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2019年6月2日〜2019年6月8日


6月2日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2019年6月2日】
 月曜日のミッション。通勤定期の更新、諸々の支払い、と、通販物到着物のコンビニ受け取り。気まぐれで、仕事場近くの店を指定したら、休み中に届くという、トホホあるあるです。

 届いたのは、コクトー・トゥインズ "TREASURE HINDING: The Fontana Years"。ニルヴァーナの "The Island Years" を注文しようとして、クーポン適用条件や発送指定が折り合わず、他に何か…となって思い出したのでした。ニルヴァーナと同じく、2枚のアルバムとその時期のあれこれをセットにしたものだけど、オリジナルに追加する形ではなく、EPの部とラジオ出演時の録音の部に補遺としてオムニバス提供曲を追加した2枚が付く4枚組。フォンタナ時代は、EPは聞いていたものの、アルバムは聞いていなかったので、発売の報を見て、気になっていたのだけど、ようやく。

 今週はずっと帰宅してからのテレビがつらくて、寝たフリしているうちにほんとうに眠ってしまうパターンが続いた。ツイターで読んだとこまでから推測…できるのがなんともだけど、おおむね21時過ぎには眠っていた。それで、夜中の2時頃に目覚めるのだ。それからは、「寝る」ということをやる、かんじで、他のことはできないし、なかなかもったいなくもつらい時間を過ごすはめになるのであった。
 そんなかんじだったからか、水曜日の朝、ひさしぶりにiPad miniを朝持って出るのを忘れた。眠くてしょうがなくもあり。駅のホームで、携帯電話のアラームを鳴らしてみたけど、早朝の自宅や昼休みの仕事場とちがって、周りの騒がしさに紛れて、ほとんど役に立たなかった。iPad miniは、なんやかんや言うても、持ってたらツイターやウェブを見てしまうし、ただただ音楽をじっと聞いてしまうこともあるので、それがないと、本を読むのが進むということを改めて。

 ツイターをやってると、知らない場所で、いいラーメン店がないかとつぶやけば、たちまち情報が寄せられるなんて話があった。実際には、そんなことない、というか、いいラーメン店がないかとつぶやくことがないのだけど、お手軽な答であふれてる、それがある種のひとたちをいい気にさせているという感触は変わらずにある。若い頃は、「恥」に縛られるなんてアホらしいと思っていたし、いまも思っているけれど、現状を見ていると、「恥」ででも縛らなければ、うらみ、ねたみ、そねみ、つらみのままに流されるひとがいるということに暗澹たる気持ちになる。安易だと思いつつ、恥知らず、とつぶやかずにはいられない。

 木曜日は、吉上恭太さんゲスト出演ということで、ひさしぶりにがんばって定刻であがり、仕事場最寄駅の休憩コーナーで、ウェブ経由でFM豊橋「Rabbit-Hour Radio」を聞いた。豊橋でライヴがあり、その前にスタジオに寄っての収録だったそう。「ごはんの湯気で泣くかもしれない」をスタジオで演奏されていた。もう一組のゲスト、HoSoVoSo(バンド名だと思っていたら、ひとりのひとだった。「さん」付けに迷う)もほのかな弾力性のある歌声が感情の幅を感じさせて、よかった。

 通勤音楽は。ニルヴァーナの60年代録音集の解説に、フランソワーズ・アルディが "Tiny Goddess" を歌っているとか、ジミー・クリフのバックバンドに参加して曲を提供したというようなことが書いてあり、在るのが怖いyoutubeで探して聞いた。それからフランスのテレビ番組のアーカイヴ ina.fr でハシゴしたり。

 土曜日は、予定を入れていなかったので、ひさしぶりに市内でのんびり過ごそう、タイミングが合えばと連絡も入れておこう、と思った矢先に母親にかかってきたという電話で、一転暗雲に。かかってきたばかりだからと、連絡してみたが、不在で、折り返しするというので、午前中にお願いします、と伝言したが、かかってこなかった。どんよりした気持ちで、遠出する気が失せてしまった。
 夜、遠出するつもりで留守録していた『刑事フォイル』と『鴨川食堂』再放送を見た。『刑事フォイル』は最終回。戦勝国でも戦後すぐは闇市が横行し、新しい裏社会を作り出していた。戦時中の英軍にも、組織を守るために兵や工作員を見捨てるという隠された事件があり(史実ではないかもしれないが)、それが戦後の事件につながる。フォイルは声高に正義を訴えることはしないけれど、おかしなことを見過ごすことができない、常識人であるがゆえに組織にそぐわない人物として描かれている。おかしなことをおかしいと追及するだけで、おかしさで成り立っている周囲がざわつくのだ。『鴨川食堂』は萩原健一追悼の再放送かな。京都弁が妙なことになっているのだけど、面白いドラマだったと記憶しているので、続きも見ることにする。『デジタル・タトゥー』は老母も一緒に、『腐女子、うっかりゲイに告る』はひとりで見ています。

