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2020年6月21日〜2020年6月27日


6月21日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月21日】
 店にあまり行けないし、行けたときも見当たらないということで、なかなか手に入れられなかったものを先週末にあきらめて通販で頼んだものが、月曜日に届いた。今回は、通勤途中の乗換駅近くのコンビニで受け取り。帰りだったら、そんなに混んでもおらず、ついでにちょっと何かか買って、駅の休憩コーナーで開梱できるかな、と。休みの日に届くと焦ってしまうので、月曜日到着がうれしかった。
 CDが二枚。ひとつは、アクサク・マブールの40年ぶりの、あとで発掘された未発表アルバムを含めると、第4作 "FIGURES"、2枚組。インタビューの翻訳や解説が同封された日本盤で、2枚組なのに、1枚もの価格でありがたし。もうひとつはニール・イネス "HOW SWEET TO BE AN IDIOT (Expanded version)"。今年になって発売されたのは知っていたけれど、某通販サイトに掲載された曲目が、オリジナルのままで、どこがExpandedなのだ、と訝しく思い、それなら編集盤 "RE-CYCLED VINYL BLUES" で全曲聞けるからええやんかと放置していた。思い立って、Discogsで見てみたら、シングル5枚AB面の10曲がちゃんと追加されていた。あらら。

 "HOW SWEET TO BE AN IDIOT (Expanded version)" は、"RE-CYCLED VINYL BLUES" と比べると、ザ・ワールドのシングルAB面の代わりに、ボンゾ・ドッグ・バンドのアルバムに入っている曲だけど、何故かニール・イネス名義になっている "Slush" b/w "Music From Rawlinson's End" が収録され、75年のシングル"What Noise Annoys A Noisy Oyster"を追加、で、アルバムと別アレンジの"How Sweet To Be An Idiot"シングルA面がやっと入った。
 ほいで再現したもので聞いてはいたけど、最初から聞き始めて、6曲目。アルバムB面に差しかかったところで、えっと固まってしまった。そこに入っていたのは、華麗なストリングスやバンド演奏が入った "How Sweet To Be An Idiot"シングルバージョンだった。そして不安な気持ちのまま、追加パートの14曲目に。シングルバージョンと書いてあるけれど、アルバムバージョンでした…差し替えられているのだ。なんでやねん…。
 ボンゾ・ドッグ・バンドのアルバム収録曲だけど、ニール・イネス名義になっているシングル "Slush" b/w "Music From Rawlinson's End" については、犬伏功さんが芽瑠璃堂サイトで連載している「Another Tricky Day」によれば、発売中止になったものだそう。B面はスタンシャルの語りを抜いて、イネス作曲の音楽のみになっている。それで、イネス名義になっているようだけど、不思議な企画だと思う。プロモ盤には、両面に「B」と記されているようで、それも可笑しい。"How Sweet To Be An Idiot" のシングルバージョン(間違って記されているけれど)だけではなく、"Music from Rawlinson's End" も今回の復刻CDの目玉なんやな。

 アクサク・マブールの "FIGURES"、奇妙で柔らかいシャンソンというかんじで、やはり良い。一度通しで聞いただけだけど、いつの間にか22曲聞き終わっていた。…取り急ぎで、つい、配信版で聞いてしまって。日本盤は、2枚目の最後に3曲、追加収録がある。彼らが制作に加わっているスタッブルマン Stubbleman の "Griffith Park" の別バージョン、2020年4月3日発売のデジタルシングル "Silent Silhouettes"、デジタルシングル版 "Tout A Une Fin"(2020年2月21日発売) のB面 "Blaue Bleistift"。

