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2019年6月9日〜2019年6月15日
6月9日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年6月9日】
NHK「ラジオ深夜便」が高齢者向けなのは、言うたら、なんでやろ。なんとなく、眠りが浅いとか、朝が早いとか、夜中に起き出さないといけなくなるとか、思い当たる要素はあるものの。ともかく、高齢者向けの内容ではある。その高齢者向けの番組にロックがかかるようになったのも、考えてみれば、既に成熟期の傑作群について50周年記念盤がぼこぼこと発売されているので、発売当時の二十歳は七十歳を迎えている。とは言うものの、当時は少数派だったかもしれず、あるいは歳を経るにつれて趣味傾向が変わるかもしれず、リスナーの「多く」にとってはどうなんだろうとも思う。高齢になっても、新たな発見と楽しみをということであればと思う。 昨夜2時台の「ラジオ深夜便」の特集はプログレッシヴロックだった。いままでもフランク・ザッパ特集を含めて何回かあったので、翌朝、母親からの「なんやのあれ。あれも歌」てな声に「中学くらいから好きで聞いてる。レコードもだいたいうちにあるのとちゃうかな」と答えて呆れさせるということを楽しみにしていたのだけど、その時間は眠っていたらしい。話に出なかった。残念。選曲も気になるので、留守録しておいたものを、昼の買い出し時に聞いてみた。今回は「代表的なグループの人気曲で、できるだけメロディーの美しいもの、または日本でもドラマに使われるなど比較的ポピュラーなもの」、それからイギリスだけでなく「国によって特色ある人気バンド」もあるのでそれらもという方針とのこと。 1. King Crimson "The Court Of The Crimson King"フォーカスは、以前、同番組て藤井隆さんが "Hocus Pocus" や "Sylvia" をかけたときに反響があったらしい。「調子に乗って」またおかけすることにしました、というその口調が、担当の森田美由紀アナウンサーが『チコちゃんに叱られる』で担当しているナレーションを思わせて、歩きながら聞いていて、つい吹いてしまった。 『チコちゃんに叱られる』については、既に書いていると思っていたのだけど、書いていなかった。NHKの豆知識番組で、行為や習慣や語の意味について、理由や由来を知らないまま、あるいは思い込みで勘違いしたまま普段やったり言ったりしていることを、五歳児がツッコむというもの。「なんで、なんで」と子供に訊かれて困惑するというよくある場面を元に、知らないことに対して「怒られる」という形にしている。パイロット版のようなものを見たときは、ちょっとエグ味があるなと思ったのだけど、本放送になって、土曜日の朝、連ドラに続けて放映されたことでたまたま見た母親が意外にも面白がって見るようになったので、そのまま見ている。この番組に対しては、(NHKに)知らないというだけで何故罵倒されなければいけないのかという反感や披露される回答の「諸説ある」曖昧さや危うさへの問題指摘はある。あやしい説が流布されるのは困るけれど、そう言えばあまり意識してなかったな、迂闊だったなというところにツッコミが入って苦笑せざるを得ないという経験はいいと思う。母親もきっと「苦笑」を楽しんでいるのだと思う。「え、どういうこと」と興味を引くためのさらに謎かけをするような「チコちゃん」の回答には不満のようだけど。 午後から外出。鈴木卓爾監督の映画『嵐電』を見に、「梅田ロフト」地下の「テアトル梅田」に。チケットをとったあと、「ロフト」で行われている「チコちゃんフェスティバル」に寄って、意気消沈している母親に、ハンカチとマスキングテープを買った。
『嵐電』は、駅や車内で交差することで生まれる、あるいは見つけ直される三つの関係を描く。三つの関係は、相互にはほとんど絡まずに、並行して進んでいくのだけど、それぞれに気になって、途切れても気にならない。漫才コンビのような謎の車掌の居る電車に乗っても、連れていかれるのは異世界ではない。不思議な経験はする。でも、それを通して、確かめられることがあって。未来のことのような、妄想のような、それらははっきりとは示されないけど、どちらでもいいという気持ちよさがありました。
