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2020年5月31日〜2020年6月6日
5月31日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2020年5月31日】
ウイルス禍。このごろではすっかり「コロナ」で定着してしまっていて、コロナというだけで2020年に蔓延したものとみなされるようになってきている。コロナ禍と書くと、「鍋」っぽくなってしまう気がして、使うのには抵抗がある。コロナという語に禍々しさを感じていないからかもしれない。 おかしな論調が便乗してたくさん発生していて、全部打ち返す気力がないのだけど、謎のひとつが「PCR検査の是非」です。今回のウイルスの感染を確認するための検査なのだけど、発生当初から、治療のネックになっていた。調子が悪くても、なかなか検査してもらえなくて。それで、「なかなか検査してもらえない」理由をめぐって、紛糾することになったのだ。で、いろいろある理由の中で、「あてにならない」というものが出てきた。条件は設定されているのだろうけど、とにかく通常の状態では「あてにならない」、感染していても感染していると判定されなかったり、感染していなくても感染していると判定されたりする、というのである。門外漢としては、素朴に、ではなんでその方法で検査するのか、と思う。 患者の立場から言えば、治療してもらうことが重要であって、検査結果の国別、都道府県別の数の争いは関係ない。検査しても誤判定が出るというのであれば、調子が悪い場合は、「かかっていると見なして」治療するべきだと思う。今回のウイルスは、かかっていても無症状の場合があるため、個人でできる感染防止策は、自分が「かかっていると見なして」行動することを基本としている。判定できないのであれば、家で寝ておけではなく、かかっていると見なして対応すべきなのだ。それで医療現場が逼迫するというのであれば、最初から、医療現場の逼迫を理由に調整すべきで、「PCR検査」を除外の道具に使うべきではないし、PCR検査についての理解を、医療行政の道具に使うべきではない。 三週続けての同僚退職、最終週。今月は第二週まではほとんど自宅待機と休日だったので、同僚退職月間だった、と言えなくもない。今週の退職者(なんちゅう言いかた)は、以前、その時点では別部署だったのでよくは知らない間柄だったのだけど、ハンバート・ハンバートを「cafe
martha」に聞きに行ったとき、見かけたことがあったひとなので、「martha」で聞いたことのあるひとや見る予定だったひとたちを中心に、餞別コンピを選曲した。水曜日に選曲とCD-R焼き、木曜日の帰りに、地下鉄の乗換駅のベンチで一時間ばかし解説を書き、帰宅してからレイアウトとプリントアウト。実際は、帰宅してからすぐにとりかかるつもりだったのだけど、家庭内コミュニケーションを優先した結果、居間で寝落ちしてしまい、夜中に起き出して作業することになってしまった。細馬さんのツイキャスは見られなかったけど、森川葵主演のドラマ『文学処女』は見てしまった。森川さんは『プリンセス・メゾン』がとてもよかったので、また良い役で見たいなと思っています。
CD-Rへの書き込みにも問題があってスムーズにいかないことがあるのが悩み。書き込みを開始する前にスキャンのようなことをするみたいなのだけど、その時点でいつも書き込みできないファイルがあるとエラーが出る。やり直すと、不可ファイルがその都度変わる。ということは、スキャニング(のようなもの)の失敗であって、ファイルの問題ではないのではないか。そんなかんじでやり直しているうちに、エラーが出ず、書き込みが始まることもある。水曜日の夜は、何度目かのトライで、書き込みできたのでよかった。
月曜日は、宅配便が届いていたのだけど、母が病院に行っている間だったため、不在票が入っていた。帰宅したときには、再配達の時刻は過ぎていたので、営業所止めにしてもらい、引き取りに行くことにした。夜はその手続き。 火曜日は、帰りに、自宅近くの診療所に。ビニールシールドなど、ものものしく。正直なところ、今回のウイルス禍で予想していなかったことのひとつに、医療機関での感染防止策の不備があった。医療機関への批判ではないです。伝染性のウイルスは、これまでにもあり、強いものもあり、それでも、院内感染が深刻になったことは記憶している限りではなく、今回も、医療従事者への感染は考えていなかった。通院は、いまはほぼ経過観察と薬の処方だけなので、診察を受けなくてもよいような気はしたけど、もうそこに居るもので。 水曜日、これまでの禁を破り、最短時間で帰宅する方法をとって、帰宅。最寄駅から自転車で爆走し、宅配便の営業所へ。閉まる10分前に到着。無事に引き取った。心当たりはふたつあり、どちらかわからなかったのだけど、「ポポタム」からのものでした。厚みはないけれど、大きかったので、ポストに入らなかった模様。