 今週の音楽。●何故だか、突然の10ccブーム。いろんな時期のものを思い立ったら、かけられるという手軽さから、持っていないボックスセット "TENOLOGY" を定額制配信で。シングル曲は、しばらくシングルバージョンでしか聞いてなかったな、と思わされたりしながら。テーマごとにまとめられているのか、必ずしも年代順に並んでいる訳ではないのだけど、オリジナルアルバムにも移れるので、頭の中でつなぎながらあれこれ。"I'm Monday, Fly Me" とか "The Second Sitting For The Last Supper" をカラオケで歌いたくなってしまった。●鈴木美紀子さんが紹介されていて、聞いてみたリンダ・コーエン Linda Cohen "LEDA"。どういうひとか、いつ頃のものか確認しないで、曲名も見ないで聞いたのだけど、クラシカルだけど、そんなにテクニカルなかんじでもない、がしっとおおらかなかんじのするガットギターによるインストゥルメンタル作品で、かすかに、ひょろひょろっとしたキーボードの音が入っているのがとても良い。初期クリムゾンのギター中心の曲の雰囲気もある。と思っているところに、ムソルグスキー『展覧会の絵』の「古城 The Old Castle」のメロディが流れてきて、うなった。ギターで聞きたい、というか、ギターをぽろぽろと鳴らしていると、このメロディをなぞっていることがありまして。最後のエレクトリックギターの曲もいい。という訳で、買いやと思ったのだけど、Discogsには、1972年発売のものしかあがっていない。復刻/再発されていないのだろうか。盤は復刻されていないのに、配信でだけ聞けるものはいろいろあるのでこれもそれか、と思いながら、検索をかけたら、どうやらあるらしい。でも、レビューによると、音はよくない、と。関係者の知らないところで出された海賊盤に近いものなのかもしれない。さて、そうは言うても。●数年前から闘病中であり、支援のための販売活動も行われていたピアニスト、キース・ティペットの訃報が伝えられた。少し前に、配信で聞けたティペット作品で聞けなくなっているものがあるという話から、少し探して聞いてみたりしていたところだった。ジャズのお洒落なBGM的オムニバスに収録されているのを見つけて驚いたり。でも、話題にする気になれず、同じ頃に見かけたクリムゾン "Cat Food" の復刻シングルも音だけなら持ってるからとスルーしたりしていた矢先だった。キース・ティペット・グループの二枚や "CENTIPEDE"、ジュリー・ティペッツのソロに親しみがある。配信では聞けないので、手持ちのCDから移して、クリムゾンの "ISLANDS" を聞いた。同曲に影響を受けていると思われる谷山浩子「船」も聞きたくなったけど、これも配信には無い。週末に聞こうと思っていたけど、まだ聞けていない。

 土曜日も日曜日も、感染予防のための外出しないモードが抜けていない。自粛とは言わない。何も申し訳なくないから。マスクを着けることを思うと、萎えるし。意味あるとこでは着けたいけど、形だけ着けるようなかんじになる場所ではつらい。通勤ルートを再開して、再会した同じ列車に乗り合わせるひとは、マスクを着けずに電子書籍を読んでいる。かっこいいな、と思う。

 夜、西荻窪「ニヒル牛」の二〇周年記念で予定されていたもののウイルス禍で中止になった「ニヒル牛フェス」の配信版で、佐藤幸雄とわたしたちの演奏を。ツイキャスで、ということで、事前にアカウントも作り、準備していたのだけど、始まっても、すぐに止まってしまう。細馬宏通さんの放送を聞いていたので、大丈夫だろと思っていたのだけど、どうも、メモリに問題があったみたい。再起動させたら、落ち着くようになった。30分ロスしてしまった。こちらを向くときはこちらを向く(筒から覗き込む)、演奏するときは聞いているひとに向かう、場所を見せる等々、工夫しながらの演奏で、力が入る場面がいくつもありました。

6月22日(月)  
6月23日(火) 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月23日】
 このところ、物忘れがひどい、と書くと、なんだか「記憶がまったくなくなってしまう前」のようになってしまうけれど、続いているので自省のためにメモしておく。自省してどうなるというものでもないけれど。

 その一。帰りにイヤホンがなく、仕事場の机に忘れた、と思っていたら、翌朝、いつも事務所に行く前にうがいをしたり、手を洗ったりしている、途中にある洗い場のとこに置かれていた。つまり、前日の朝、手を洗うときに忘れて、丸一日、置きっぱなしになっていたのだ。気付かれていたと思うけど、そのままにしてもらっていて、よかった。そこに置き忘れているとは、思いつきもしなかったから。

 その二。降雨予報が出ていた日、傘を持って出たが、朝のうちは降っておらず、自転車のサドルにかけたまま、駐輪場に置いて出てしまった。帰りはそこそこ降っており、仕事場に備えていたビニール傘でしのいだが、心配した傘はサドルにかけたままになっていた。

