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2021年1月17日〜2021年1月23日
1月17日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2021年1月17日】
運転免許を更新しに行ったときに、備えとして、地図帳を持っていったのだけど、そのまま居間の机の上に置いていたら、「出かける気か」と警戒されてしまった。土日とも、買い物以外は出かけず。 バレエ『ペンギン・カフェ』を見たことで、幸い定額制配信にそこそこあがっているので、あまりちゃんと聞いていなかった「後期」ペンギン・カフェ・オーケストラの作品を聞き直そうと思い立った。まずは、"SIGNS OF LIFE" (1987)。ウクレレを使った軽やかな曲よりも、ストリングスを中心にした曲が印象に残った。"Southern Jukebox Music"、"Rosasolis"、"Perpetuum Mobile"。最後の "Wildlife" がメロディを際立たせず、流れそのものの作品で異色だった。 土曜日の昼前、Rhucle氏のアルバム "ROYAL BLUE" 発売記念(配信)イベントでの、Otomi Chieさんの演奏を。Otomiさんの前に演奏していた Home Baker さんの演奏も面白かった。検索で見つけにくい名前だけど。Oxtail Recordingsからリリースされている。 『ノンスタンダードの響き』をDisc
4、Disc 1、Disc 3、Disc 2の順に聞いた。年代順でない編集のよい点は、選ばないで済むこと。当時、ちょっと苦手に感じていたアーバン・ダンスがすんなり聞けて、面白かった。意識していなかったけど、高橋幸宏っぽさが感じられたことも発見。ワールド・スタンダード「太陽は教えてくれない」、Shi-Shonen「彼と仔犬とわたし」など、関心が薄れていた頃の作品について、曲だけ聞いて、「コレナンデスカ」的に記載を見返したり。
1. 細野晴臣「Making Of Non-Standard Music」(1984.11.10)
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1月18日(月) |
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1月19日(火) |
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1月20日(水) |
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1月21日(木) | 【▼ぐりぐらメモ/2021年1月21日】
昨日は、居間で21時半くらいに寝落ちしてしまって、目が覚めたときは0時を回っていた。迷ったけれど、モバイルルーターの充電のため、隔離部屋に行き、パソコンを点けた。できるだけ急いで、と思いながら、留守にしている間の連絡などを確認していて、ビレッジプレスの五十嵐さんが1月8日に亡くなられたことを知った。五十嵐さんのご病気のことは、事前に連絡をいただいていた。気付いたときには既にかなり進行していたということだったのだけど、周囲の同じ病の友人や知人を思い浮かべて、まだ時間があると思っていたし、その間に、なにか少しでも良い知らせが、中間報告のような形で届くのではないかと祈っていました。 何かできることを、と思っていても、できることが思いつかない。「雲遊天下」の表紙を担当されている山川直人さんが、少し前から、表紙に使われた元イラストと表紙画像を順番にアップされていて、胸が痛んだ。回覧(リツイート)するくらいしかできなかったけれど、改めて、「雲遊天下」に興味を持ってもらえたらと思っていた。記事の総索引と各号の紹介を小冊子にして勝手に出すことも考えていたのだけど、きちんと着手できていない間に、逝ってしまわれた。 「ビレッジブレス」は、元「プレイガイドジャーナル」の村元武さんが、出版物の在庫などを引き継ぐかたちで始められた出版社なので、知ってはいたけれど、そのことともちろん無関係ではないのだけど、沢田としきさんが表紙を描かれていた「ぐるり」という雑誌を知ったとき、好きだった情報誌に近いものを感じて、うれしかった。東京の、それも主に中央線界隈のことなので、大阪在住の身には情報誌としては無用だったのだけど、「ジュンク堂書店堂島アバンザ店」には入荷すると聞いて買いに行ったり、「春一番」の出店の折にバックナンバーをまとめて買ったりしていた。