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2023年1月15日〜2023年1月21日


1月15日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2023年1月15日】
 2020年以降初は確実だけど、その前に三宮、元町に行ったのはいつだったか、と思い、メモを見たら、2019年8月だった。昨日は、約3年半ぶりに、元町へ。「space eauuu」での「JBS EDIT VOL.19」に、Otomi Chieさん、ゑでぃまぁこん(Duo版)、pocopenさんが出演するということで。三宮より西には、新型コロナウイルス蔓延以降、行けていなかった。原因は三つ。まず、ウイルス禍。それから、ウイルス禍がひどくなったとき、大阪府の知事が近隣県との行き来を制限するという話を「兵庫県」との行き来の制限にすり替えて、うんざりさせられたこと。最後に、そうこうしているうちに、母がよわよわになってしまって、帰りが遅くなることを避けるようになったこと。ともかく、三宮を越えることを2023年の目標にしていたので、早々と達成できて、よかった。

 三宮駅改札口の前の「マクドナルド」がなくなったのはいつだったっけ。それ以降初めてのような気がするけれど、気のせいかもしれない。一服するところを探しながら、元町に向かって移動していたのだけど、気がついたら、「ハックルベリー」の通りまで来ていた。ジャズと下の棚と7インチ以外はだいたい目を通して、1枚、万里子『かざぐるま』。12人の漫画家による詞で構成された企画盤。黒沢進編著『日本フォーク紀』のエレックのカタログで見かけていたと思うけど、作詞を漫画家が担当しているとは知らなかった。どんな曲か、どんな声かわからないけれど、樹村みのりさんが参加しているとなれば、見逃せなくて。他に、大好きなウィリー・アレキサンダー&ザ・ブーン・ブーン・バンドの "MEANWHILE...BACK IN THE STATES" があまりに安く出ていて、思わす引き上げそうになったけど、こらえた。それと、ん、と思って手を止めたら、クリスタル・ゲイルということが二回続いて、「好みなんかい」と苦笑してしまった。どんな音楽か知らなかったら、運命だと思って、買ってるところだけど、幸か不幸か知っているので、見送った。ただ、手をとめたレコードについて確認していて知ったのだけど、クリスタル・ゲイルがロレッタ・リンの妹であるとは知らなかった。

 移転してから行っていない「1003」には行かんと、と思って、探して、行った。前より広い。ここも、ひととおり、棚に目を通して、一冊、瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房、2021年2月)を購入。先週、『空に聞く』を見たことを踏まえて読んでみたくなった。

 「1003」を探していて、知らなかったレコード店を見つけた。「KANKO RECORDS」。「1003」の次に寄ってみた。高いものは高いけど、安いものは安い、と、それではトートロジーだけど、なんでもかんでも高く付けている訳ではないというところに好感を持った。昨日は、買うものがなかったけれど、機会があれば、また寄ってみる。

 「space eauuu」へ。いっぱいになるかな、開場前から並ぶかなと思い、少し早めに行ったら、そんなことはなかった。開いていなかったけど、「月刊かえる」倉本さんが先に居らしてて、確認してもらったら、OKということで、入れてもらえることになった。最初は、少なかったのだけど、だんだん増えてきて、いっぱいになった。早くに年寄席を確保しておいてよかった。
 
 「JBS EDIT VOL.19」は。Tsudirtyさん企画のpocopenさん神戸2デイズの1日目。今日の和田岬「カルチア食堂」での早い時間のライヴもよかったのだけど、Otomi Chieさんとゑでぃまぁこんが一緒なので、帰りが遅くなることは必至だったけど、こっちにした。Otomi Chieさん、ゑでぃまぁこん、pocopenさんの間を、主催者Tsudirtyさん、GLTさんがDJをし、背景を皿さんがコラージュ投影で彩っていた。
 Otomi Chieさんはモジュラーシンセ使用で、予期せぬかんじが増していて、物語やパッケージされた時間の外に「居る」かんじがとてもよかった。変な言いかただけど、「そこらへん」にいつも居るかんじがする。ひさしぶりにデュオ編成を見たゑでぃまぁこんは、ギターとベースの一体感を改めて実感した。二人で合奏しているとは思えないくらい、というのは、sakanaにも通じる。pocopenさんは、反響の少ない音もあってか、曲をリニューアルし続けるひとであることを改めて思い出した。いつも新鮮な気持ちで、とはご本人の弁だけど、今回はとりわけ、あまり演奏されない曲が多かったような気がするし、ひさしぶりに聞いた曲も、ちがうかんじになっていた。
 終了は22時。ごった返していたので、Chieさんにだけ挨拶して、急いで帰宅。伝えていた帰宅時刻をきっちり20分遅れで、着いた。ひさしぶりに乗った神戸線で、またしても、塚口を十三と間違えて、冷や汗をかくということをやってしまった。

