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2020年9月6日〜2020年9月12日
9月6日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2020年9月6日】
6月にあれこれが本格的に再開して以降の仕事が一段落してきた。のはいいけれど、一段落してくると、浮上するのが「きじまさんはほんとは要らないのでは」「楽しているのでは」説。遊軍みたいなものだから。便利、なのかどうかはわからないけれど。待機しているときは、勝手に調べたり、準備したりしていて、それを忙しくなったときに活用するということでやってきてはいるのだけど、請求できるのかという話になってくると、進められない。かといって、指示が出るかと言えば、出ない。指示は出さないけれど、やってくれ、うまくいかなかったら、あれは勝手にあいつがやったことだからとなる、そういうかんじです。というような話が出ているので、何件か、気付いているけれど、訊かれてもいないことには口出ししないで、静観している。訊かれてもいないのに、気付くことがあるのは、口出しすることをあてにして、流してくるからです。 NHK総合の朝のニュース番組の中の生活情報コーナー「まちかど情報室」は、7時台でやったものを翌日の5時台に再放送しているということに気付いた。月曜日に、捨てられるレコードを加工して、メモ帳に仕立て直したものが紹介されていた。レコードに鋏を入れている場面では、うぎゃーっとなったけれど、映っているレコードが気になった。翌日、5時台に、またやっているのを見て、あれっ、昨日と同じか、7時台もかと思って、録画しておいたのだけど、ちがっていた。あのコーナーで面白いのは、ユーザーとして登場するひと。どうやって、探したり、募集したりしているのだろう。 先週、京都で、困惑する声がけに遭った。「京都駅に行きたいのだが」と話し始めたので、どのバスに乗ればよいかという話かと思って、立ち止まったら、急に話が変わって、「予定していた仕事がキャンセルになって、京都駅から尼崎まで戻らないといけないのに、帰れなくなった」と言い出した。そこで、言いたいことはわかったのだけど、「仕事って」と相槌を打ったら、カードをちら見させられた。京都の病院のカードのようだった。診察券なのか、入門証なのか判別はつかなかったけど、つまり、京都に居るのには訳があると言いたいのであった。そして「1200円要る」と。金の話をし出したところで、「交番に相談してみてください」と話したのだけど、「無理って言われた」という。「交番に」と聞き返すと、そうだという。交番の巡査が「無理」とは答えないだろう。「そんなことはないはずですよ」と返したのだけど、「だめなら、もういい」と。そこで話は終わった。 借りるだけだ、返すからと言うつもりだったのかもしないけど、名前や住所や電話番号を教える訳にはならないから、つまり、くれ、ということでしかない。尼崎まで戻るのに1200円もかからない、阪急からなら1000円以内で済む、決まった仕事先なら、そこで借りるべきだ等々、言いたいことはいろいろあったけど、もういいと言われては続ける理由もない。ただ、後味の悪さだけが残った。それで、少しでも解消するために、書いているのだけど、だいたい、わたしは財布にいつもぎりぎりしか入れていない。その日も、買い物の予定がある分を除くとほとんど残らなかったし、そのために、バス代をけちって歩いていたのだ。でも、どうすればよかったのか。仮に自分が帰れなくなったとしたら、どうしたか、どう説明したか、等々。 もやもやすると言えば、やはり、先週の京都で、出町柳でおやっと思ったことがあった。エスカレーターの左側に立つひとがおり、右側にも立つひとがおり、つまり、片側を空ける、空いた片側を歩くという大阪ルールが適用されていなかった。観光客が多いからだろうか。いつもかどうか、そのときたまたまなのか、京都はどこでもなのか、出町柳だけなのか。いずれにしても、いまだ左側を空けずに立っていると、苛立たしげな扱いや視線を受ける大阪とちがうな、と思った。
行き場を失くしてる感に、仕事のことで追い討ちかけられているような一週間だったからか、金曜日は、いつ眠ったのかもわからないくらいだった。午前1時少し前に目が覚めて、どうしようか迷ったけど、モバイルルーターの充電が切れていたこともあり、がんばって二階の隔離部屋に。Bandcampの手数料還元デーということで、帰ったら、買うぞと思っていたのに。
