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2021年5月2日〜2021年5月8日
5月2日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2021年5月2日】
仕事の予定がはっきりしない。延期になったり、急に早まったり。連休明けに納品するものの連絡があったけれど、やはり急に早まったのか、見てみたら、できあがっている、とは言えない状態。3月初めに、先方指示を確認して、不明点、疑問点を伝えていたのだけど、その回答もまだのようだった。当然のように、わたしが取りかかれる状態にもなってない。前段階からやらないといけない。もともと予定していた作業は後回しにして、月火水と連休明け納品の作業に当てた。 水曜日にやっと、3月初めの指摘がこちらの指摘どおり(先方指示の誤り)であるという回答も得られ、安堵して、できるだけの準備をして、休ませてもらうことにした。だけど、それにしても、誤りを未然に防いだり、見直しをして改善をしたりしているのに、余計なことしやがって的な扱いをするのは、いつものことながら、未来のない話だと思う。 月曜日の行き帰りで、萩尾望都『一度きりの大泉の話』を読んでしまった。代表作しか読んでない身で、立ち入った話を聞くことになり、申し訳ない気持ちになったけれど。事件については、当人たちの問題であり、外部はそっとしておくしかないのだけど、事件につながると思われる萩尾さんの自己認識には、驚かされてしまった。萩尾作品を知ったのは、『ポーの一族』や『トーマの心臓』が始まった頃で、既に、初めて読んだ者にもおおっと思わせるものであったにもかかわらず、その頃でも、ご自身では自分は傍流でいつ切られるかわからないと感じていたという。そして、意欲作についても、傍流で、期待されていないから、許されていたのだと。思えば、二十代前半。迷いや不安があっても、おかしくない。でも、作品から、一線の作家と受け取っていた。子供だったからというのもあるだろうし、10歳くらいで出会ったものについては、それ以前が一年前であろうと二年前であろうとすべて「昔」でしかなく、つまり、昔からそう、と受け取っていたということもあるにしても。 水曜日、退社する隣のひとの最終出社日。ひとにも、仕事にも、率直な驚きをもってあたるひとで、そんな仕事や様子に接するのは、楽しかった。その驚きに、迂闊なわたしはしまった、と思わされることもよくあった。しっかりした仕事をしているけれど、ベテラン感がまったくないひとだった。 水曜の夜は、やらかしました。いくら翌日が休みとはいえ、パソコンの前で、23時前に寝落ちして、目が覚めたら、4時半だった。 木曜日、雨。やはり、感染予防対策課雨乞係のひとががんばっているみたいだ。聞こうと思ったCDが見当たらず、出られないこともあって、整理を始めたが、早々に収拾がつかなくなる。まずはおおまかに分けて、と思うのだけど、おおまかなつもりが、これは別、これも別とやっていると、山の数がどんどん増えていくのであった。なおかつ、分類できないものという山が積み上げられていく始末。身動きとれなくなって、無理して、置きにいって、倒して、わやにしたり。 金曜日、事務所を間借りしているメーカーが休みなので、合わせて休みをとった。先週、空振りだった郵便局に行ったのち、物資調達のために、少し離れた場所にある家電量販店に行ってみたら、休業していた。出鼻を挫かれた気分。今週に入って、テレビ番組のレコーダーが、DVD-Rをフォーマットしても、ダビング可能なディスクとして認識しなくなったので、テストのために、ちょいと良いメーカー品を買おうと思っていたのだけど。 きのうもきょうも、雨が降ったり止んだり。風はきつく、きのうは、ものすごい雷もあった。宮城県では強い地震もあった。わたしは、勢力争いにはあまり加担したくなくて、ただただ行政のしょうもない悪手やそれを上塗りする詭弁駄弁に腹を立てているのだけれど、ウイルス感染拡大防止のために私権制限が必要などと、仮にも(仮であればまだよいのだが)行政の長が、覚えたての言葉を意味もわからずにうれしがって使い、災厄を、しかたがないことにしたい、被害者の立場を取りたいという姿勢を隠そうともしないことに絶望的な気持ちになった。
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