Flashback Caruso
("The Faust Tapes", 1973)
-
Joseph Racaille - Solo Un Dia ("6 Petites
Chansons", 1983)
-
Neil Innes - Shangri-La ("Taking Off",
1977)
-
Biff Rose - Never Mind ("Biff Rose",
1970)
機器のへたりが二件。Bluetoothワイヤレスマウスが動かなくなった。有線マウスをとりあえずつないでいる。血圧計もへたっているような気がする。動いているけれど、なかなか測定が終わらず、挙句、エラーになる。測定できても、正しい値なのかどうかわからない。
マリアンヌ・フェイスフルの訃報。若いときも、カムバックしてからも、ベスト盤とライヴ盤(BBCセッション)しか持っていなかったけれど、"VAGABOND
WAYS" は好きで、いまも手元にある。ずっと気になりながら、いま一歩踏み込めなかった。近寄りがたかったのかな。
***先週のぐりぐらメモ 再放送(2025年1月26日〜2025年2月1日)***
|