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2019年1月27日〜2019年2月2日
1月27日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年1月27日】
天神橋筋商店街を六から一まで歩いて…歩くと、途中の古書店に寄ることになる訳で、ヒンディ語の映画ヒット曲の対訳本は思い留まったものの、野口久光『私の愛した音楽・映画・舞台』が安く出ていたので、つい。それと持っていない「季刊 映画宝庫」9号「日本映画が好き!!! 洋画クレージーの日本映画発見」を。 雲州堂での冬支度10周年記念ライヴに。先日、改めて、CD-Rの『なんにもない日々』を聞いていて、ここに入っていて、『OLD HEIGHTS MUSIC』に入ってない曲も、録音物として聞けるようになったらなぁと思っていたのですが(ライヴでは演奏されています)、発掘された初期だけ演奏していて今はやっていない曲もとても良く、その頃は聞いていないので比較はできないものの、ひょっとしたら、今の、カルテット編成を含めて、演奏が充実しているからということもあるかもしれない、と思える演奏でした。思い返すところがいろいろあるので、できれば、改めて(と言って、週の忙しさに紛れてしまうことが多々ではあるけれど)。 |
1月28日(月) |
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1月29日(火) |
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1月30日(水) |
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1月31日(木) |
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2月1日(金) | 【▼ぐりぐらメモ/2019年2月1日】
オン・ザ・ロードー・アゲイン。担当分はかなり落ち着いてきたけれど、フォロー作業や調整案件がひっきりなしにあり、こなしているうちに、一週間が過ぎてしまった。手をつけるつもりだった長期課題にまったく着手できず。とほほ。 月曜日は、風邪の前兆があった。目は充血、仕事しているうちに、足が冷たくなってくる感覚。その日の出稿分が、自分の担当作業は終えていたものの、最終的なOKが出ていなかったのだが、何かあったら、連絡くれるようにと携帯連絡先を置いて、帰宅した。21時には布団に入って、風邪を封じ込めようとしたが、早く眠ると、案の定真夜中に目が覚めるのであった。今週は、ずっとそんなかんじでした。 火曜日の夜(水曜日の朝か)には、ひさしぶりに記憶に残る夢を見た。仕事で、ある建物の5階にあるセミナー会場と思しき広い部屋に出向いたのだが、衝突が避けられないかんじの人物が入ってきたので、そのひとを避けて、部屋の外に出る。休憩がてら、1階に降りたら、ミニコミの展示などしていて、和んだ。気を取り直して、戻ろうとエレベーターに乗ったつもりが、実は電車で、そのまま走り出してしまう。次の駅で降りたが、戻るための切符購入で手間取り、ホームも見つけられず、というところで目が覚めた。
水曜日の夜(木曜日の朝)も、覚えている夢を見ていた。今度は不条理ものではなくラブストーリー。なんでや。心当たりも、あてもないのに。詳しくは書かない。影響物もわからない。寝る前に読んでいたのは、荒木一郎『まわり舞台の上で』でした。『日本ロック史』に書かれているようなことが推測できるようなことが書かれてたっけと思い。それがなんでラブストーリーになるねん。 水曜日は鍼灸院に。心臓が不調なのではないかとの指摘。と言われても、どうしたら、心臓は鍛えられるのだろう。 で、木曜日の夜(金曜日の朝)は、詳細は薄れてしまったが、また夢を。ときどき出てくる寂れた旅館が舞台。最初は会社の慰安旅行で来ていたようだが、何かあって、抜け出して帰った。のだが、みんなが帰ったあとで、舞い戻り、人間ドックを受けてるみたいだった。何かあって、というのは、火曜日の夜と同じで、きっと衝突を避けられないかんじの人物が居たのだろう。そこは、心当たりがないとは言えない。今週、指示されているルール、取り決めを破ろうとするひとが、指示や取り決めを課した側に居て、何故か「いいのか」と許可を求められ、そのひとに向けて、指示や取り決めの内容と意味を説明するということが続いた。なんでわたしが(の季節ですが、これが本来の、意に沿わないという意味での心外さをあらわす使いかた)。 ミシェル・ルグランさんと橋本治さんの訃報が続いた。橋本さんの本はずっとつかずはなれずだった。読めば、その時々の問題や事態に沿って、言葉を丁寧に這わせながら、出口に到達する。出口に出てみると、いつもと同じところに出てきたような気になる。ほんとうは違っていたかもしれないけれど、そんな気がして、安心するような、納得するような変な心持ちがして、それでまた、きっかけがあるまで積極的には読まずにいる、というかんじでした。強引なかんじはないし、結論が最初から決まっている訳でもない。ただ、問題に触れる仕草や手つきが変わらないだけで。読んでいたのは、「だっくす」「ぱふ」「マンガ奇想天外」以来、主に評論だったけど、小説や古典の読解は、その実践という趣きがあった。常に実践するひとでもあった。創作はほとんど読んでいないので、これから読んでいこうと思う。
