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2019年9月15日〜2019年9月21日
9月15日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年9月15日】
法事ミッション完了。叔母の一周忌法要で大阪市内に、だったのだけど、膝を手術して、歩くときの痛みはなくなったものの、自転車に乗れなくなった上に腰をわるくしたことで、すっかり外出することに消極的になってしまった母を連れ出すというミッションでもあった。そもそも叔母が亡くなったときも、遅くに帰宅してから聞かされたときには、通夜にも葬式にも出ないことを伝えてしまっていた。台風が近づいていたとか、いろいろあったこともあったのだろうけど、ネガティブ、とカタカナで言ったほうがあてはまるところがそうさせたのだと思っている。シルバーカーを押して電車に乗ること、街中に出ることなんてたいしたことない、という自信を少しでも取り戻してもらえたらいいのだけれど。一周忌法要も恙なく。ひさしぶりに会った従妹と『なつぞら』や『いだてん』(時代の往復や人間関係の照合についていけなくなったらしい)の話をしたり、「鉄板ネタ」の還付金詐欺に遭った話をみんなに聞いてもらったり。 外に出ることに自信を持ってもらうという目論見があったので、うろうろさせてはいけない。金曜日、仕事が終わってから、場所と道の確認のためだけに会場まで往復した。乗り換えルートとかエレベーターの位置とか、それに合わせてどのあたりに乗ればよいかとか。だいたい大阪市の地下鉄は、地下からあがるときにぐるぐるされたあげく、地上に出ると交差点ということが多く、西も東も南も北もわからない。目印になる建物も、繁華街以外はそんなに無い。二回間違えた。おかげで、きょうはアテンドもスムーズに。「地図見たらわかるよ」と嘯きました。 昨日は、今日の準備も含めて、あれこれ。空いた時間に映画を見ようかと時間割を調べたら、先週調べたときから変わっていて、断念。用事ついでに、気まぐれで、細馬宏通さんのツイートで伝えられた珍事を確かめに行ったり(某所に置かれた図書コーナーの『風と共に去りぬ』の箱の中身が『ジャン・クリストフ』だった。写真に映っていた本の並びに心当たりがあったもので)。たまたま通った道の途中にあるスタジオで、よしこストンペアの新作のミックスが行われていたらしいことを帰宅後知って、おおっとなったり。なんにもないけれど、それなりに楽しい一日でした。母の小言を招くこともひとつ片付いたし。 木曜日、若い同僚の最終出社日。仕事の上ではときどき少しだけしか絡みがなかったけれど、気のいい、反応が面白いひとなので、話すのが楽しかった。仕事なんて(かわすことを含めて)やってるうちにうまくいくようになるだろうから、同年代がおらず、息抜きもあまりできてなさそうなかんじではあったけれど、気ぃよく(やり)過ごしてくれればと思っていた。息抜きの役に立てればよかったのだけど、トシガ(カナリ)ウエノセンパイ相手ではそれは無理だし。置かれた立場からむずかしいところもあったと思う。それにしても、送別会の話も餞別の話も出てこないのはどういうことなのだろうともやもやしながら当日を迎えた。春に辞めた子のときもなにもなかったし。当人が断ったのかもしれないけれど。
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9月21日(土) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年9月21日】
