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2022年7月10日〜2022年7月16日
7月10日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2022年7月10日】
月曜日、月一回×2の仕事場PCのパスワード改訂。その2件は同じにしているのだけど、一年くらい前から、変更日が半月ほどズレていて、その間、ふたつのパスワードを使い分けていたので、面倒だった。それが先月4日ちがいになり、今回は1日ちがいになった。それはともかく、パスワードは、そのときに自分の中で話題になっていた(変な表現)作品を元にして作るので、「もう一か月経ったのか」という感慨を伴う。先月分はメイ・シーモネスさんの曲が題材だった。今月は…公表しても推測はできないと思うけど、仕事場PCなので、セキュリティの観点から黙っておく。 開けたはずの梅雨が戻ってきたかのように前半は雨がち。湿気がひどかったからか、冷房の風にあたっても、冷たい水を飲んでも、ちょっとしんどくなるくらいだった。後半から少しましになった。
コレット・マニー入門にも戻れていない。通勤時は、徒然に、ぼんやりと思いついたものを聞いているかんじです。コレット・マニーと言えば、大里俊晴さんのマニー論は、読んだことはあるけれど、その時点では実際のマニーの音楽を聞くことができなかったので、そういうひとがいるのか、くらいの受け取りかただった。ひととおり聞き終えたら、読み直そうと思っている。 と、メモしていたのだけれど、金曜日の昼に入ってきたニュースの影響で、Disc 6 "1977" の後半を聞くことになった。"Un juif a la mer, un palestinien au napalm(海のユダヤ人、ナパームのパレスチナ人)"。説明がむずかしいけれど、楽しくはなれない、ので、楽しくなる音楽に影を落とすこともしたくない、だから楽しくはない音楽にしよう、ということなのだと思う。1977年3月8日に行われたイスラエルとパレスチナの紛争をテーマにした音楽劇のライヴ録音で、それぞれの音楽、つまり、クレズマーとアラブ歌謡が取り入れられている。マニーの他にも歌手がおり、録音物が流される場面もある。全編の翻訳が欲しくなった。続いて、Disc 7 "1979-1980" の前半、"Colette Magny, Je vex chaanter"(1979)。マニーの住居の近くにあった養護施設の子供たちとの出会いから、子供たちの歌いたいという気持ちに沿って作られたアルバム。現場というのもヘンなかんじだけど、そこにいるひとたちの声を届けるという点で、そして、形式にとらわれないという点で一貫したものがあるように思う。中村隆之『魂の形式』第4章を読み終えた。 金曜日の昼に入ってきたニュースは、安倍晋三氏が、参議院議員選挙の応援演説の壇上で、散弾銃で撃たれたというものだった。でたらめなことをたくさんやって、信頼というものを蔑ろにした言動を繰り返してきた質の悪い、程度の低い政治家だったので、惜しむ気持ちは一片もないが、喜ぶ気持ちもない。でたらめが明らかにされ、裁かれ、言動が失墜することを望んでいるだけだ。
金曜日の帰りは、映画『エルヴィス』を見るつもりでいたのだ。帰りに寄れる場所、間に合う時間での上映があったから。ところが、ショッピングモール内の映画館のチケット売り場に着いて、びっくり。時間割が変わっていて、見ようと思っていた回の上映がなくなっていた。「きょうは遅くなる」と言って出てきたのに、ちょっとショッピングモールを見て回っただけで、すごすごと帰ることに。暗い気分のままで楽しめるのか、それとも振り払ってくれるのかと思いながらだったので、見られなくてよかったのかもしれないけれど。 帰宅すると、板倉文『板倉文サウンドトラックス』が届いていた。市川準監督の『会社物語』(1988年)と『つぐみ』(1990年)のサントラをカップリングした2枚組。追加曲はないけれど、詳細なパーソネルが追記されている。『会社物語』は、我が身に差し迫ってきたので、見直したい。ヒロインの女の子の主演映画として企画が通ったのに、クレイジーキャッツ映画になって、しかも喜劇にしなかったということで、ややこしい位置付けだったようだけど。サントラも、もともとは出す予定がなかったのが、音楽予算を補うために、レコード会社に援助してもらったということらしい。