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2020年7月5日〜2020年7月11日


7月5日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2020年7月5日】
 今年に入って、何度目かの事務所引越し作業。いっときは全社員の1/3を擁した分室は、ほぼ解体となり、事実上、派出所の位置づけに。常駐するのは、窓口となる責任者クラスのみに。あるべき姿とは言えるのだけど。業績を上げていたからではあるけれど、お客さんに合わせて業務形態も自社とは違っていて、独立した行政機能も持っていたのだけど、今後どうなるかわからない。ちなみに、わたしが常駐組なのは、「責任者クラス」だからではなく、当該業務の担当者がわたしひとりだから、で、そのために持ち出し不可能(なので、つまり在宅勤務も不可)な環境をあてがわれているから、です。偉くはない、と言っておかないと。誰にや。

 という訳で、仕事場が再編され、一時措置もあって、6月と比較すると、ひとが増えました。6月は、16時以降は「シマ」にわたしひとりとなっていたので、マスクが外せていたのだけど、それも終了。家と駅の間は、誰とも対面しないので、外している。駐輪場や駅に着いたらマスクをするというのはちょっと面倒なのだけど、感染がひどくなる前はそうしていたなと思い出して。暑くなり、ポケットが少なくなったので、暫定対応の備品を持ち歩くのは大変なのだけど。一階と二階の間でも、あれこれ忘れがちなのに、外で置き忘れてしまったら、と思うと。

 水曜日、帰りに、仕事場最寄駅近くのスーパーとその中の簡易カフェに。その前には、再開した図書館にも。氏名と連絡先の記入が必要。あまり見て回ることはしなかったけれど、展示のチラシなどを少し見てみたり。接触を避ける観点から、チラシも撒きにくい状況になっていて、チラシ好きとしてはつらい。簡易カフェでは、ぽちぽちとメモとり。できるだけのことをやって、いつもどおりを保てるかどうか。おそるおそる。

 木曜日、勤務地が離れてしまった同僚が切羽詰まっているようなので、朝、対策をIPで送ったら、同時に電話がかかってきた。きちんと考えるひとなので、できるところできないところの見定めもちゃんとしてる、という訳で、対策を擦り合わせる。会社に対する文句も臆することがないので、はらはらするけれど。IPやメールは検閲可だから。こういうとき、直に会って話ができないのが困る。金曜日の定時に向けて、逆算して、こちらでできることを引き受ける。わたしの作業量が増えると、請求が増える訳で、お客さんからすると、なんでそんなにかかるんだということになるのだけど、それはもともとのお客さんからのディレクションに不備があるからです。と文句を言われたら、言い返そうと思っているのだけど、まだ言われていない。
 帰りに、かしぶち哲郎さんの『リラのホテル』を聞いていて、ちょうど乗り換えないといけないところで、「屋根裏の二匹のねずみ」をうっとりと聞いていたら…乗り過ごした。

 金曜日、あれこれインタラプトが入ったものの、なんとか予定していたところまで定時に漕ぎつけた。急いで帰って、20時にはパソコンの前へ。ニヒル牛20周年記念のニヒル牛フェス配信版で、よしこストンペアのライヴ。佐藤幸雄とわたしたちのときの失敗を踏まえて、直前に起動させて、開始に備えたのだけど、開始が遅れたことが関係するのかどうか、やはり、始まっても、固まってしまった。再起動させたら、ちゃんと見られるようになった。再起動にはそこそこ時間がかかるので、困る。このメモ、困ってばかりですが。マンボウ★no5さんの展示が始まったところということで、ディスプレイは演奏の背景になることも考慮されたものになっていたのだとか。小さなスペースでもひろびろとしたものを感じさせるよしこさんの動きや歌、展示箱の向こう側で見え隠れしていることでどこからともなく鳴っているかのようなイシダストンさんの演奏が、「ニヒル牛」という場所の奥行きを感じさせるものになっていた。選曲も、ひとつひとつの箱を応援するようなものになることを意図されているように感じた。