金曜日に、職場の繁忙期打ち上げから帰宅すると、母が、腰の具合がよくないという。午前中、病院に行き、痛み止めと湿布をもらって、落ち着くも、様子見で、堺方面への外出予定は取りやめ。 火曜日、朝、通勤読書で、編集発行人の林原さんのご厚意により、「MUNION SPECIAL EDITION 日本のパンクロック」(1981.12)を読んでいたら、「人名辞典」のアナザー・ヴォイスの項で、あ、番号控えてくるの忘れた、と思い出したことあり。昼に食べるために、前日買っておいたサラダやスープなど、他にも、もろもろ忘れて落ち込んだ。「日本のパンクロック」の表紙には、「放つ、手がかり」とある。ナビゲートしたりガイドしたりキュレートしたりコンシェルジュしたり(わざとやろ、カタカナ)するのではなく、手がかりとなるものを置いておくので、気になったらそれぞれで先へ、ということなのだと思う。「放つ」の語がいいなと思う。 水曜日、仕事帰りに、京都・河原町「タワーレコード」での「バンヒロシ・プレゼンツ ロッキン歌謡トークショー」に。開始時刻の19時より少し前に到着。新しい建屋に移ってからも、朝の到着時刻は2分しか変わらないので、構内の奥だからな、と思っていたのだけど、帰りの駅までの時間は短くなっている気がする。一本前に間に合った。コロムビアから発売されたロカビリー以降の「ロッキン歌謡」を集めたオムニバスアルバム『バンヒロシ presents コロムビア・ロッキン歌謡大全』の試聴会。選曲、監修したバン・ヒロシさんと聞き手に京都に戻られたmap/なぎ食堂/Hand Saw Pressの小田晶房さんが、収録曲をかけながら、よもやま話を。あえて曲目の事前確認はしないで、どんな曲がかかるかな、と。買うかどうかも、聞いてからだぜ、という意気込みで。いやしかし、清野太郎「ロックを踊る宇宙人」、美空ひばり「ロカビリー剣法」といった手元に持っときたかった、と言うよりも、持ってへんかったんかーい、な曲が押さえられているし、ブーム時のロカビリーやツイストだけでなく、その余韻を残しつつ時代の変化に応じてA&Mポップスになっている弘田三枝子「はじめての恋人」やリバイバルブームを受けたものから、ネオGSの先駆けだったかな、のジューシー・フルーツの沖山優司「東京キケン野郎」まで、GSをすっとばして「歌謡曲」の変遷を追う選曲になっていました。語られるエピソードも楽しく、これはライナーを読まんとなという気にさせられて、ちゃんと買いました。小田さんの「ご自身の曲を入れるという考えは」という投げかけに対して、「コロムビアに居たことないから」というバンヒロシさんの毅然とした即答に笑わせてもらいました。 インストアイベントの常だけど、サイン会があると、もらったひとは会場から居なくなっていくことが多い。それは寂しいので、終わりまで付近をうろうろすることにしているのだけど、近くに小田さんが来られたので、挨拶して、「Hand Saw Press Kyoto」のとりあえずのパンフレットをいただく。アウトラインかけて、など具体的な情報多し。そっか、アウトラインかけんとあかんか、うちアウトラインかけられるソフト入れてないな、とか。 木曜日、仕事帰りに、仕事場からいちばん近い映画館で、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。題名、長い。1969年のハリウッドを舞台に、落ち目のテレビスターと、彼の相棒であるスタントマンの倦怠感をまといながら、どこかで希望を持っている日々。そこに一区切りがつくまでの話。並行して、屈託のない新進スターのシャロン・テートの日常が描かれる。予習はしなかった、けど、シャロン・テートの事件は、基本常識のようなものなので、そこは問題ない。それが基本常識になっている界隈というのもどうかと思うけど。はらはらしながら見ていて、呆気にとられた。屈託のなさ、を残した(かった)んやね。『ローマ』を思わせるところもあったけど、タランティーノ監督本人がインタビューで引き合いに出しているらしい。登場人物たちの関係が前提になっているところはあるけれど、それを知ってることをくすぐるようなところはないし、あとから知っても問題ないと思った。前提を知ってしまっているので、無責任なことは言えないけれど。音楽も登場人物と同じ。バフィ・セント・メリーの "Circle Game" やホセ・フェリシアーノの "California Dreamin'"が流れてきたときは、はっとさせられた。ポール・リヴィア&ザ・レイダースやボックス・トップスにはにやにやしてしまった。"Helter Skelter" は流れない。チャールズ・マンソンも聞かなかった、もしかしたら、白い二枚組に収録されていなかった、あるいは既にビートルズは解散していた、のかもしれない、むかしむかしのハリウッドでは。 |
2019 Kijima, Hebon-shiki