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2020年2月23日〜2019年2月29日


2月23日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2020年2月23日】
 「春一番」が2020年5月で最後、「三月書房」もその頃に閉店(予定、だったが記事にされてしまったので外すらしい)、「Latina」も2020年5月号で休刊と、親しんでいるものの終わりが続けて告知された。今年の春は終わりの季節なのか。じんわりとダメージを受けている。

 ミー経由で知ったムーンフラワーズ関連で以前通販などしていた「Disc Shop Zero」の飯島直樹さんの訃報が伝えられた。新譜案内メールは続けていたのだけど、とりあげている音楽に追い付けて/付いていけておらず、最近はきまぐれに開いては試聴してみるくらいだった。1月31日に届いていた号も開いていなかった。そこに病状が記されていた。「map」2号にレーベル「Angel's Egg」についてのインタビューがあったので読み返した。少し引用して紹介しようと思ったのだけど、とても一言二言抜くことができそうにないので、断念したら、「map」の小田晶房さんから全文アップしてよいと連絡をいただいたので、スキャンして、読めるかたちに分割して、アップした。ブリストルのミュージシャンとのかかわりかたを始めとして、音楽を紹介するということについての飯島さんの姿勢が改めて伝わればと思う。

 今週は、その小田さんがKBS京都「レコ室からこんにちは」のミュージックセレクターでした。月曜日は、小田さんがブックレット掲載のインタビューを担当しているという高石ともやとザ・ナターシャー・セプンのラジオ放送用録音の発掘盤『高石ともやとザナターシャーセブン1周年リサイタル(1972年2月6日 京都シルクホール)』から始まって、ザ・フォーク・クルセダーズやりりィ(木田高介参加)。火曜日は、飯島直樹さんがつないだブリストルの音楽家たち、水曜日は、compare notesから発売された京都に所縁のあるひとたち、たゆたう、かえる目、長谷川健一さん。

 水曜日、早くに終わることができたので、水無瀬「長谷川書店」に。うらたさんの『ザ・うらたじゅん 全マンガ全一冊』の初出一覧をまとめた冊子を預かっていただいていたので、受け取りに。なかなか店に居られるときに伺えなかったのだけど、別のミッションもあったので、居られて、よかった。初出一覧は、自分でも、ぼちぼち作ろうと思っていたのでした。

 記憶に自信がなくなる件がふたつ。NHKで放映された『車中の人々 駐車場の片隅で』は、行き場を失い、道の駅の駐車場で車中泊を続ける人々をレポートしたものだけど、見ていて、山川直人さんの漫画「この星の空の下」を連想した。家を引き払い、車で転々とし、最後は車の中で亡くなる夫婦の物語。からだが弱かった妻が先に亡くなるのだけど、その印象が強く、妻の死期が近づいたことで車中生活に入ったのだと勘違いしてしまった。実際は、寂寞とした理由で夫が提案したのだった。すみません。もうひとつ。ジュディ・ガーランドの伝記映画の予告編を、映画館で見たことで、映画のクライマックスとなっているらしい69年ロンドン公演のライヴアルバムが気になったけれど、「レコードコレクターズ」のジュディについての記事ははるか昔の2号に掲載されたものだけ。持っていないような気になっていたのだけど、持ってました。前にも別の件であったけど、長く探していたものは、探していたという記憶のほうが強くて、手に入れたことを忘れてしまった、らしい。つらつらと考えているうちに、あ、と思って、心当たりを探してみたら、あった、のでした。もう記憶だけでものを書いてはあかんな。

 引き継き、地味に厭世的です。朝の通勤時にいつも同じ車両に乗り合わせるひとのひとりをお見掛けしなくなった。仕事を変わられたのかな。

2月24日(月)
[一回休み]
2月25日(火)
[一回休み]
2月26日(水)
[一回休み]
2月27日(木)
[一回休み]
2月28日(金)
[一回休み]
2月29日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2020年2月29日】
 ウイルス性肺炎(COVID-19)の流行で、感染拡大を阻止するため、不特定多数のひととの接触を避けるという名目で、イベントの中止や在宅勤務などが唱えられている。軽症段階での判定ができず、重症化してからでないと対応できないので、兆候があったら、重症化のタイミングまで待機し、それから診察を受けるというのが現時点での対策で、その前段階としては、とにかく避けるしかない。熱が出たら、それだけで少なくとも4日間は様子を見ないといけないので、迂闊に風邪も引けない。休校の政府要請も出た。対策抜きに発表され、手続きに問題があり、混乱しているが、効果は未知数なので、実施そのものにはなんとも言えない。子供は制御できないということもあるのだろうけれど。補償や手当の話は当初はなかったが、批判を受けて、ほのめかし程度に出てきた。状況というか、政府の姿勢がめまぐるしく変わるので、メモがすぐに陳腐化してしまう。
 6月、11月と珍しく微熱を伴う症状が出たので、診察を受けた。どちらもインフルエンザではなく、風邪だったのだけど、そういうこともあって、慎重にはしていた。通勤時にはマスクして、外から戻ったら、うがいして、手を洗い、除菌ティッシュで指先を拭く。除菌ティッシュはもともと足の裏を拭いておくと、蚊に刺されないという話から常備するようになったのだが。マスクは、防ぐのには効果がないという話もあって、意外とマスクしているひとが少ない通勤電車では「不足しているというのに、効果がないということを知らないのか」と思われてるような気がしなくもないけれど、キャンペーン的な情報が多すぎて、どこまで信用してよいものやら。

