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2020年6月14日〜2020年6月20日


6月14日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月14日】
 元の仕事場への出勤、復帰第一日は先週の金曜日だったのだけど、前倒し進行のまま目が覚めて、そのまま早めに家を出てしまい、仕事場最寄駅の休憩コーナーでしばらく佇むことになってしまった。だからというのはおかしいけれど、「通常運転」は今週の月曜日からということにする。仕事場が一時的に移転した頃に始まったサンテレビでの『赤毛のアン』再放送は、クリスマスのコンサートの練習が始まっていた。(それにしても、NHKのドラマ『花子とアン』は、村岡花子の伝記なのに、エピソードをアニメの『アン』に寄せすぎていて、『アン』を見ると、そっちも思い出してしまうので困る。)

 まだ戻ってきていないひとの荷物はそのままで仮営業のようなかんじでしばらく仕事をしていたのだけど、水曜日に見切りで片付けることに。ちょうどそのとき「急な話だけど、今日中に」という仕事の依頼があり、ほとんど手伝えなかったのだけど。やはり疎開か在宅勤務していた近くの別会社のひとたちも戻り始めた。通勤電車も日に日に密に。よく乗り合わせる麗しのひとも見かけるようになった。それだけを支えに耐えているけど、間隔を空ける、なんてどこの世界の話という気がする。間隔を保とうとするほうがヘンなひとみたいだ。点字ブロックの上に並ばない、という意志を示していることで、たぶん同時刻に乗るひとにとっては、既にヘンなひとということになっていると思うのだけど。間隔を空けることの効果は実際のところどうなのだろう、という気はする。NHKは、Social distancingを「思いやり距離」と呼ぶようになったけれど、確かに、身近なひとへの感染を防ぐために間隔を空けるときはそう言えないこともない。でも、見知らぬおっさんが無遠慮に近接したり向かい合わせに立ったりすることに対しては、こちらからうつさない、ではなく、そっちからうつされる、ことへの拒否になる。

 人混みからできるだけ距離を置くのは、ウイルス禍に始まったことではく、ふだんからそうだったのだと、改めて思い出したりして。ゆっくり歩いて、間隔をあける、とか。急がない。みんなが急いでいるということが前提ではあるけれど、急がないことで、ある程度、人混みから離れることができる。ただ、以前とちがって、緊張は解けない。

 ウイルス禍に対応して過ごすことを「新しい日常」などと言っている。日常に新しいも何もあるものかと思うし、ニュー・ノーマルなんて言い換えがあると思うと、何言ってやがんだという気持ちになる。日常は、ノーマルやないぞ。普段どうしてますかと訊きはしても、普通どうですかという質問は喧嘩腰になりかねない(答えがある程度決まっているから)。日常や普段はひとそれぞれだけど、普通やノーマルは規範意識を伴う。そうしたものに置き換えられてはたまらない。

 帰宅後は相変わらず、ストレスがあるからか、パソコンの前にたどりついてもぼんやりしていたり、眠くなってひっくり返ってしまうことが多い。

 金曜日は、雨が降っているということもあり、濡れずに行ける水無瀬「長谷川書店」に。博物館特集の「POPEYE」と畦地梅太郎『山の眼玉』 (ヤマケイ文庫) 。「POPEYE」を買うのは初めてなんではないだろうか、シチーボーイではなかったので。後者は、知らなかった本は見かけたところで見かけたときにできるだけ買う、の法則で。 

 土曜日、雨だったけど、二か月半ぶりに県境越えすることに。行きも帰りも、各駅停車で。6月末まで会期延長された小川賀子さんの「わたし、ブレーキゆるめてみ展2020」を覗きに京都・二条「ワタシノ」へ。晴れてたら、自転車を借りるところだけど、大宮からなら歩ける(学生のとき、二条付近の夜勤のバイト先から歩いたことがあった)と踏んで。二か月半前もざざ降りだったので、ショートカットした気分。車が遠慮なく水たまりを跳ね飛ばしてくるのには閉口したけれど。三条会商店街は屋根があるので、しばらくそこで足元を乾かすことにしたのだけど、姉坊城児童公園に辿りついたらすぐと思っていたのに、細い路地になかなか気付けず、しばらく周辺をぐるぐると歩き回ることに。住所をiPad miniに送って、標準の地図を開いたのだけど、中京区西ノ京勧学院町1-14の「-14」が割愛されてしまい、しかも細い路地が表示されていなかった。歩いていて、ここか、と思って入ってみた路地にあったのだけど、帰宅して、Google地図を見たら、ちゃんと路地もわかるようになっていた。何度も失敗しているのに、手軽さについ、頼ってしまったのが間違いだった。

