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2019年4月14日〜2019年4月20日


4月14日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2019年4月14日】
 終日、雨。昼の買い物に出たとき、選挙ポスターの掲示板を眺めていたら、背後に車が停まった。車の中のひとも掲示板を見ているのだろうと思っていたのだけど、ひととおり見終えて、掲示板を離れたら、その車も走り出した。なんだか、ポスターに落書きするのではないかと疑われて、見張られていたような気分に。

 昨日は、遠くへ行きたいモードで、塩屋の「784JUNCTION CAFE」で開催されている平民金子さんの写真展「ごろごろ、神戸。もうひとつの世界」展を見に。自宅最寄駅に近づいたとき、地図を持って出るのを忘れたことに気付いたが、引き返すには来過ぎてしまっていた。会場は、駅からは少し離れており、入り組んだ住宅街の中のようだった。地図なしでは心許ない、と、平民金子さんご自身が思われて、ツイターで、詳細な道案内を発表されていた。それを頼りに歩いた。予想していたほど、上へ上へというかんじではなく、なだらかなところやさがるところまであったけれど、曲がるべき角は、その案内がなければ、わからなかったと思う。そんな詳細な案内まであるのに、最後の最後で、反対側をのぼってしまい、裏から入るようなことになってしまって、申し訳ない限り。

 「784JUNCTION CAFE」は小高い場所にある民家を改装したカフェで、明るくて、広い。写真展は2階で。ところせましと写真が貼られていた。おかしみのある風景も映っているけれど、それを楽しむというよりは、そんな風景が平然としている街に居ることを楽しむという風情がある。「ごろごろ」の由来となっている小さなお子さんの後ろ姿がしばしば登場していることも大きい。あとをついていっているような気持ちになる。と同時に、遠くをみやり、辺りに気を付けるような。辺りに気を付けていて、おかしみがあることに気付くのだと思う。ひととおり見終えて、1階で、レモンケーキと出張焙煎のコーヒーを。お勘定するときに、今回の展示にあわせて作られた冊子「ごろごろ、神戸 B面」を買った。帰りの電車の中で読んでいて、ああ、ピンク映画のポスターに貼られたシールは、福原国際東映のポスターへのオマージュか、とか、いまの街が醸し出すさびしさや失われた贅沢などを、写真を思い出して、思い合わせた。感想ノートを書いたときは、写真を見終えたあとだったので、写真のことしか書かなかったのだけど、「ごろごろ、神戸」は、その説明が面白かったのだ。写真の、ちゃんと説明になっていた。

 帰りの電車の中の話になってしまったけれど、その前に、垂水に寄った。ほんとうは、上のほうを平行移動して、福田川に沿って、南下する計画を立てていたのだけれど、地図を忘れたので、断念。道に迷いたい欲が湧いていたけれど、あがったり、さがったりした挙句に行き止まりになって、東西南北がわからなくなって、遭難することを恐れた。言うても、街中なので、いつかは帰れる、なにがしかを払えば確実に、なのだけど、時間内に穏便に済ませられなければ、遭難のようなものだ。
 という訳で、リスクは避けて、わかりやすい海岸沿いの国道2号線を歩いた。まっすぐな道だからか、やたらとランニングしているひとがいて、歩いているひとのほうが少ない。こちらが邪魔な存在のようにも思えてきた。鴨川沿いを歩いているときに、サイクリングコースになっていることを実感したことを思い出した。ひさしぶりに、「大川看板」の前を直に歩いてみたり、公園に入ってみたり。垂水駅にたどりついて、旧「たるせん」の高架下ショッピングモールをぶらぶらして、そのまま帰るつもりだったのだけど、つらつらと考えているうちに、いまはもうない父の実家(イナカと呼んでいたけれど、神戸市の住宅街)のあった場所に行ってみようと思い立った。バイパスができたり、いろいろしているけれど、道順は覚えているものです。なにより、近くにあった公園がそのままで驚いた。祖父と祖母が、うちの家族と同居するためにその場所を離れてから、40年近く経っているのに。大丈夫か、フェンス、と思ってしまった。

 それから、小さな頃、謎だった川の向こう岸の坂道も。小さな頃の記憶では、急勾配でとても長かったのだけど、実際はそんなことはなかった。あの頃からそうだったのだろう。祖母に連れられてのぼったことはあったけど、イメージとしては、その先にあるのは隠れ里だった。いまでも、坂とともに、夢に出てくることがある。それが壊れるからという訳でもないけれど、坂をのぼるのはやめておいた。

4月15日(月)
[一回休み]
4月16日(火)
[一回休み]
4月17日(水)
[一回休み]
4月18日(木)
[一回休み]
4月19日(金)
[一回休み]
4月20日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2019年4月20日】
 今週は長期課題に勤しむはずが、通常業務で延期延期で放置されていたものを急に出すことになって見直しをしたり、前倒しになったものがあったりして、思うように進まず。長期課題も一区切り目について目途が立ったところで見直しをしていたら、元の資料に間違いがあることを見つけたりして。ふだんはそんなに気にしないけど、今週は、金曜日に定刻で切り上げられるかどうか、がかかっていたので、やきもき。そんな状況でも、時間いっぱい使うのは、なんというか。でも、とにかく一区切り目を提出して、振り逃げのように、金曜日は、定刻10分後にタイムカードを打刻した。そのとき、仕事場内PHSの電源を、たぶん一時間くらい切っていたことに気付いた。わざとじゃないです。入れるのを忘れただけです。

