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2019年3月3日〜2019年3月9日


3月3日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2019年3月3日】
 昼前の買い物ついでに、ひさしぶりに近所の「ブックオフ」に寄った。知ったのは最近だけど、出たのはずいぶん前という「すっかり出遅れた」ものがあれば、と。出たのは数年前なのに、出遅れ過ぎて、買えなくなったものもチェックしたくて。どちらもなかったけれど、ふと見ると、諸星大二郎『暗黒神話』完全版があった。『暗黒神話』は、最初の連載時点から、かなり省かれているという話だったので加筆されたバージョンは気になったが、値が張るのと、中身が見られないことで躊躇して、そのままになっていた。
 余談。一般化するつもりはないけれど、わたしに限って言えば、立ち読みできなくなったことで、漫画から離れてしまったということは否めない。絵が好きかどうか、コマ運びにぐっとくるかどうかがポイントなので、見られないことには読むべきかどうか判断がつかないから。雑誌各誌を追う余裕は経済的にも時間的にもなくなっていた。漫画喫茶が出てくる頃には、積極的に読もうという気が失せていた。
 ほいで、ぱらぱらとめくったのだけど、正直な感想を言えば、紙やインクの色を部分的に変えていることには違和感を覚えた。ぱっと見、で申し訳ないけど、そのことがうまく言っているとは思えない。という訳でかなり迷ったのだけど、安かったこともあって、とりあえず買いました。

 雨が降ってきたこともあり、午後からは外出せず。母親がずっと2時間ドラマを見ているが、見ているといっても、ほとんど寝ている。きょうはひさしぶりに、眠くなったので自室で寝る…と言って、居間を出たのに、1分もしないうちに戻ってきた。テレビを消して、音楽を聞く気満々だったのに。寒いから、というのだけど、居間のエアコンより性能のいいエアコンがあるのだ。暖かくなるまで待てないらしい。
 時折起きては、画面に映っている登場人物の言動や事件について、頓珍漢なことを言う。見てないのだからしょうがない、のだけど、見ていたはずなのに、と思える場合もあり、疑問形で話が振られると、「ちがう」と否定的に答えざるを得ないのがつらい。お門違いな意見になると、聞いていて我慢できないときもあり、つい、おかしな点を指摘してしまうのだが、それは単にわたしが耐えられないからに過ぎず、あまり出歩けず、他人と話をする機会もあまりない老母の言うことは、放っておいたらいいのかもしれない。とは思うのだが。しかたがないので、ややこしいときは黙っていることにしたのだけど、それだと無視しているみたいになってしまうのが、またつらい。話を聞くために、音楽も聞かずに居るのに。しくしく。

 「佐藤幸雄という男」展に参加させてもらって、つくづく「ものづくり」ができてないと痛感している。いや、初めからそれはわかっていたのだけど、それでもやらせてもらったのは、いつも英語でしか思い浮かばない(という話は以前「雲遊天下」にも書いた)contributeする機会だったから。ものをつくっているひとには、自分にはできないことをやっていることへの思いがある。ひとことでは言えない(ので英語で誤魔化している)。尊敬とか敬意という言葉もちがう気がする。もっとシンプルに、影は踏まないようにしてる、とか、そんな気持ちでいる。表現する、ものをつくるという点で、存在のしかたが既に1対多であって、表現に接するときには、わたしは多のひとりであることを意識している。個人的にどんなに親しくても、表現に接する他の多のひとりひとりには関係がない。だから、おおやけの場では、一線を引いて、多のひとりとして接する。ともに、ものをつくっている訳でもないのに、仲間のように振るまうことはできない。そのことで、表現に接するひとりひとりの場所を空けておこうと思う。でも、contributeしたいという気持ちはある。だから、機会があれば、できることをすることにしている。
 場所を空けておくことについては、異論はあると思う。空けておいたら、よからぬ連中が占有する、それを防ぐために先に囲んでしまって、こころあるひとたちに分ける、という考えかたもあるだろう。でも、表現に接する向き合いかたは、ひとによっていろいろだから、接するために、その表現以外の要素について、同調しないといけないようなやりかたは避けたいと思っている。

3月4日(月)
[一回休み]
3月5日(火)
[一回休み]
3月6日(水)
[一回休み]
3月7日(木)
[一回休み]
3月8日(金)
[一回休み]
3月9日(土)
[ハードディスクが壊れたため、一回休み]

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2019 Kijima, Hebon-shiki