爆走して、足の筋肉がぱんぱんになるかと思われたけど、それほどでもなく、期待した減量にもつながらず。営業再開の様子を眺めながら、帰宅したら、「円盤/黒猫」からの荷物も届いていた。「黒猫からの手紙」5月最終分(5月も終わり)、待望のattc vs Koharu『縁かいな ブリング・アス・トゥギャザー』、その柳家小春さんの師匠にあたる柳家紫朝さんの録音とインタビューをまとめた『大津絵 両国』。attc vs Koharuを早速取り出して、「梅は咲いたか」を、前述の餞別コンピに入れるべくリッピングするつもりが、かけ始めたら、やっぱり良くて、全曲通しで聞いてしまった。餞別コンピには、予定を変更して「縁かいな」を入れたけど、どれにするか迷った。 時間は前後するけれど、いまの仕事場最寄駅の駅前に、「BIG
ISSUE」販売員が居らして、少し前に一冊買ったけど、それ以降、見かけなかった。ひさしぶりに見かけた。立たれるのは水曜日だけで、先週は雨が降っていたから休まれていたよう。気になるバックナンバーをチェックしていたのだけど、残念ながら、買おうと思っていた号がなかった。また仕入れておきます、と話されていたのだけど、いつまでいまの状態が続くのかわからず、心苦しかった。
そや、定期の更新のために、外出規制が始まって以来、休みの日に二駅移動しました。自転車でだけど。駅前の中くらいの規模の書店に寄ったけど、買おうと思っている雑誌はまだ見つけられず。「旅するスペイン語」6月分だけ。それと、書店に寄っても、気になっていた本を「見ないことには」思い出せないことが多いので、購入メモ用のノートを一冊買った。キャプチャー撮っても、容量がすぐにいっぱいになるし、「いいね」付けても辿りにくいので。また荷物が。 今週の音楽。●NHK-BS朝のクラシック番組は、起きたら点けて、気になったらそのまま見る(聞く)というかんじなのだけど、トロンボーン奏者、中川英二郎さんの「Trisense」が気になったので、定額制配信で探した。ジャズ、とあった。●ウイルス禍の中での、ライヴハウスなどへの支援の取り組みを紹介するニュース番組に、ミンカ・パノピカのエイジさんが出られていたということを知り、やはり定額制配信で探したら、7インチ『LOVE SPY』も12インチ『Heckell Jackell』もあったので聞いた。よく聞いていた、ということを実感する時間でした。●気になっているが、店頭で思い出さなかったりして、まだ手元にないメアリー・ハルヴォーソン・オクテットの "AWAY WITH YOU" が定額制配信のお薦めにあがっていたので、聞いたら、やはり良い。オトナ買いしたい…。●加藤英樹&プラスティック・スプーン、今月の1曲は "Boogieman Comes Around"。今回の主人公はカール・マルクス、なのかな。 日中は、ネットは切っているのだけど、帰りに見ると、毎日毎日次から次へと、ひどい事件、ひどい言葉、ひどいストーリーが起こっている。それらに対して、どう返せばいいのか考えているうちに次の日になって、とても追いつけない。いまの大勢は、後先のこと考えない、理由も何も形だけありきの後付けの実績作りが得意なひとたちのように思っているけれど、支持してるひとにしたら「やらない」なんてことはないだろう、でたらめ言っててもやることはやってるだろう、だからかっこいい、ということになるみたい。でも、「やらない」でいいことのムード作りのためのでたらめな放言は、無理してでもやらなあかんことから、意識を確実に遠ざける。大多数のための大多数がよければそれでいい、大多数でなくなることなど予想しない社会を作り出している。そのでたらめな言葉だけで、既に耐えられない。自分の言葉で怒るのに、日々の時間は足りないのだけれど。 |
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6月6日(土) | 【▼ぐりぐらメモ/2020年6月6日】
月曜日、漫画家、ジョージ秋山さんの訃報。好きとかファンとか言わないけれど、子供の頃に読んで、影響や刺激を受けた。1970年前後の『アシュラ』、『銭ゲバ』、『デロリンマン』、『ザ・ムーン』の頃。『アシュラ』は連載が始まった第一回を雑誌で読んだことを記憶している。嫌な話が多いのだけど、不思議と、責められているかんじがしなかった。いま思えば、捨て身の相対化と言うべきか。相対化が保身のための道具になっている現在からすると、捨て身としか言いようがない。なんの得にもならない、相対化だった。ほぼ口だけのような卑小なデロリンマンが唱える救いに対して、オロカモノメと厳しいアンチテーゼを提示するオロカマンにしても、冷笑ではなかった。 『ザ・ムーン』の全員の意思が揃わないとムーンが動かないという設定、読み返すと、般若心経を唱えることで統一されたりして、厳しくはないのだけど、読んでいる当時、10歳のわたしにとっては、とても困難なことのように思えたし、その不可能性がテーマなのだと受け取っていた。そこは勝手に話を膨らませていたような気もする。仲間への疑念や嫉妬といったものも感じ取っていた。のちに『ザ・ムーン』に着想を得たという『ぼくらの。』