茶屋町の「タワーレコード」に寄って、マルビルで戻した本を購入。トレイシー・ソーン著『安アパートのディスコクイーン トレイシー・ソーン自伝』(ele-king books、浅倉卓弥訳)。音楽から引退しようとしていた2005年に書き始められ、2007年に書き終えたものの、これを書くことで音楽への創作意欲がよみがえり、しばらく措かれていたらしい。70年代末の周囲の状況も描かれているようです。 |
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6月15日(土) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年6月15日】
詳しくは書けないけれど、金曜日に面倒事に巻き込まれ、鬱々とした土日を過ごしたのち、月曜日午前中に、被害がないことの確認と緊急処置の後始末。これを機に、もう一件のもやもやも片付けることにした。こちらもまだ終わっていないので、詳しくは書けないけれど、老いた者が気に病むようなことがないようにしないと。 先週の夏風邪に続いて、今週もそんなかんじで気落ちしていたうえに、風邪もまだ少し残っていて、どんより。仕事場では、ひとりが一週間休み、ひとりが突然の期間限定異動、ひとりが産休ということが発表されて、落ち着かなかった。産休は喜ばしいことだけど、異動になるひとと産休に入るひとは、めんどくさい仕事に通じているので、二人も居なくなることになると、悩ましい。その仕事に対応すべく資料を改訂しているところなので、急がなければ。 母親がひとりで居る時間を減らしたくて、できるだけすぐに帰るようにしていたのだけど、母親が大音量で見ているドラマやクイズ番組には耐えられず、だいたい21時過ぎには眠ってしまっていた。それで、まぁ、一応、5、6時間眠っていることにはなるのだけど、2時とか3時に目が覚めてしまう訳で、眠れない、と悶々としているうちに、眠ってはいて、眠っとるやんけではあるのだけれど、腑に落ちない夜が続いている。 女性向けファッション誌「ViVi」の自民党とのタイアップキャンペーン、香港の独立性を損なう可能性がある条例変更に対するデモをめぐるプロパガンダの応酬、年給が生活を支えるものではないという宣言、阪急電車とブランディング会社による空疎な文言を吊り広告にしたキャンペーンなど、うんざりすることが続いているけれど、それらについて時間を費やすことが空しい。そうしたものをめぐる怒りについて揶揄したブロガーが居たらしいけど、怒りではないよ、ひたすらバカで愚かで恥すら知らないことに絶望的に呆れているだけで。例えば、発信する場があり、信条が看板であるはずの政治家や政党が、信条に関係なく仕事する広告代理店に発信をさせるのは、自分たちが無能であることの表明としか思えないし、そのことに自覚がないことの証左でしかない。
広告についての話ではなかったけれど、花森安治氏の商品テストについての、商品をみる目をきたえて「かしこい消費者」になるためのものではないという言葉を思い返す。「買いたくてうずうずしている人間の前に、まるでこれさえあれば<幸せ>がやってくるような顔をして、新しい商品がつぎつぎに現われたとき<商品をみる目>など、一体なんの役に立つだろうか」という花森さんの認識には、大政翼賛会での経験が影を落としていると思う。だから、メーカーにちゃんとしたものを作ってもらわなければ困る、そのために商品テストがあるという話は、わたしの底にもある。 昼から外出。JR高槻駅近くの「南風楽天」での「高槻共同保育SHOW」に。出演は、足立大輔&ゆみ+きたとも、ベートルズ、と主催のヨコエさんとオーストラリアに引っ越すというダビさんのデュオ。足立さんたちは、ひさしぶりに聞いた。アルバムに入っていない、たぶん初めて聞く曲がいくつか。キタトモさんが手に入れたドブロギターを生かした曲も。ベートルズ渡辺さんは、いつも場と対話するように歌われる。客席の言葉たちの闖入にも、聞き取ったり、聞き返したり、伝言したりして、歌とひとつづきの出来事にしてしまう。ヨコエさんとダビさんのデュオは、練習もリハもしてないということだけど、レゲエをベースにしたヨコエさんの気持ちのよい歌とギターに、スパニッシュなギターが絡んで、不思議なかんじになっていた。 終わってから、大阪市内のライヴか映画に行こうかとも思ったのだけど、時間的に難しいかんじだったので、高槻駅近くの書店を覗いて、一服してから帰宅した。 |
2019 Kijima, Hebon-shiki