 京都・烏丸「磔磔」、もひさしぶりかもしれない。「ふたつのバンドのみっつの春の夜」、出演は、bikke・かわいしのぶ・近藤達郎ユニット、Giulietta Machine。開演5分前に到着。上記のように目途が立たなかったので、予約は入れてなかったのだけど、受付で、予約してないですと告げると「誰かのお知り合いではないですか。前売り扱いでいいですよ」と言われて、迷ったものの、FMN石橋さんの姿が見えたので、「あ、石橋さんが」と告げたら審査通りました。物販コーナーに居らした石橋さんにその旨伝えたら、「今日はジュリエッタ・マシーンの会場限定CD-Rがあるよ」と教えてもらい、購入することに。『Giulietta Machine Quiet Lounge 2014 vol.1』。

 bikke・かわいしのぶ・近藤達郎ユニット、今回は服部夏樹さんが居られないけど、ゲストで山本精一さんが参加とのこと。近藤さんがアップライトピアノ中心なのが耳を引いた。前に置かれたキーボードでも、エレピの音で。3人で少し演奏したのち、山本精一さんが登場、しかしギターではなくドラムに。山本さんがドラムで入った太郎冠者の歌(タイトルは告げられているけれど、ご本人が文字にしたものを見ていないので控えています)は、近藤さんのピアノも縦横無尽なかんじで、とても良かった。包み込むようなストリングス的な演奏は、がっしりしたリズムセクションに対置されたもので、ギター、ベースに対してはピアノのほうがいいのかもしれない。3人の演奏がくっきり際立つようだった。初めて聞く曲もいくつかあった。最後に、山本精一さんの大気たちこめるギターとともに、「ゼロ」。
 「春」で「ハカセを乗せて 水仙 牛乳乗せて」に続いて、「ハカセは語る 勇気と虫の飼い方」のところ、「牛の飼い方」に一瞬聞こえてしまったのは、朝の連続テレビ小説のせいや。

 ジュリエッタ・マシーンは、いつぞやの大友良英さんのライヴで知って、音は聞いていたけれど、ライヴを見る機会がなかった(今回が初めての関西での演奏だそう)。イーストワークスがなくなってからは情報も入ってこなくなって、江藤直子さん、大津真さん、藤井信雄さんのトリオだと思っていたら、ベースの西村雄介さんが入って、カルテットになっていたことも知らなかった。端正で、うっとりさせられる洒脱さのあるジャズと、どきどきさせられる突出した即興が交差する清々しい演奏でした。ドラムが、聞いていた録音で印象のなかった、低音のどっしりした音にびっくりさせられた。最近のアルバムを聞いていなかったけど、こういうかんじなのかな。
 ジュリエッタ・マシーンにも、山本精一さんがゲスト参加。3人含まれるということで、なんとNOVO TONOの曲を。

 最後に、全員で、羅針盤「永遠のうた」を。ヴォーカルはbikkeさんと山本さん。これをやられたら、そのあと、何も「要求」できへんな。帰りに、持っていなかったジュリエッタ・マシーンの1枚目を。最近作も気になったけど、所持金不足で、廃盤を優先してしまった。 

 今日も今日とて(午前中、ホームセンターから簀の子をかついで持ち帰ったりしたのち)京都へ。出町柳「ビバラムジカ」でのエチオピアジア。エチオピアジャズをベースにごった煮の音楽をやる期間限定バンドです。実は3月30日の茨木でのライヴを例によって予定が立たずに迷っているうちに満員札止めになってしまったのだけど、とりまとめをされていたイガキさんが気を利かせてくれて、今回のライヴも早いうちに満員になりそうなので、と連絡をくださったのでした。
 メンバーはアメリカ在住でエチオピアジャズのバンドに参加されている阿部万里江さんを中心に、イガキアキコさん、中林キララさん、水田十夢さん、ワタンベさん、そしてヴォーカルに下村よう子さん。スーパーバンドや。このメンツで、エチオピアジャズをやるというのだから、面白くならない訳がない。

 時間まで、「ホホホ座」に寄って、雑誌を買ったり(「フリースタイル」42号、「Pen」472号、「望星」50号)、「出町座」ほか出町柳の商店街を見てまわったり。ところが。ここで急にサシコミが。出町橋まで戻って、脇の公衆トイレに。前に歩き回っているときにそこにあることを知ったのでした。助かりました。

 戻って、そろそろ場所の確認をと思ったところに、知らなかった古本屋を発見。古いけど、絵本も多く、面白そうな品揃えだったので、場所確認もまだなのに、ついぎりぎりまで棚をチェックしてしまった。まだ全部見終わっていないけれど、いよいよ時間だと思って、外に出たら、そこで、リハ終わりのエチオピアジア一行に発見されてしまった。「いまだったら、まだ座れますよ」と老体を気遣っていただいたので、急いで会場に。前を通ったことはあって、ここか、と思ったもののちゃんと把握はしていなかった。まだ椅子は空いていた。けど、近い、近すぎる…。

 演奏は、親しみやすいメロディとあれあれあれとなるリズムの組み合わせに、メンバーそれぞれの持ち味が遠慮することなく投入されて、まさに混然一体、ごった煮の楽しさが発揮されたものでした。音も面白いけど、演奏する様子を見ていても楽しいひとたちなので、集中が途切れることなく。エチオピアのアムハラ語に詳しい研究者のかたが会場に来られていて、その方への質問も交えたエチオピアジャズにまつわる阿部さんの話も楽しかった。
 あのお日さんをとってくれろと父に懇願するまでもなく自分でバケツで捕まえる少女の歌や江州音頭などもエチオピアジャズ化。下村よう子さんが、歌だけでなく、耳コピしたアムハラ語のほか、曲からイメージされる独自の日本語詞を作られたりして、取り組みへの力の入りようが伝わってくるものでした。これで終わるのはもったいない内容でした。

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2019 Kijima, Hebon-shiki