 書き忘れていたことを含めて(含めてというのが口癖になっているので避けたいのだけど)、メモ。●8日(日)の夜は、David Bowie cover event "We can't take everything away Vol.1"を配信で。佐藤幸雄さん、炎上寺ルイコさんら。幕間が声だけ流れていて、佐藤さんの訳詞論を図らずも(?)聞くことができた。●9日(月)、弟たち一家が来る直前に、在原みゆ紀さんのインスタライヴが始まってしまい、つい、準備しながら、見てしまった。●12日(木)の朝、ジェフ・ベックの訃報。ヤン・ハマーと一緒にやっていた頃までしか聞いていないので、なんも言えない。ヤン・ハマーとやっていた頃がオンタイムだけど、かっこよすぎて恥ずかしい、と思っていたし。"Blue Wind" とか。ちゃかぽこしてるけど。午前中に、ケアマネさんとの面談。午後から、そやそや、これからは昼間の放送中に、TBSラジオ「たまむすび」を"ながら聞き"できるぞと思って、radikoで聞き始めたら、なんと、3月いっぱいで番組終了の報。残念だけど、4月以降も赤江さんの番組がなにかしらあればと思う。●13日(金)、夜20時に母が部屋に引き上げた直後に眠ってしまい、1時に目が覚めるという失態。既に終わっていたKBS京都ラジオ「大友良英のJAMJAMラジオ」篠田昌已特集(5)を聞き、録画していた『名探偵モンク』を見て、眠くなるのを待った。篠田さんの特集は今回が最終回。よかった。その時々の篠田さんの様子が石橋さんの話からうかがえるのも。最後に話されているように、復刻の動きがあればと願っています。年寄で、たまたま『COMPOSTELA』の発表に間に合って、特集でかかった録音のほとんどを持っているので、身近な知り合いで聞きたいというひとがあれば、手伝えるのだけど、広く聞けるようになるのがいちばん。●14日(土)、寝る前にテレビで放映された長尾元監督『いつかのふたり』を見る。霧島れいかさん演じるレザークラフト作家の名が「鈴木さえ子」というだけで、見てみよう、と思ったのだけど、主人公の高校生が「古書往来座」でバイトしていて、お、となった。●15日(日)。起きたら、高橋幸宏さんの訃報で、TwitterのTLが埋まっていた。サディスティック・ミカ・バンドの1枚目を聞いた。当初敬遠していたし、ラジオで聞けたたということもあって1枚も持っていないので気が引けるYMOも気になる曲を少し。『薔薇色の明日』は持っているけれど、聞くと、しんみりしてしまうと思って、あえて聞かなかった。ある作品が好きすぎて、それだけでもういいと思ってしまう例のひとつ、でした。●片付けは別に仕事ではないのだけど、15日(日)は休み。午後は、録画していた『ひきこもり先生2』前後編を続けて見た。前編は途中から見ていたのだけど、うっかり後編を見逃していて。音楽は、haruka nakamuraさんで、最後に、baobab+haruka nakamuraの「カナタ」が流れた。

1月16日(月)
[一回休み]
1月17日(火)
[一回休み]
1月18日(水) 【▼ぐりぐらメモ/2023年1月18日】
 月曜日、無職第一日目。健康保険証の返却。会社からは郵送してくれということだったので、手近なところに置いていた事務封筒を取り出してみたけど、改めて見ると、薄い。頼りない。ちょうど、片付けで、必要になっては、見つからず、その度に買い直すために、あちこちに分散している封筒類もかためていっていて、もう少ししっかりしたやつがあったはず。という訳で、便箋、封筒、記念切手を固めているところから、しっかりした事務封筒を取り出して、厚紙で補強もして、保険証を収め、封をした。で、宛先を書く段になって、詰まった。サブ郵便番号欄が2桁しかない…。古すぎた。でも、しっかりしたやつだから、もう、それで勘弁してもらうことに。
 他にも、いろいろあって、午前中はちょこちょこと出たり入ったり。