という作品が作られるけれど、そこで展開される世界(の破滅)との理不尽な接続は、セカイ系のもので、『ザ・ムーン』の持つ不可能性の要素はほぼなかった。セカイ系でないということと捨て身の相対化はどこかでつながっていると思う。 先週、「いつ戻る話になってもおかしくない」と書いたけれど、ほんとに、週が明けたら、元の仕事場に戻る話が出てきた。木曜日か金曜日に移動、と。大企業を中心に大々的に在宅勤務を実施していたことを「前提」にした大阪市内勤務だったけど、市内へひとが戻り始めたこともあり。駅と仕事場の間に、少し遠回りをすると、大きな公園があることがわかり、朝、つなぎがよくて、早めに着いたときには少し公園でゆっくりしたり、それなりに、疎開(市内なので疎開とは言えないが)生活が楽しめるようになったら。周辺の店も閉まっていたり、限定営業だったので、寄るに寄れないということもあったけど。
白人警官が黒人市民ジョージ・フロイド氏を過剰拘束で殺害する事件がアメリカ、ミネアポリスで起こり、「Black Lives Matter」、訳したかたはいろいろあるようだけど、これは黒人であることによって直面する生死に関わる問題なのだ、という視点を掲げて、抗議活動が続いている。アメリカでも、黒人というよりは全員に関わることだろうという主張で、問題を一般化して、すり替えて、深刻さや切実さを打ち消そうとする傾向が現れた。それに対する批判も出ている。黒人であることによって直面せざるを得ない、生死にかかわる酷い状況への抗議に連帯することは、憑依でも、利用でもない。そういう可能性があるのではないかと自身で省みることはあっても、そんなものだろうとたかを括られる筋合いはない。例によって、例のごとく、人権の擁護を唱えるのはサヨクとして、サヨクへのいやがらせをしたいひとたちが、抗議を茶化そうとしている。ファシズム反対を言うことがテロ行為だとか。聞いたことがないので気が引けるけど、ビリー・アイリッシュのように「アホなのかおまえは」としか言いようがない。 「アホなのかおまえは」としか言いようがないのが、大村愛知県知事へのリコール運動。しかけている連中の理由が、あいちトリエンナーレで、天皇の写真を燃やす展示を許容したことだという。話が明後日すぎて、どこを糺しても、そこじゃないとなりそうな話で、それをまた、作文で「と思う」と書いたら減点されることだけが理由でたいして根拠もないのに言い切って悦に入る吉村大阪県知事が応援しているというのだから、呆れるしかない。こういうときに、相手の主張を聞いて、問題点を整理して指摘するひとの優しさは偉いなと思う。そんなことをする気にはとてもなれない。対象となっているのは、天皇の写真を使った作品が焼かれることになった顛末への抗議、を作品化したものだ。天皇の写真を燃やしたのは誰か、燃やすことになった原因を作ったのは誰か。リコールしている連中はそれらを無視して、写真を焼くことに抗議することを、写真を焼いたことにしている。意味がわからない。さらに、写真を焼くことに抗議する作品を作ったのではなく、そのこと自体の是非は問うていない大村氏を、あたかも焼いた当事者のように扱っている。意味がわからない。それに、彼らはもともと、戦時の慰安婦への扱いを告発する運動の象徴となる像の展示を非難していた。それを、より、一般受けするように天皇を持ち出して、問題をずらした。後先考えずに、印象だけ与えて、ひとを扇動することにやましさを感じない、ひと(天皇を含む)への敬意をまったく持たない連中なのだと思う。そうした連中による宣伝活動でしかない。大阪市長のときに、慰安婦への扱いを告発する運動をサンフランシスコ市が許容したことで、姉妹都市を一方的に解消した吉村大阪県知事がそうした連中を応援することは不思議ではないが。 行政として線引きがどうしても必要だと言うのであれば、線上の存在に真摯に向き合うべきだと思う。楽しようとしてなのかなんなのか、偏見を背景に「理由」を持ってきたり、でっちあげたりせずに。その「理由」は、たかが行政都合の線引きを離れて、民族精神だの人間の本性だのと僭称し始め、考えることなく威を借る連中を生む。ただの失政では済まない。文化、といって、高級なものしか思い浮かべられないのであれば、生活する上での気遣いと言っていい、そうしたものの破壊である。そうした破壊をひとつひとつ潰してきたのが歴史ではないか。 5月31日、●名古屋「K.D ハポン」による「ウィーアーザワールドみたいな曲」、「Around
the K.D Japon in A Day」がbandcamp配信で発表された。カタリカタリ/百景借景/しょうにゅうどうの河合さんがテーマを設定し、まとめも担当されたとのこと。テーマに沿って、ハポンゆかりのミュージシャンが思い思いに付け加えていったものという趣き。参加ミュージシャンの詳細はいまのところ公表されていないので、言わんようにしよかなとおもいます。
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2020 Kijima, Hebon-shiki