 きょうは、迷った末に、pocopenさんと見汐麻衣さんを聞きに、天一/南森町「音凪」に。見汐さんは、ぐっときたり、こなかったりだけど、MANNERSのアルバムは大好きで、いまでもよく聞いている。ライヴを見られなかったのが心残りでした。MANNERSの曲も歌ってくれて、MANNERSを聞いたときに連想していた大貫妙子さんの底冷えのするやさぐれた街の歌のひとつである「都会」のカバーもやってくれて、うれしかった。MANNERSの「朝の終わり」のときだけリバーブを深くして、と話されていたけど、吐息のようなエレクトリックギターも好きです。
 pocopenさん、sakana活動終了後、初めて。比較することはないのだけれど、アコースティックギターで、軽やかに書かれる手紙のような歌でした。ほとんど新しい曲だったのでは。エリス・レジーナのカバーも。途中でつまづいて「やっぱり別の曲を…」と言われたときに、「えーっ」と思わず声を出してしまった。差し出た真似をして、すみません。差し出た真似はもうひとつ。アンコールのとき、架空のカフェのテーマ曲のあとで「何かリクエストを」と言われたときに、「ゼロ」が聞きたいです、と言ってしまった。すかさずというか思わずというか。前日歌われた、やっと泣かずに歌えるようになったという話をされていたのだけど、今日は歌われないかな、と予感していたのだけど、やはり聞きたいと思って。予定されていなかったらしいのだけど、歌ってくださいました。ありがとうございました。

6月3日(月)
[一回休み]
6月4日(火)
[一回休み]
6月5日(水)
[一回休み]
6月6日(木)
[一回休み]
6月7日(金)
[一回休み]
6月8日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2019年6月8日】
 先週の日曜日、寝る直前に、眩暈がして、ゆらゆらと、立っていられないかんじになった。何かあったときの記録という訳でもないけれど、異変についてツイートしてから寝た。翌朝、無事に起きることができ、留守録した『いだてん』を見て、日記をまとめたのだけど、眠る前の異変ツイートでたくさんのひとに心配をかけてしまった。
 で、いつもどおりに出勤したのだけど、15時くらいに、軽く打ち合わせをしていたら、またくらくらときて、こわくなった。仕事場に置いている体温計で測ってみると、37度を少し越えている。とはいうものの、表示がときどきおかしいので、電池が切れている可能性もある。定刻であがることにした。駅までの道で同僚といっしょになって、気圧でしんどくなる話などする。「休めるときは休んでいいですよ」と言ってもらって、少し気持ちがやわらぐ。途中下車して、体温計用のボタン電池を買い、書店で内澤旬子さんの『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋)を買い、駅ナカのチェーンカフェで休んだ。前に入ったときにもらった割引券を渡したけど、引かれてなかった、ような気がする。レシートも渡されなかったので、面倒になって、忘れることに…忘れてへんがな。

 もともと暑がりの汗かきなので、気温にやられているのだが、自分が熱っぽいのだかがわからない。電池を交換して、体温計で測り直したけど、やはり37度を越えている。帰りに駅前の診療所に寄ったら、火曜日は夜診療がなかった。なんとか家の近くの診療所が開いている時刻に間に合ったので、駆け込んで診てもらった。インフルエンザ等ではない、風邪です、と。うーん。咳がまったく出なかったのだけど、念のため、マスクもすることにした。水曜日も一進一退で、木曜日になって、やっと平熱で安定した。今週は、他にも就業時間後のミッションがいろいろあったのだけど、ここに来ての風邪で、とにかくミッション遂行、あとは寝る、という一週間になってしまった。

 金曜日の夜、帰宅したら、ちょっとした面倒があって、ばたばた。そのばたばたがあって、もうひとつ懸案になっていることについて腹を括った。午前中に作業して、FAX。それに対して、反応があるだろろうと出かけずに待っていたが、結局、何も連絡がなかった。高齢になると、煩わされること、気に病むこと、気落ちすることが、(生きる)力を落とすことにつながりかねない。そうしたことをひとつひとつ無くしとかないと。

 金曜日のばたばたや懸案に腹を括ったことの底に、内澤さんの本を読んだことがあった、かもしれない。8か月付き合ったのち別れを切り出したことで行動をエスカレートさせた男、との、というよりも、その執拗な嫌がらせで被る支障、防ぐための手続きや制度、警察や司法関係とのわたりあいかた、解決方法をめぐっての「戦い」を記録したもの。主題は、ストーカー行動を病ととらえ「治療」することで解決を図る方向を明らかにすることにある。手続きや制度に、その都度、腹を括って当たる姿が描かれている。解決にはならなくとも、そうしないことには、生活していけない。そこで限界を知る。それでも、ひるんでいられない、ということが強く伝わってくる手記だった。熱のある状態で三日で読んでしまった。

 うれしいニュースもひとつ。去年からリリースの話が出ていたものの、具体化していなかった倉地久美夫さんの新譜『SOUND OF TURNING EARTH』(中村とうよう氏の『地球の回る音』を連想した)が完成したこと。月曜日に届いていたようだけど、どんよりしていて、郵便受けを見ていなかった。イギリスのレーベル、bisonからのリリースで、2017年にジム・オルーク氏のスタジオで録音したもの。ギターと歌のみの弾き語りアルバムで、朗読も含まれている。bisonは、「Cafe OTO」関連の作品を手掛けるエンジニアのアビー・トーマスさん(まだ二十台だそう)の個人レーベルで、「Cafe OTO」での倉地さんのライヴ演奏を気に入り、今回のスタジオ録音をリリースすることになったそう。まだちゃんと聞けてないけど、弾き語りの新しいマスターピースになりそうな予感がする。個人的には、渕上さんとbikkeさんの共作「at home」が収められていることが感慨深いです。

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2019 Kijima, Hebon-shiki