 土曜日、ひさしぶりに外出、だったのだけど、雨が降ったり止んだり。そろそろ出ようかという時刻に、母親が昼寝していて、雨が収まるのと、母が起きるのを待っていたのだけど、雨も止まない、母も起きてこない、で、予定をひとつ断念。雨が降っていたら、歩いて移動できないし(あと起こった小さなアクシデントにより、結果的にはよかったのだけど)。
 大阪天満宮南「音凪」でのベートルズ、しょうにゅうどうのライヴを聞きに。3月末の池間さん以来の空気振動直聞き。ベートルズは、ことさら荒立てないけどまったくさりげなくない歌と現状の困難についての話が地続きになっていて、谷川俊太郎さんの詩の朗読とともに、気持ちよいだけでない鎮まった時間を作り出していた。しょうにゅうどうは、河合愼五さん(カタリカタリ、百景借景)と西本さゆりさん(Ett)のデュオ。去年初めて聞いて感激した河合さんと大好きなEttの西本さんのデュオ!ということで聞きたいと思っていたのだけど、視線の先に手を振って声をかけるような、手元にことんと着地する歌がたくさん聞けて、とてもよかった。まだ録音物はないのだけど、配信ライヴでいくつかの曲が既に馴染みになっていたことで、着地感が増していたかもしれない。Ettの好きな「右左」と百景借景で演奏されていて感激した「ロドリゴ」も演奏してくださって、うれしかった。3月以来です、と伝えたことがプレッシャーになったかもしれなくて、申し訳なかったですが、どうしても聞きたい、ということがなければ、動けなかった。
 ツイターで見かけて気になっていた名古屋の「芸処」についての本、『芸処名古屋』を西本さゆりさんが持ってきてくださっていたので、購入。
 前述の小さなアクシデントというのは、雨がちということで、厚底の靴を選んで出たのに、天神橋筋商店街を歩いている途中で、底が剥がれてしまったこと。ぺったらぺたらこぺったっことなってしまった。

 きょうは晴れていたけれど、晴れているなりにやることがあって、午前中はばたばた。正午近くにクリーニング店に行ったら、ビートルズの "Good Night" がかかっていて、面白かった。ええかんじや。そう言えば、ベートルズ…さんが、よく似た名前のバンドのカバーを2曲演奏されたのだけど、1曲目が昔々友人の結婚披露宴で急遽歌うことになったとき歌った曲で、2曲目が最初そのために選んだものの「マイナー過ぎて賓客にわからない」と却下された曲だったので、個人的に感慨深かった。しかし。"Here, There, And Everywhere" と "I Will" の知名度の差ってあるのか。
 午後から、前日出かけて以降のツイター書き込みを読んでいたら、「山下達郎 Sunday Songbook」を聞くのをすっかり忘れていた。落ち着いてから、radikoタイムフリーで聞いた。ジャニー喜多川氏一周忌ということで、「初代ジャニーズの洋楽アプローチとアメリカ進出計画」特集。なんと、お蔵入りになったアメリカ録音がいくつか放送されるということで。The Johnnysの米盤シングルAB面、お蔵入りした録音から、伝説の「Never My Love」、アソシエイションの発掘盤の解説に a big Japanese group とあるのがジャニーズではないかと推測していた「Autumn Afternoon」に加えて、知らなかった「The Visit」(のちにサークルが録音)が聞けて、驚いた。未発表録音は、スタジオでのやりとりも含まれているので、録音確認用のアセテート盤なのだろうか。ようやく聞けた初代ジャニーズの「Never My Love」は、アソシエイション版にあったエンディング部分がなかった。あのエンディング部分はオルガンのフレーズを含めて大好きなので、あおい輝彦さんのライヴアルバムに収録されたバージョンは、途中で終わっているように思えて物足りなかったのだけど、確かに「正調」Never My Loveだったのでした。

7月6日(月)
[一回休み]
7月7日(火)
[一回休み]
7月8日(水)
[一回休み]
7月9日(木)
[一回休み]
7月10日(金)
[一回休み]
7月11日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2020年7月11日】
 書き忘れていたこと。先週の土曜日に外出したとき、結局、母が昼寝している間に出たのだけど、ちょうどメモ用紙が切れていて、あとでメールすることにした。傘も自転車もない、そこら中、開いていた窓や扉は閉めてあるからわかるだろう、と。ところが、帰宅してから聞くと、どうやらなかなか「居ない」ことに気付かなかったらしい。ウイルス感染防止対策でふだん二階に居るようになったから、二階に居ると思っていたらしい。声をかけても返事がないのは寝ているからだ、と。ふだん二階に居るということを失念していた。失敗。