夕方、買い物に出ようとしたら、郵便受けに誠光社から、安田謙一さんの『ライブ漫筆』と聞き書きということでか著者名は記されていない(実質的には京都新聞社の樺山聡さんによる)『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』が届いていた。このところ、暑さやなんやかんやで本が読めてなかったので、リハビリにと思っていたのに、夕食後、『喫茶の一族』を一気に読んでしまった。『流れる星は生きている』を思わせる…と思っていたら、すぐに同書の引用もあった戦争末期の満州から、出会いと紆余曲折が続くファミリーヒストリー。あと少ししかページが残ってないのに、えっ、まだ、と静かに手に汗握ることになってしまった。六曜社と珈琲の話が中心だけど、オクノ修さんの音楽活動についても、もちろん、詳しく触れられている。面識のあるひとのお名前がたくさん登場されているけれど、佐藤幸雄さんの名前も。はちみつぱいのライヴ録音で発掘された本多信介さんとの共作についても書かれている。人伝に聞いてるだけの「名なし」「むい」「カルコ」といった店のことも。 きょうは、午後から出られればと思っていたのだけど、玄関のリフォームの打ち合わせがあって、断念。なかなか西への県境越えがかなわない。 |
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9月12日(土) | 【▼ぐりぐらメモ/2020年9月12日】
ものわすれブルース。月曜日、帰りに駅前のカフェに寄り、通院のための準備をしようと思ったら、下書きをしていたテキスト入力機を家に忘れてきていた。しかたがないので、ラジオか配信の聞き逃しを聞こうと思ったら、イヤホンを仕事場に忘れてきていた。通勤の行き帰りにちびりちびり読もうとその日の朝から読み始めていた安田謙一さんの『ライブ漫筆』の残りをそこで最後まで読み終えてしまった。 安田謙一さんの『ライブ漫筆』の読んでほしいひと向けのポイントをあげようと思ったのだけど、読み終えてから読んだ裏表紙とオープニングSE(まえがき)に言い尽くされていた。待ち時間とか幕間BGMとかバック・トゥな感慨とか。丁寧としか言いようがない。モッキー、2015年の来日コンサートに行きそびれて後悔した、という2016年の来日コンサートについての安田さんの文章を読んで後悔して、去年の来日コンサートに(やっと)行った。そして、やっぱり「去年もよかったけど、今年もよかった」と「おれも言いた」くて、今年、5月28日(木)に予定されていた「味園ユニバース」でのコンサート(共演は角銅真実さん)にも行くつもりだったのでした。 という訳で、火曜日、月一回の通院のため、とっとと帰宅。まだまだ暑く、早々にパソコンを閉じて、寝床に入った。翌朝、パソコンを閉じてからのツイートを辿ろうとして、遠藤豆千代さんの訃報を知った。猥雑さを身をもって任じていたひとだったけど、わたしにとっては、まず、放たれたあともそこに漂い続けているような声を持ったヴォーカリストでした。雲散霧消しない、力のこもった歌が好きでした。ウイルス対策で、勤務地が遠くなっていた頃の名残りで、いまも早くに起きているのだけど、しばらく、youtubeにある、きちんと作られた映像をハシゴして見ていた。「一人」とか「塀の上で」といったカバーが含まれていることを、善良な音楽好きに伝えたい気もするけれど、そこだけ言うのもな、ちゃうよな、と窘められる気がする。
そう そゆことだね
木曜日、朝起きて、窓を開け、あれこれ準備を始めたが、まだ暗い。あれ、もうこんなに季節が進んだか、昨日までそんな風に感じなかったのに、と思ったが、曇っているだけだった。 金曜日、朝、ジョニ・ミッチェルのアーカイヴシリーズの発売を知る。未発表録音入りのボックスセットを拒んでいるようにも思えたジョニさんがついに。第1集は、1963年から1967年まで、デビュー前のデモ、ライヴ録音、ラジオ出演を収録、とのこと。フェアポート・コンベンションが演奏しているけれど、ジョニさんの録音は正式には発表されていなかった "Eastern Rain" も入ってる。でも、なんだか、海外のものが「届く」という実感を失っているところがあって、買えるのだろうか、とも思っている。海外通販があたりまえになる前の時代に戻ってる。 |
2020 Kijima, Hebon-shiki