 「ワタシノ」は、ふだんケータリングをされている店主が回り持ちで運営するスペースとして4月末に開いたお店。小川賀子さんの展示はそのオープニングイベントで5月末までの予定だったのが、このウイルス禍で、店の予定も変わってしまい、会期を6月末まで延長し、店番をかねて、週末で、ケータリングの仕事がないときに開店するということになったそう。
 展示は、SNSでいくつか見ることのできた小川さんのイラストを中心に、漫画など。説明書きが楽しい。宇宙が出てくるのだけど、身近すぎて、むしろ、のびのびできる本来の場所が宇宙であるかのよう。キッシュの店、ということで、キッシュ星人が上から見下ろしていたのでした。
 キッシュを食べて、一休みしたけど、雨が治まる気配なく、後にしました。また三条会商店街で足元を乾かしつつ、歩いてみた。ランニングしてるひとおったなぁ。軒先でテイクアウト販売を行っているところが多かったけど、そのうちのひとつで、店番をしながら、ぴしっとものすごく良い姿勢で、通りに背を向けて本を読んでいるひとがいて、かっこよかった。いつも自転車で横…縦切るだけなので、少し歩いて、位置関係やつなぎを確認できてよかった。大宮駅につながる通りまで歩いて、南下した。
 阪急大宮駅「Book 1st」に辿り着いた。土日は18時まで、というとこがいまは多いので油断できない。帰りに寄ろうと思っていたら閉まっているということがあって。音楽本/雑誌コーナーには、パスカル・ビュッシー 『クラフトワーク』が面出しで置かれていて、ちゃんとしてるなと思う。寺内タケシ伝が載ってる「スペクテイター」46号も何の括りかわからないけど特設台に平積みされてた。片岡義男さんの『彼らを書く』と一緒に買った。

 きょうは、午前中の家事を終えたら、疲れてしまったのか、昼食後、ダウン。雨が降ったり止んだりで、出にくかったのもあるけれど。さて、ウイルス禍はいまほんとのところどんな状況なのか。内閣のぐだぐだな回答も、東京都知事の薄っぺらなキャッチフレーズも、大阪府知事の根拠のない断言や放言も、大阪市長のゲスでしかないあてつけやいやがらせも、記録しておく気が起きない。彼らは好き放題にするということに執心している。好き放題にさせてもらえれば、うまく行くのだという幻想を信者に振りまいて。ひとのせいにして。批判すると、ひとのせいにするな、というコメントが散見されるけど、どっちがだ、と思う。つまらないコメントをつけているのを目にするたびに、そのアイコンにバツをつけて、差し替えてやろうかと思う。自分では見えず、他のひとにだけ見えるバツで。

 今週の音楽。ジャズ関係の評論をされている柳樂光隆さんが公開されたカミラ・メサさんへのインタビュー記事と、そこに付された配信で聞ける関連作品Playlistにちなんで、中南米フォークを。そんなにあがっていなかったはずのビクトル・ハラやビオレータ・パラのオリジナル作品もたくさんあがっていて、驚いた。『チリーのコンドル/キラパジュンは羽ばたく <ビクトル・ハラと共に> Canciones Folkloricas De America』もあって、復刻されたのかと思ったけど、配信のみのようです。2001年9月11日と2002年9月11日に、このアルバムについて問い合わせてきたチリのひと、聞けてるだろうか。カミラ・メサは、ジャケを見かけているくらいだったけど、カバーの選曲も面白い。ジャズには疎いので、柳樂さんの仕事も遠巻きに見てたかんじだけど、いろいろ読んでみよかなと思っているところ。

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