 書き忘れていたこと、二。6月末まで会期が延長されたものの、大阪府知事の一方的な「兵庫県との」往来を控えろという表明のせいで、どうも感染者がいまもって兵庫県より多い大阪府民として引け目もあって、積極的に行く気力が無く、結局行かなかった「メスキータ展」の図録が先週の金曜日に届いた。発送の連絡があったら、母に伝えることにしていたのだけど、何故か、連絡がない状態でいきなり届いた。判型が縦に長かったために、箱が思いの外大きくびっくりさせてしまった。
 ところが。今週、火曜日に発送の連絡が来た。もう一冊届いたらどうしようとちらっと思ったけれど、連絡が手違いで遅れただけであろう。いまのところ、もう一冊は届いていない。

 書き忘れていたこと、三。先週の金曜日の朝、以前、よく同じ車両に乗り合わせていたのに、一月半ばくらいから見かけなくなっていたひとを、ひさしぶりに見かけた。早い便に乗られていったので、勤務時間か(また)勤務地が変わったのかもしれない。いや、別に面識も何もないけれど、ちょっと佇まいが気になるひとなので。冬は電車の中でも手袋を外さなかったり、空いている席には目がなかったり。元気そうで何より。あと見ていないのは、いつもつんのめりそうになりながら、たったったっと定位置まで駆けてくる小さい子と、そのあとを追いかけてくる母親の親子かな。4月を越えて、事情が変わってしまったかもしれない。寒い時期には動物の被りもののような頭巾を被っていて、覚束ない足取りで駆けてくる様子がいいなと思っていました。何を記録しているのだ、というかんじだけど、見かけなくなってひさしいからか、書き留めておきたい気持ちになっている。

 月曜日、ひさしぶりに残業した。申請は2月末以来だったので、4か月振りということになる。申請しないで…ってこともないこともないのだけど、昼間のぼーっとしてる時間と相殺できる範囲にとどめている。それに、排出量取引みたいだけど、トータルで残業時間が減れば、もしくは残業するひとが少なければ、しなあかん若い衆がやっていても多少大目に見られるのではないかという考えもあった。ところが、だんだん、しなあかん若い衆にも追求が及んでくるようになってしまった。という訳で、今回は、4か月も残業していないおっちゃんが若者の作業を肩代わりすることにしたのである。

 早々に事務所にひとり、となったので、マスクは外すわ、音楽はかけるわ、好きにさせてもらった。浮き立つかんじは欲しいが、騒がしくないものということで、選んだのは、ゲイリー・マクファーランド。それにしても、iPad mini、音楽を聞くのにしか使わないと、充電が持つ、持つ。ツイター、どれだけ容量と電源をくっていたのか。
 ただ、帰りの施錠のとき、念タメ確認を忘れた、ことに、電車に乗ってから気付いたため、翌朝まで落ち着かなかった。電子キーと物理キーの二重施錠なのだけど、通常の、かけた、ノブをがちゃがちゃ、開かない、よっしゃ、ではダメで、電子キーでピッ、それでも開かない、ということを確認しなければならなかったのだ。大丈夫だったけど。

 外出中にツイートを読まないようになったので、残業が長引くと、未読時間も増えて、帰宅してから追うのが大変なのだった。全部見ることは、誰にも頼まれていないけれど。半日分を一時間と少し。音楽を聞きながらだったり、留守録したラジオを聞きながらだったり、テレビをちらちら眺めながらだったり。それでも、それを読み終えるのがせいいっぱいで、読み終えると、ノーリアクションで、パソコンを閉じるのでした。あとは、寝床で、オフラインで、留守録したテレビやラジオの番組を視聴しながら、眠くなるのを待つというかんじです。