 その三。そのときに使った置き傘を再び仕事場に戻すべく、持って出たが、またしても、自転車のサドルにかけたまま、駐輪場に忘れてしまった。ビニール傘だし、なくなっていてもしかたないと思いながら帰ったら、まだちゃんとあった。そのまま家に持ち帰るしかなかったが、置き傘を持って出て、また持って帰ってきたということが発覚すると、しばらく言われそうな気がするので、自転車に挿したままにした。

 その四。Wi-Fiルーターは出かけるときに持って出て、帰宅したら、自宅PCのUSBコネクタにつないで、一晩充電する、というサイクルで使っているのだけど、帰宅してもカバンに入れっぱなしにしていて、充電を切らしてしまう。特に音楽を聞きに行った日の夜は、ぼんやりしていて、ついうっかりということが多い。逆に、充電のまま、持って出るのを忘れることもある。このあいだは、持って出るためにUSBコネクタから外した状態で、自宅PCのフタの上に置きっぱなしで出てしまった。いつか外でどこかに置き忘れるのではないかとひやひやしている。歳を取ると、持ち歩く必要があるものが増えるが、忘れっぽくもなるので、リスクがとても高い。

 その五、というかなんというか。書こうと思っていて、忘れていることがある。日々のメモはとっていて、サイトの日記(メモと称しているが)やツイートは、そのメモを元にしているのだけど、表に出す文を書いているときは、それらをまとめるというよりも、連想や勢いで、それらから引っ張り出してくるというほうが合っている。メモから連想して、別の話になることもある。で、問題は、メモは書いた、が、表には出さなかった、ということを、表に出したような気になっていること。書いてなかったっけということがよくあって。なんだか、もう、時系列も定かでなく。

 iPad miniから、Twitterのアプリを削除した。ということをサイトの日記に書いたように思っていたのだけど、書いていなかった。削除したのは、先週6月17日水曜日の朝。
 Twitterのアプリを削除したのは、メモリの確保のため。いつもほとんど残っていなくて、写真を数枚撮ると、もう撮れなくなる。それで、キャッシュを消したりしていたのだけど、面倒になってしまって。昼休みなどにちょいちょい見てしまうようになっていたこともある。帰りに、朝から夕方までの分をまとめて読んでいたのだけど、ひどい事件やひどい言葉、ひどい考えに遭遇することも多く、帰宅する頃にはすっかり元気を失っている、ということもあった。的の外れた、文句言ってるやつを黙らせたいだけの、お門違いの、明後日の方を向いた、でたらめな言葉を読まずにおればよいのだけど、「反応」を知りたくなって、つい見てしまって。

 帰宅してからパソコンで朝8時まで遡り、辿る。だいたい一時間くらい。だから、帰宅がてら読むのには時間的にはよかったのだけど。読み始めて、お、これはこのひとをフォローしていないあのひとに伝えたほうがいい話だ、と思ってリツイートする。そして、しばらくすると、あのひともフォローしているひとがちゃんとリツイートしてくれていて、ああ、する必要なかった、となったりする。読み終える頃には、眠くなってきていたりして、返事や反応ができないままだったりもする。夜中に目が覚めて、手元のiPad miniで見てしまう、ということもなくなった。写真を撮って、すぐに投稿できないのは不便かな。

 という訳で、以上、書き忘れていたことを書きました。

 月曜日、自宅最寄駅近くのコンビニで、通販物の引き取り。怪しいな、どうかなと思ったけれど、そんなに高くなかったので、リンダ・コーエン Linda Cohen "LEDA" のCDを頼んでみた。その店のイートインコーナーは、いま18時までで、もう閉まっている。大きな公園があればいいのだけど、通勤路にはない。少し行き過ぎて、団地の商業施設エリアのベンチで、開封してみた。…あかんやつでした。二つ折りのリーフレットには、バックインレイと同じ曲目が印刷されているだけ。内側の見開きは謎の風景写真。解説もクレジットも無い。配信で聞けるのと同じデータが入っているだけ。ううう。いいレコードなんやけどなぁ、リンダ・コーエンさんは、もう亡くなられているのだけど、きちんとした復刻はされないものだろうか。これなら、きちんとしたものが出れば、躊躇なく、買い直します。

