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2020年6月7日〜2020年6月13日


6月7日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月7日】
 二か月ぶりに県境を越えるぞ、と意気込んでいたのだけど、目的地のひとつがきょうはお休みだということがわかり、出かけることをまたも断念。干している布団を取り込む使命を果たすことにした。それまでに帰ってくるつもりにはしていたのだけど。取り込むときに、郵便受けを見たら、「黒猫/円盤」からの郵便物が届いていた。昨日、金曜日に振り込んだばかりなので、「手紙」の第二週分と一緒に来週になるかなと思ってました。

 「黒猫からの手紙」と一緒に頼んだのは、ずっと気になっていた『青春を売った男達 -小椋佳と井上陽水の七〇年代-』。手紙に続いて、すぐに読み始めて、読み終えてしまった。「三ツ沢通信」での連載や田沼正史『日本ロック史』を題材にした「レコード寄席」で、改めて興味が湧いた。小椋佳と井上陽水の70年代のピークは、音楽を興味を持って聞き始めた頃と重なっていて、どちらにも強い興味は持っていなかったけれど、否応なしに耳に入ってきていた。記憶の底にあった「ほんの二つで死んでゆく」という言葉が、小椋佳の73年のアルバムタイトルであることを後に知ったときは驚いた。知るはずがないのに。チューリップや沢田研二きっかけで読んだいた「明星」などで見かけていたのだろうか。この冊子は、プロデューサー多賀英典との共同作業を追うことで、70年代のリスナーにとっての「青春」の位置の変化を描いたもの。このところ、日曜日の朝に見ている70年前後の「新日本紀行」と重なる。

 きのう書くのを忘れてたこと。その一。半年ぶりに髪を切りに行った。井上陽水についての本を頼んでいたこととは関係なく、「切らなくちゃ、今日は髪を切らなくちゃ」と何度となくリフレインしていたのは、内緒です。3月が切るタイミングだったのだけど、1月に切りに行ったときに、理髪店店主の謎の癇癪に遭遇してしまった。新しいところを探さなくてはと思っていたところに、ウイルス禍が始まってしまい、髪を切ることは不要不急案件になっていた。
 その二。一時的な市内への移動終了が確定した火曜日の昼休み、本社勤務の同僚とひさしぶりに話す機会があった。30分ほど話しているうちに、だんだん口角が痺れてきてしまった。そんなにも話をしてなかったんやなー。着眼点とたちどまるところが的確なひとなので、楽しかったということもあるけれど。

 黒猫/円盤の田口さん、ホホホ座の山下さん、植本一子さん、と、このディスタンシンな時期に書かれた日記を読んでいる。井上智恵さんの「ラジオ浄土寺便」は音だけど、やはり同じように受け取っているように思う。自室からの配信がたくさん見られたけど、部屋とこちらに向かっているひとを見たい訳ではないんやな、という思いもある。家にずっと居たとしても、知りたい、というか触れたいのは、他のひとがどんな風に過ごして、どんな風に考えているかで、こちらに向かっているのではないのに、角度としてだけこっちに向かっている「テレビ電話の向こうのひと」ではないし、背景の本棚やレコード棚ではなかった。テレビ番組も、リモート会議風の画面が多いけど、ブルーバックを使った合成(NHK「カネオくん」など)のほうがいいと思う。

 「Dead Funny」高取さんのツイートで、ディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの初期メンバー、ケヴィン・アーチャーが脱退後に結成したブルー・オックス・ベイブスのアルバム "APPLES & ORANGES" が2009年にCD化されていたことを知った。が、プレスは一回切りなのではないかと疑っているチェリー・レッドからで、既に入手困難で、高値がついている。定額制配信で聞けるので、聞いてみて、びっくりした。噂には聞いていたけれど、ディキシーズの二枚目にほんとによく似ているから。ディキシーズを脱退したアーチャーは、ガールフレンドとともに、トラッドを取り入れたバンドを始めるも、そのデモを聞いたケヴィン・ローランドがアイデアばかりでなく、メンバーも引き抜いて作ったのが二枚目だった。聞くと、歌いかたまで、そっくり。曲もよい。のに、ディキシーズの二枚目が売れたことで、ブルー・オックス・ベイブスは埋もれてしまうのだ。1988年にようやく完成させた "APPLES & ORANGES" も、プロモカセットのみ残されて、発売が中止になっていた。CDになってたのかー。うー。

6月8日(月)
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6月9日(火)
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6月10日(水)
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6月11日(木)
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6月12日(金)
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6月13日(土)
[一回休み]

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