 仕事に出る前に、サンテレビの『赤毛のアン』を途中まで見るのが習慣になっていたのだけど、火曜日の朝、見始めて、すぐに止めた。帰宅してから、録画したものを見た。マシュウ・カスバートが亡くなる回だったから。朝からは見られない。そこから最終回までは3回。朝見ないで、録画することにした。きちんと、ていねいに、感じていることや考えていることを言葉にすること、それがそのひとの強さになる、そのことを辛抱強く見せる作品だったことを改めて思った。アンの煩さが、アンや周囲のひとたちの強さに変わっていくことを、ほんとにゆっくりと描いていた。
 金曜日の最終回を見たあと、同日に留守録した映画『ミネソタ大強盗団』を見たのだけど、描かれている時代がほぼ同じであることにしみじみしてしまった。カナダとアメリカ南部では、まったく事情がちがうのだけど、どちらにも「銀行の破産」が出てくる。『ミネソタ大強盗団』は、野球の初期の試合の場面もあり、西部劇というよりも、開拓時代の終わりを描いたような映画で、予想外な面白さがあった。

 ツイートで、エンニオ・モリコーネの訃報を知る。多彩な作家なので、ほんの一部、とても好きな映画音楽がある、ということしか言えない。気になったら、モリコーネ作品ということも多かった。特に、ということで言えば、福岡で仕事をしていた頃に愛聴していた「FM福岡」の映画音楽番組「ユア・スクリーン・ミュージック」で知った『新・殺しのテクニック/次はお前だ GIORNATA NERA PER L'ARIETE』の "Giocoso, gioioso"。なんだかインチキっぽいサントラCDを後日手に入れたら、テーマ曲もよかった。映画そのものは、Youtubeが見られるようになってから、見るだけ見た。あと、ここんとこは、ソロウズがファミリーの曲をたくさんカバーしているアルバムの復刻盤CDにボーナストラックで収められていて、ふむふむと聞いていたのにもかかわらず、解散前のラブジョイがカバーしたのを聞いたときに不覚にも気付けなかった『イタリア式愛のテクニック COME IMPARAI AD AMARE LE DONNE』の "Pioggia Sul Tuo Viso (君の顔に雨)"をよく聞いてました。ラブジョイ版はもう聞けないけれど、bikkeさん、また歌ってくれないかな。

 水曜日、朝、外の台風のような豪雨のものすごい音で4時台に目が覚めた。ずっとそれが続いていたので、電車が止まるかもしれないと交通情報をチェックしながら、すっかり休むつもりでいたのだけど、出る時刻が近付くにつれて、風雨は収まり、傘なしでも歩けるくらいになってしまった。これでは、休む口実がない。てなことを考えると、在宅勤務では、電車が止まることを理由に休む、切り上げて帰宅するということがないのだな。
 木曜日も金曜日も、不安定ながら、通勤の間はそんなに酷くならなかった。でも、不安定なので、妙に急き立てられているようなところはあった。できなかったことを少しずつやれるようにと、駅の休憩コーナーで本を読んだり、ぽちぽちとメモをとったりするようにしようとしているのだけど、「起こってないこと」ことへの念タメが基調になってしまっている。

 きょうも、まあまあ降ったり止んだりということもあったのだけど、結局、出られなかった。さっき、駅の休憩コーナーについて書いたけど、以前に比べて、そこを利用するひとが増えているような気がする。「店」に行きにくい心理が働いている。うつるというよりも、うつしたらと思うと。店にとっては、行くほうがいいのに決まっているのに。
 母が「最近あんたともあんまり話してないから、ひととどう話したらいいのかわからんようになってきた」というようなことを言う。いや、ウイルス禍の前とそんなに変わらんと思うけどなぁ、と思いつつ、罪滅ぼしに、20時からの配信は見送らせてもらって、「ブラタモリ」と「カネオくん」を一緒に見た。気持ちよく一緒に見られる番組は限られているので、その時間は一緒に居る、のは以前からの話なのだけど、確かに、傍らででも見るのがつらい番組のときに、ソシアルディスタンシングを口実に早々に二階に引きあげがちではあったかもしれない。そのあたりをさとられているかも。
 配信はもう終わってしまっているだろうなと思いつつ、行ってみたいけど行けてない店のひとつ下北沢「lete」でのyojikとwandaの演奏にアクセスしてみたら、21時から二部とあって、そのまま見させてもらった。「短い邂逅」、「わたしの歌」、「本を読む」の連作のような3曲も聞けました。

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2020 Kijima, Hebon-shiki