 火曜日、帰宅すると、コンビニ受け取り不可の通販物が届いてた。ザ・ブルー・オックス・ベイブス TheBlue Ox Babes のCD "APPLES & ORANGES"。元ディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのギタリスト、アル・アーチャーが結成した「ケルティック・ソウル」バンド。今月の始めに、2009年に復刻されていたことを知り、定額制配信で聞いて、とてもよかったのだけど、通販サイトで見てみたら、既に廃盤で、高値が付いていた。気長に中古盤を探そう、と思っていたのだけど、先日、ニュースサイトにアクセスしたら、広告として、このアルバムのジャケットが出てきて、「セール」との赤い帯が重ねられていた。「タワーレコード」の広告で、アクセス履歴を元に表示してくるのだ。ほいで見てみると、国内流通盤が約半額になっていて、在庫もあるとある。店頭在庫があったのだろうか。ともかくも注文、したのが届いたのだ。ありがたし。こちらは、"LEDA" とは異なり、メンバーに取材して書かれた解説がブックレットに掲載されており、国内流通盤として、翻訳も付いている。バンドの写真や3枚のシングルのカバー、プロモーション映像のキャプチャーなどがカラーで掲載されている。手に入れることができて、よかった。

6月24日(水)
[一回休み]
6月25日(木)
[一回休み]
6月26日(金)
[一回休み]
6月27日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月27日】
 コロナ、コロナと呼ぶことに違和感があって、短く言うときは「ウイルス」と呼んでいるのだけど、また、なんだか妙に意地を張っているみたいなかんじになっている気がしなくもない。早いとこ、2020年に流行した新型ウイルスに、穏当な名前が付かんかなと思っている。「新型」なのは今だけだから。ただ、中国を叩けば「サヨク」が嫌がるだろうという妙な思いこみから行われる嫌がらせとしての地名や国名を付けた呼称は論外、とわざわざ言わなあかんのが腹立たしい。

 そうした嫌がらせをするひとたちが言う「サヨク」は、「ただただ文句を言うだけの連中」だが、彼らはそれらをただただ黙らせたいだけの連中のように思える。文句を言うやつが気に入らないので黙らせたい、そのためには嫌がらせをしてもかまわないと考えている。もっと言えば、嫌がらせをしたいという欲求のほうが先で、そのために文句を言うやつを対象として選んでいるようにすら思える。そうしたひとたちにとっては、「文句を言う」ということも、嫌がらせにしか見えていない可能性がある。嫌がらせしている連中に嫌がらせしてもかまわないだろう、彼らがいつもやってることを仕返しているだけだから、という認識というか暗示があるのではないか。

 中国を叩くことはサヨクへの嫌がらせになる、という思いこみはすさまじく、行政優先のためには排除もやむなしという彼らの基本姿勢に反しても、香港の反中国デモを応援したり、中国政府によるチベットやウイグルへの抑圧を告発したりしている。それを持ち出せば、サヨクが黙るだろうと思いこんでいるのが謎。そうした連中が「寄って」くるのが面倒だから、チベットやウイグルへの中国による救済の名のもとに行われる民族浄化に言及しにくい、という面はある。のが面倒だ。

 「民主党」も中国と同じ。「民主党」を叩けば、サヨクへの嫌がらせになり、黙らせることができると信じている。彼らがサヨクと呼ぶところの何かには、行政の失敗や社会の構造的な歪みを批判するひとたちが含まれていると思うけれど、そうしたひとたちは、民主党政権に対しても、批判していた。むしろ、時の政権への批判をこじらせて(という言いかたに偏見があるとの誹りはあるだろうけれど)、拝外主義や陰謀論に傾いていった者すら居た。実際に、民主党政権時に政府批判や行政の不備の指摘をすると、拝外主義者たちが「そうですよね」と寄ってくるのが疎ましかった。いや、わたしはあんたらとはちゃいますよ、とわざわざ言わなあかんのが面倒だった。