記事が面白かったのはもちろん、行けない、聞けない、見られない情報を見るのも楽しかった。楽しくなる情報が集められていた。いま、過去のメモを少し見てみたら、最初に見かけたのが、「円盤」でのサボテンと桂牧さんのライヴを見に行ったとき、前日に南陀楼綾繁さんに連れられて行った「古書ほうろう」でレジ横に置かれていた表紙にスズキコージとあったのを見かけて手に取ったのだった。でも、翌日のライヴのときには、五十嵐さんも来られたのだ。 南陀楼さんを通じて、わたしが書いていたものなどを知ってもらったのではないかと思う。しばらく読者として接していたところに、多忙になった南陀楼さんが担当していたミュージシャンについて書く枠を半分(隔号)持たないかというお話をいただいた。南陀楼さんと吉上恭太さんが推薦してくださったとのことだった。細かな時系列は記憶の中でぐちゃぐちゃになってしまっているし、起こるときには放っておいても起こるような気がするけれど、「げんげ忌」に参加しているひととして、吉上さんに南陀楼さんのことを、南陀楼さんに吉上さんのことを話した記憶があるので、きちんとした雑誌に長文を書いたことはなかったのだけど、これは応えないと、と思った。そう言えば、吉上さんとは、桂牧さんが横浜ジャグバンドフェスティバルに出演されるというので見に行ったときに、同じく出演されていた元むいジャグの宮本一さんのお知り合いということで紹介してもらったのだけど、宮本一さんは、旧「雲遊天下」に漫画を連載されていたのでした。 思えば、そのときを含めて、五十嵐さんには、三回、声をかけていただいたことになる。二回目は、「ぐるり」が休刊となり、休刊していた「雲遊天下」を復活させることになったとき。ライナーノートについて書くという案を出して、「ライナーノートを読む」と題して連載させてもらった。三回目は、「雲遊天下」の内容をリニューアルされたとき。「ライナーノートを読む」が終了することになったとき、これでお役御免だと思っていたら、別の趣向でと話があって。それで、体験できないということについて考えるというぼんやりとしたテーマを持ちつつ、主に関西のミュージシャンと音楽の場所について紹介する文章を「記憶のB面」のタイトルで始めることになった。正直、毎回、いつ終了と言われてもおかしくないという心持ちでいた。それでも、毎回、連絡をいただいた。一回だけ、手違いがあって、連絡が届かなかったことがあったのだけど、休載はそのとき一回だけ。いろいろ考えられていることもあるといって、連載とは別に、固まったらお願いすることもあるかもしれないと聞かされたりもしていた。 実際にお会いするのは、「祝春一番」の会場で「ビレッジプレス」ブースを出店されるために、来阪されたときだけ。行ける日がなかなか決まらなくて、直前になって、チケットをとってもらって、入口で受け取るなんてこともあった。店番をされていた友部正人さんに「同じ雲遊天下執筆者のきじまさんです」などと紹介されて慌てたこともあった。次に東京に行く機会があれば、編集部を訪ねるつもりにしていたのだけど、家のこともあり、数日家を空けて遠出することがなくなっていたので、かなわなかった。 最後となるはずだった2020年の「祝春一番」は、新型コロナウイルス蔓延のため、中止になった。予定していた取材が、ウイルス蔓延のために、できなくなったという話も、その前に聞いていた。五十嵐さんの病気がわかったのは、それから間もない頃だったらしい。まずしばらく休刊することが伝えられたのち、病のことが知らされたのは、もう次号を出すことができないと断念された頃だったのではないか。無念だったと思う。五十嵐さんが望んだ役割が果たせたかどうか心許ないけれど、続けさせてくれたということで、いくらかでも果たせていたのではないかと思うことにします。ありがとうございました。 亡くなられたばかりで、今後のことはわからないけれど、五十嵐さんが制作された雑誌や本、CDは残ります。「ビレッジプレス」のサイトを覗いてみて、気になるものがありましたら、取り寄せてみてください。
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1月22日(金) |
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1月23日(土) |
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2021 Kijima, Hebon-shiki