 午後は母の訪問看護で今後について少し打ち合わせ。続けて、わたしの生命保険面談。少しだけ寝て、あとは暗くなるまで片付け。いつまで片付けをやっているのだと思われるかと思うけど、終わらないです。余に片付けの種は尽きまじ。諸段階のまだほんの序の口。居間に戻って、夜は、ずっと手付かずだったブレヒト/ワイル作品集廉価盤ボックスの出典探しを改めて聞きながら。デザインもいまいちなので、作り直したいくらいだけど、そういうことをやっていて、よいのかというなんだかわからない呵責もある。
 1枚目。最初に、1930年12月7日録音らしい『三文オペラ』(抜粋)。演奏は、テオ・マッケベン指揮、ルイス・ルース・バンド、歌唱は、ロッテ・レーニャ、ウィリー・トレンク・トレビッチュら。古い録音なので、元々どんな形で残されたのかわからないのだけど、この録音を音源とする複数のレコードにある記述を突き合わせると、どうも歌手と配役が一一になっていないみたいで混乱する。ひとつの役を複数の歌手が演じたり、ひとりの歌手が複数の役を演じたりしている。Tuttiって誰と思ったら、それはつまり、イタリア語で皆ということで、合唱を指すらしいことを知った。オペラやクラシックには疎いので、そこから、もう、手間取る。次に、作詞者のベルトルト・ブレヒト自身が歌う『三文オペラ』挿入曲2曲。これもCDには1930年録音とあるけれど、1928年と1929年に録音されたものらしい。演奏も別々。経緯が知りたいけれど、解説がない廉価盤であることがうらめしい。1枚目の最後は、ロッテ・レーニャ歌唱、クルト・ワイル伴奏(ピアノ)によるワイル作曲作品6曲。これはアメリカに亡命後、演技/歌唱活動をしていなかった妻のロッテ・レーニャの復帰のためのプロモーションの意味合いで録音されたものらしく、英語詞2曲、仏語詞2曲、独語詞2曲をそれぞれ1枚ずつ両面に収めた3枚組レコードで1943年に発売されている。

 火曜日、母がデイケアに行っているので、つい、午前中も居間でPCに向かって、前日の続き。ブレヒト/ワイル作品集の2枚目と3枚目の出典調べ。『マハゴニー市の興亡』第1幕(第1場から第11場)、第2幕(第12場)が2枚目に、第2幕(第13場から第16場)、第3幕(第17場から第21場)が収められている。トラックに付けられているタイトルは、場面を表す便宜的なもので、一定していない。第1幕第2場で登場する通称アラバマ・ソングもタイトルにはなっていない。『マハゴニー市の興亡』は1930年3月9日初演とのことだけど、これは1956年録音の北ドイツ放送交響楽団(ヴィルヘルム・ブルックナー=ルッゲベルク指揮)によるもので、歌唱はロッテ・レーニャ、ハインツ・サウエルバウムら。これについても、この録音を音源とする複数のレコードにある記述を突き合わせてみたけど、言わば正規にリリースされているはずの盤のタイトル記載に誤記があり、廉価盤のほうが正しい(例えば、第1幕第4場のタイトルは正しくは「数年のうちに」というところが「数日のうちに」とシルされている)ということに驚いた。同音源盤には楽団の名称がちゃんと書かれていないが(北ドイツ放送合唱団とはあるけれど、管弦楽団に「北ドイツ放送」は付いていない)、廉価盤には北ドイツ放送交響楽団・合唱団と記されているし。ただ、同音源盤にあるマックス・スーン Max Thurnによるコーラス指導という記述は廉価盤にはない。校閲されているのか、元にした記述の盤があるのか。

 午後は、退職金が振り込まれているかどうかを確認しに、駅前のATMまで徒歩で。まだだった。給料と一緒に振り込まれるのだろうか。帰ってから、片付け。古い写真やネガが出てきて、戦慄する。うちは、阪神淡路大震災のときは、表面的には壁にヒビが入ったくらいだけど、本棚や家具はひっくり返って、中身は散乱した。そこで潰れて、それっきりにした棚もある。そうしたものがまだ映っているものがあったので、投稿しようかと思ったけど、やめた。

 夜、片付けで出てきた古い所属組織の住所録の整理。高校(冊子)、大学(冊子)、最初の会社(コピー)、二番目の会社(冊子)、出向(派遣)先(コピー)など。恐ろしい。三番目の会社は住所録がない。先週まで勤めていた四番目の会社は既に紙での配布がなく、途中からは個人情報保護の点から住所の連絡もなくなり、機密保持の点からデータ持ち出しも禁止になったので、やはり住所録はない。個人的にやりとりしたひとのものだけがある。
 片付けは、現在を住みやすくするためのものというよりは、未来に向けてのアーカイヴ化だと、半ば言い訳のように考えているけれど、過去の住所録は転居もされているだろうし、連絡することもないので、残しておいても、ただの思い出でしかない。でも、なかなか捨てづらい。過去に一緒に居たひとたちのことを思い出すためには必要だから。