 平和、差別、反戦、権力、なんてキーワード検索して、そうした言葉を使っているのは、すべて、「サヨク」だと妄想して、ろくに読みもしないで、嫌がらせするのだ。つける薬はない、と言いたくなる。
 キーワードを使うことで立場を表明するということはある。肯定するにせよ、否定するにせよ、思考停止を誘うところがあり、わたしは懐疑的なので、そうしたキーワードをできるだけ使わないようにしている。キーワードでひっかかって嫌がらせしてくる連中が湧いてこないようにという気持ちもないことはないけれど、そこで停止してしまうひとたちに説明を試みたいという気持ちもある。

 また脱線してしまった。今回のウイルス禍の影響が、自分の仕事にも出始めた、ということを書こうとしていたのだった。もともとくすぶっていた経費問題が今回のウイルス禍で露わになり、無理筋と思われる方向の動きが出てきていて、チームの急な再編が発表になった。大阪市内勤務から、元の職場に戻り、落ち着いて業務の充実を図ろうとしていた矢先に、またメンバーが異動する。今回はわたしは動かないのだけど、いまの仕事が無くなる可能性も出てきて、落ち着かない。矛盾しているようなことを言われたり、やられたりしていて、みな、やる気が下がっている。
 金曜日にエアコン(室外機)が壊れたのはダメ押しやったな。よりにもよって、ものすごく蒸し暑い日に。止まることを承知でスイッチを入れる、しばらくするとエラーが出て止まるのだけど、止まると、見なくても、わかる。急に暑くなるから。エアコン無しでは危険な部屋だということは再認識できた。
 再編で、異動させられる同僚が「きじまさんと離れるのが嫌だ」と言っていた、らしい。いや、全然、親愛の話ではなくて、厄介な問題について相談しにくくなる、ということなのだけど、それでも、まぁ、あてにしてくれているのはうれしい、と日記には書いておこう。

 仕事場ではエアコンが壊れたけれど、家ではトイレが壊れた。床が妙に濡れているので、探ったら、タンクから水漏れしていた。水回りの業者に見てもらったら、古くて部品が無く、修理できないという。うーん、ここに来て、新調か。特別定額給付金は、急ぐひとが居るだろうから落ち着いてからでいいやと考えていたのだけど、そうも言っていられなくなってしまった。という訳で、きょう、入れ替え工事でした。最初、二日かかるというような話で、ではその間どうすんねんと思っていたのだけど、二時間で完了した。それでも、なんだか、工事している間、したくなってきてしまって、困った。

 チューリップ『財津和夫 二十歳の頃の作品たち』が届いた。財津さんの事務所が2018年にツアーグッズとして発売したと思われるもので、1971年に自主制作で発売された第一期チューリップ(財津和夫、吉田彰、宗田慎二、末広信幸)の4曲入りEP(柱時計が10時半/ええとこの子のバラード/鼻毛の唄/ママがパパを愛したように)を復刻したもの。そんなものが出ていたとは。「柱時計が10時半」だけは、1978年のラジオ番組で放送されて聞いたことがあった。ボーナストラックのような扱いで、やはりその番組で聞いたザ・フォーシンガーズの録音も入っている…とここで、42年前の曲名聞き取りミスが発覚。曲目ノートには「ホーチアキ森ふくろうの歌」とメモしてあるのだけど、正しくは「ちぃほあき森 梟のうた」でした。用字はともかくとして、ちぃほあきをホーチアキ。しっかりしろよ、わたし。「柱時計が10時半」も「柱時計の十時半」と書いていた。他にも、「夕陽を追いかけて」が「夕日を追いかけて」になっていた。はらほろひれ。
 『財津和夫 二十歳の頃の作品たち』は、盤起こしによるCD-R。割高だけど、いたしかたなし。フォーク・クルセダースと同様のものが感じられる。「ええとこの子のバラード」は宗田慎二さんの作曲。「鼻毛の唄」は、ライヴアルバム『LIVE! ACT TULIP VOL.2』に収録された「君の鼻毛は長い」の原型。それで、その、「ちぃほあき森 梟のうた」。観客を前にした演奏のライヴ録音のようで、手元のエアチェックテープには無い曲名アナウンスとイントロ、最後に拍手が付いている。ラジオの公開録音だろうか。一方で、2:34と2:36の二か所、一瞬ドロップアウトするところがあるのだけど、エアチェックしたものには無い。録音そのものは同じだと思う。素材として提供すれば、補正もできるかと思うのだけど、伝手はなし。悩ましい。

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2020 Kijima, Hebon-shiki