 昼の調達ついでに薬局薬店に寄り、体温計をひとつ。ウイルス性肺炎羅患を疑う目安が体温37.5度以上ということなのだけど、家に体温計がない(壊れて捨てて久しい)ということが発覚。自身の体温は、仕事場の机に(年に一回のインフルエンザ予防注射のため)置いているもので計っていたのだけど、母にも計ってもらうべく、購入を話していたのだけど、まだだった。木曜日の夜、自宅最寄駅の店で買おうと思ったら、マスク、消毒液と同様、売り切れていた。昨日は仕事で遅くなったので寄れず。仕事場のを持ち帰っていた。
 今朝、計ったら、二人とも35度台だった。いま通院のために、血圧を毎朝計って記(つ)けているけれど、3月になったら、ついでだから、体温と体重も記(つ)けるようにしよう。それにしても、体温。ふだんは35度から37度の間でキープしていることに改めて驚く。ホメオスタシスという言葉をひさしぶりに意識した。

 混む場所、密な場所はやはり躊躇というか、考えてしまう。知らずにうつしてしまうということが誰にもありそうだから。そんな中ではあるけれど、月曜日、塚本「エレバティ」に、ヒゲの未亡人カセット発売記念ツアーを聞きに行った。共演は、北村早樹子さん、泊。14時半からと穏便な時間帯であったこともあり。それにしても、始まった時点では、予想以上にひとが少なくて、驚いた。だんだん増えてはいったけれど。

 北村早樹子さんの歌は、エグみがあって、日常的に繰り返して聞くというかんじではないのだけれど、ライヴで聞くと、心動かされるものがある。じん、とくる歌もある。のだけど、タイトルがわからない。とりあえず、目についたものをあれこれ手にしているけれど、なかなか当たらない。この日は、雷音レコードからの「みずいろ」b/w「マイハッピーお葬式(スターライトバージョン)」を。

 泊はギターがざっくりした感触のものが基調の、ちょっとこれまでとちがうかんじになっていた。笹山鳩=山田参助さんの歌も、うっとりなめらかというよりも、骨太のびしっとした要素が増えていたような気がする。

 ピアノのゲイリー芦屋さん、映像のアリさんとのトリオ編成になってからのヒゲの未亡人は「HOP KEN」以来。「HOP KEN」の話もされていました。近辺の映像もすぐに取り込んで、ミックスして見せるショウ。歌に匹敵する情報量があるので、映像を追いかけるのが楽しい。とは言うものの、いくつかの曲では立ち止まって、聞き入ってしまう。宮崎貴士さん曲を含む歌のみの頃が少し懐かしくもあるけれど。

 行きは十三駅から(いつもとちがうルートで)歩いたけれど、帰りはまだ早かったので、梅田に寄ることにして、JRで一駅。歩くルートを探したけれど、どうも梅田方面にはすっとは行けないかんじなので諦めた。マルビルの「タワーレコード」で「UNCUT」誌を買う。表紙がケイト・プッシュ、表紙にはロバート・ワイアット、ドノヴァン、アレックス・チルトン、ニール・イネスという名が並んでいるもので、つい。おっさん雑誌と言われてもいたしかたなし、ですが。タワレコ、棚入れ替え途中の雰囲気。次に行ったら、また迷いそう。

 火曜日、仕事終わりにひさしぶりに乗換駅近くの書店に途中下車して寄った。書店がある建物の二階の雰囲気がいつもとちがっていたので、おやと思ったら、美容室が去年の11月いっぱいで閉店していた。少なくとも4か月、足を向けていなかったのだな。「芸術新潮」3月号(特集 美人画 past and present)、NHK「100分で名著」2月テキスト(ヴァーツラフ・ハヴェル『力無き者たちの力』)を買う。「芸術新潮」の特集は、池永康晟さんがメインだから買ったのだけど、改めて、わたしは「美人画」が好きなのではなくて、池永さんの絵が好きなのだと思った。「美人画」作家を固まりで見せるというキャンペーンは、認知度をあげるために、どうも池永さん自身も意識して取り組んでいるらしいけれど、特集でとりあげられているどの作家もピンとこなかった。インタビューで、二冊目の画集について、ぱらぱらと見て保留したことに符合することを話されていて、合点した。十代のモデルたちは編集者の提案で選ばれたらしいけど、その、画集としてはメインとなるものに少し違和感があった。「美人画」に求められているのは、アイドル的なものなのだろう。それは、池永さんが江口寿史さんとの対談で語っている「25歳の男性にとっての自分より大人に思える28歳の女性」とはちがうと思う。

 迂闊に風邪も引けないので、隔離部屋のPCにはほとんど触れず。タブレットはすぐに見られるけれど、書くのには不便。仕事を終えて、帰るときに見ては、しょうもない主に政府の言動にうんざりし、うっかり口を開けば呪詛と罵倒が出てきそうになく、不便な状態で書くと、よりひどくなることが予想されるので、口ごもりがちです。呪詛と罵倒は対象に直接でないとと思っている。そうでない場合は、理解のしかた、説明のしかたを示したいと思っているのだけど。

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2020 Kijima, Hebon-shiki