日曜日の冬支度10周年記念ライヴ。10周年ということで発行された記念文集(我が業界で言うところのペラものですが)に文章を書かせてもらいました。冬支度の面々(安田支度さん、斎藤祢々子さん、渡瀬千尋さん、藤江隆さん)、盟友で安田さんと斎藤さんがバックを勤めることもある大津光央さん、熱烈な応援団のおおいしけいすけさんに混じって、いや、ほとんどの冬支度好きのみなさんにとって、おまえだれやで申し訳なく思いつつ。でも、応援したい気持ちはあります。あります、なんて言うと、疑わしくなる昨今ですが。 先日のNHK『まんぷく』で主人公がこれから作ろうとしている製品について、主人公の姉が「なにかわからないものでも、名前があったら、とりあえず会話はできる」と言って、口々に提案し、「即席ラーメン」の語が飛び出すという場面があった。音楽について何か書くときは、いつもそんな心持ちです。妙なネーミングやキャッチフレーズを定着させたい訳ではなくて、きっかけになるものを置きたい。「それちゃうやろ」と思われるようなものでもいい、とすら思っている。 ほいで、冬支度のひとたちは、みな、慎ましいというか控えめというか、多くを語らない。つながりのあるひとたちのことはたくさん話されるけれど、自分たちの音楽については、なんというか、はったりめいたことを言わない。音楽も、突飛さや奇妙さは見受けられない。モデルもそんなに明確ではない。のだが、それは「普通」「よくある」とはちゃうんよ。屈託がないように見えても、そんな訳ない。訊ねたことはないけれど、持ってる語彙をつきあわせて、しっくりくる地点を探しているのとちゃうかなと思うし、それがいままでどこかにあった場所とは限らないというか、気にしていないのではないか。気にしてなさ、が、思いがけず、不思議な場所に出てしまう、のではないか。 そんな彼らなので、10周年といっても、やっぱり自分たちを語らない。オープニングは、冬支度にも参加しているギターの名手(わたしは歌を聞いたことがない)藤江隆さんとギタースクールを主宰されている中川裕太さんのギターデュオによるナマ客入れBGMギターインスト。以前、やはり「雲州堂」でのライヴで、2階の楽屋でBGMとして演奏していた例があったけど、今回は舞台で。となると、もともとひとりでいることが多く、BGMを聞き入ってしまう者としては、集中してしまうのであった。BGMといっても、BGMで済む訳はなく、選曲こそ、スーパーで流れていてもおかしくないスタンダード多めだったけど、心地よくもスリリングな演奏でした。デュオによるアレンジの妙も楽しかった。
文章を書くにあたって、唯一のミニアルバム『OLD HEIGHTS MUSIC』の前にCD-Rで出されていた『なんにもない日々』も聞いていたのだけど、ライヴでは演奏されているものの、『OLD HEIGHTS MUSIC』から漏れた曲もやはり良くて、録音物として今のところ無いことになっているのは惜しい、と思ってしまった。この日に演奏された、初期の頃だけ演奏されていた曲(「週に三日は自己嫌悪」というそう…)がまた一風変わった雰囲気で良かったりして。いまは動画投稿サイトなどいろんな媒体があるので、「録音物」にこだわってしまうのはどうなんやという気もするけど、もったいないと思ってしまうんやな。 そう言えば、仮題問題というのも話されていました。タイトルを付けるのは難しい。仮題からヒントになったもの、触発するものをうかがうことはできるかもしれない。でも、これも、また、よりしっくりくるものが出てきたら、なにごともなかったかのように馴染んでいくんやろなと思います。 ライヴは、斎藤さんとザンネンズもりべさんのフルートデュオをはさんで、二部構成。やっぱり突飛なことはされないけれど、いい曲がたくさんある、ということだけでいいような気がする。アンコールでの小沢健二カバーでの斎藤さんの低い声の歌を生かす線もあればなー、なんてまた勝手なことを思いながら、終演となりました。
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2月2日(土) |
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2019 Kijima, Hebon-shiki