それでは、再発もされへんよな。 夜遅くに、電話が入り、翌日の午後からの予定が延期になった。もともと午前中に予定があったので、午後にしてもらったのだけど、その午前中の予定も先週の時点でなくなっていた。ぽっかり空いたーと思ったが、もひとつ、午前中に来客があるのを忘れていた。という訳で、土曜日は、朝早くから動いて、先週に続いて、9時にスーパーやクリーニング店に行き、帰ってきて、待機。来ないねぇと言いながら、母が追加の買い出しに出かけた直後に来られました。完了。 という訳で、午後から雨の予報が出ていたけれど、まだ降っていなかったし、そこからの帰りにはたびたび降られているので、もはや因縁として受け入れようという気持ちで、隣市の映画館に、前日見そびれたバズ・ラーマン監督『エルヴィス』を見に行った。めまぐるしい展開に焦ってしまったけれど、思いのほか、少年時代に接したブルーズやゴスペルへの敬愛が描かれていて、その恍惚とした経験を軸にした描写がよかった。それが、「家族」を人質にとられる形で、絡め取られていく後半生はつらかった。ラスヴェガス公演は最初の6週間を除いて、ほぼ労役のようなものとして描かれていた。あまり知らないということもあるけれど、エピソードにはあまり触れずに、音楽と家族の板挟みに焦点が当たっていた。曲も、状況に沿ったものになっていて、歌の、思わぬ力を知らしめるものになっていた。
今朝。前日の雨は、いっとき止んだけど、夜中にまた降っていた。朝になって、雨がやんで、よかった。8時から、母と一緒に、参議院議員選挙の投票に。記入場所の前に名前が貼ってるあるからそれ見ればいいよと言っていたのだけど、比例区、人数が多くて、文字が小さい!めあてのひとが探しにくい!拡大鏡を持っていってもらって正解でした。会場である小学校の門も、体育館の入り口もスロープになってるけど、結構な傾斜やなということを、母と一緒だと改めて思う。他にも、足が弱っている高齢のひとをサポートしているひとが斜めに行こうと話しているのが聞こえた。投票済証はあっさり仕様。他の地域のを見ると、色刷りのぱきっとしたデザインのものがあって、いいなと思うも、まぁ、お金をかけるとこではないか。でも、栞のように日常的に使えるものにして、毎回ちがうデザインにすると集めたくなって、多少無理してでも行こかという気になるような気がしなくもない。 日曜午前中の用事を済ませ、昼食をとったのち、早々に出かけることにした。ポール・トーマス・アンダーソン監督『リコリス・ピザ』が京都で14時45分からの上映があると知り。梅田でも15時台の上映があり、最初はそっちにするつもりだったのだけど、行ける、となったので、京都のほうへ。
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7月12日(火) |
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7月14日(木) | 【▼ぐりぐらメモ/2022年7月14日】
月曜日、朝、コレット・マニー入門をお休みして、湯川れい子編著『エルヴィスのすべて』(ブロンズ社、1973年6月)を手引きとして、エルヴィス・プレスリー入門。音は、定額制配信にあった(ジャケもよく見かけていた)"ELVIS: THE KING OF ROCK 'N' ROLL, THE COMPLETE 50's MASTERS" を。 『エルヴィスのすべて』は、機会が来るまではと読まずに置いといたのだけど、編集方針がまず面白い。1973年の映画『エルビス・オン・ステージ』でエルヴィスを知った、ファンになったというひとたちに向けて、日本で、どのように伝えられてきたか、それをどのように受け止めてきたかを、時代背景を押さえながら、ファンの視点でたどり直すことで、「一緒に応援しましょう」と呼びかけるような内容になっている。否定的な記事や配慮の足りない記事の再録も、批評を加えることで、その時点での視点とともに提供している。再評価本やおもしろがり本でいらっとさせられる、もとから居たファンや時代背景を蔑ろにしたところはないし、先行者が経験を特権化して語るのともちがっていて、参考になる。 装丁が渋谷陽一『メディアとしてのロックンロール』に似たかんじだなと思ってクレジットを見てみたら、羽良多平吉さんだった。「アイデア」誌にも載っていた。ブロンズ社での最初の仕事らしい。渋谷さんの本はどうだったっけ。すぐに出てこないけど…。 月曜日、夜。母がファンの杏さんと小池栄子さんが出るよと教えたら、見るというので、新番組『競争の番人』を見ることに。公正取引委員会の職員が主人公。初回スペシャルで22時半近くまで。そして、やはり、終わって、母が寝室に引き上げたのち、ごろんとした途端、眠ってしまっていた。 火曜日、朝、Wi Fiルーターを持って出るのを忘れた。幸い、iPad