 よしながふみ原作の『大奥』のテレビドラマを見ようとして、『心の傷を癒すということ スペシャル版』の再放送が夜中にあることに気付き、見た。よい物語だと改めて思う。

 水曜日、9時から片付けを始めるが、母の銀行の用事と買い物とちょっとしたエンタメのために、昼前に母を連れ出すことにした。銀行はいま昼休みがあるんやね。それまでに行かなくてはとがんばったけど、昼休みは11時半からだった。買い物して、戻ったら、開く頃とちゃうかなとなだめて、買い物を先に済ませて、戻って、銀行の手続きをした。ちょっとしたエンタメというのは、新しいラーメン店の開店日で、割引券付きのチラシが配られていたので、どれくらい並んでるかを見物すること。その場所は、元々あった中華料理店に、土日に母と一緒によく行っていたのだけど、建て替えするという話で閉店。建て替えされることなく、別のラーメン店が入り、そこも何度か行ったのだけど、ウイルス禍のためか、去年の初め、母が入院している間に閉店してしまい、それっきりになっていた。ようやく内装工事が始まり、また行こうと楽しみにしていたのだった。でも、まあ、開店当初は無理かな、と。最初は、わたしだけ割引券で下見に行ってくれという話をしていたけど、混んでいるところはまだ避けたほうがよいということで、行列の見物だけすることにしたのだった。

 午後から片付け。前日に、開封作業の動機付けのひとつである探しもののひとつが見つかったので、その整理から、と思ったのだけど、まだ足りなかった。

 昔々、テレビのたぶんフランス語講座で、「いま話題の曲」と紹介されて気になった曲についての小さなメモが、紙類の間から出てきた。「Docteau クノック マリー・キャロリーヌ」とある。この曲をずっと探していたのだけど、インターネットが使えるようになってからも、検索でも出てこなくて、見つけられないでいた。居間に戻り、夕食を済ませてから、改めて、Discogsで検索をかけてみた。Docteau Knockでも、Marie Carolineでも、やはり出てこない。ふと、クノックの綴りがちがうのかもしれないと思い、名をDocteauとして検索をかけて、リストに出てきたそれらしいものをめくってみることにした。で、見つかりました。綴りは「Docteau Knock」で合っていた。"FEMMES QUE J'AIME" という1992年のEP(CD)に、"Marie Caroline" は入っていた。これで、やっと、小さなメモが捨てられると、思い切って、捨てた。ただ、定額制配信にも、Youtubeにも、"Marie Caroline" は無い。EPのタイトル曲、ミシェル・ポルナレフの "Ta Ta Ta" のカバーである "Femmes Que J'aime" だけがYoutubeにあった。ヴォーカル担当として、Veronique Moestという名が記されているけれど、同名の俳優がいるので、同一人物かもしれない。そのひとは1994年に亡くなられている。

 長年の疑問解消と言えば、スネイクフィンガー Snakefinger "8 1/4" について書いたっけ。"8 1/4" の作者はニーノ・ロータになっており、ということは映画『8 1/2』の曲なのかなと思って、サントラを聞いてみたけど、メロディの一部が見当たらない。それでずっと謎だったのだけど、あるとき、イージーリスニングの番組でかかっているのを耳にし、"Coimbra" という曲であることを知った。ただ、そのときは、改めて調べてみることはしなかった。
 去年の秋、いしいひさいち『ROCA』の影響でファド曲を聞いていたとき、ロカのレパートリーとして "Coimbra" があった。ファドの曲だったのか。ニーノ・ロータの曲ではなかったのか。はて。そのとき、改めて調べて、フェリーニ監督の映画『崖』で使われていることを知った。フェリーニ作品に出てくるから、ニーノ・ロータの曲ということになっていたのかもしれない。

 高橋幸宏さんの訃報を聞いて、すぐにサディスティック・ミカ・バンドの1枚目を聞いた。Twitterには、YMOについての投稿が多く見られたので、「怪傑銀童子(シルヴァー・チャイルド)」や「恋のミルキーウェイ」のドラムもすごかったでと知らせたくて、投稿した。明記はしなかったけど、後者は作曲者のひとりであり、ヴォーカルもとっているから。なのだけど、「喫茶アオツキ」金本さんの投稿で、かのドラムがサンプリング音源(ソース)として海外でも人気であることを知った。そのせいか、わたしの投稿にしては珍しく、えらいたくさんのひとに参照されていた。いまではよく知られていることを知らずに、やってもたなー。恥ずかしい…。

1月19日(木)
[一回休み]
1月20日(金)
[一回休み]
1月21日(土)
[一回休み]

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2023 Kijima, Hebon-shiki