miniのApple Musicは、ライブラリに登録すると、自動的にダウンロードされるので、「最近追加した項目」は聞けたけど、音のほうのエルヴィス・プレスリー入門は中断。
水曜日、木曜日の夜、も、母が引き上げたあと、こっそり聞いていたウェブ配信(水曜日は時事番組、木曜日は音楽番組)の続きを、ヘッドホンからスピーカーに切り替えて聞いていた、はずが、一瞬で寝ていた。はぁ。 先週の書き忘れ(陰惨な事件やしょうもない事件と並べて書きたくなかったということもある)。好きなモデルの谷口蘭さんが、事務所をやめて、フリーランスになったことを、Instagramで知った。Instagramは、iPad miniで見ると、検索コーナーで、おすすめ投稿が並ぶのだけど、その中に谷口さんの写真があり、見てみたら、いままで無いと思われた本人名義の投稿だった。登録名からは谷口さんとはわからない。現存している最初の投稿は、2012年12月10日。それから2021年12月までの間の投稿は11回。2022年に入って、ぼつぼつと投稿され始め、5月以降、自身が映った写真の投稿が増えている。推測でしかないけれど、個人用として登録して、長らく放置していたものを、フリーランスになるのを機に、説明に本人であることを記載して、窓口として再開させたのではないか。これまで個人的な面をほとんど外に出していないひとなので、どのような発信をされるのか、怖い気もしているけれど。 音楽をやっているひとだと、音楽がよくても(気に入っても)、そうでなくても(気に入らなくても)、容姿は二の次になってしまう。容姿が好きだから、音楽も、とはならない。だから、正直、ややこしい音楽をこれまで聞いてきたひとが、「アイドル」に熱中することがわからないでいる。そうしたひとたちからすれば、こちらのほうが、音楽の根本を理解していないのだ、ということになるかもしれないけれど。それはともかく。アイドルよりも、モデルを好むのは、セリフを持たないとは言え、俳優だからだし、グラビアモデルよりも、ファッションモデルを好むのは、セリフがないために明示されない物語による。服や髪やメイクをきれいに見せるという目的は理解できるけど、所謂グラビアのポージングとシチュエイションは謎で、怖いのだ。独善的な「ポエム」を思わせて。なに言ってんだか、だけど。 で、Instagramでは、きれいなひとのすっとした写真を見るために、気になるモデルやその所属事務所をフォローしているのだけど、例外がひとり居て、それが以前も書いたことがあるmiugramこと、miu(みゆ)さん。容姿よりも、音楽などの好みが面白くてフォローしている。「よりも」ってのもなんだけど、容姿だけならそんなに気にならなかっただろうという意味で。先週は、ベースギターに初めて触ったという投稿で、『太陽と戦慄』Tシャツを着て、"Psycho Killer" のイントロを弾いていた。"Psycho Killer" を知っていて、好きで、ベースを初めて持ったら、そりゃ、弾いてみたくなるよな。 Instagram関係ではもうひとつ。在原みゆ紀さんが、YeYe「確かな午後」の映像に出演していることを知る。YeYeさんも、追いかけてないけど、折に触れて聞いているひとなので、うれしい。引っ越してきたばかりで、段ボールを開けながら、のんびりしているという設定で、カセットを取り出して、ウォークマンで聞く場面がある。人物紹介の動画で、父親から譲り受けたカセットテープのコレクションを披露していたことがあったので、そうしたこともあっての起用なのかな、と思ったりして。 |
7月15日(金) |
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7月16日(土) |
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2022 Kijima, Hebon-shiki