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2018年10月28日〜2018年11月3日


10月28日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2018年10月28日】
 阿木譲氏の訃報があったことを書くのを忘れていた。彼が作った雑誌「ロック・マガジン」の読者だった。でも、もともと文章は好きではなかったし、信奉者と思われたくもなかったので、そのことをひとに話すのは、どちらかと言えば、恥ずかしいことだった。高校生のとき、既にそうだった。体育館に向かう途中の雑談で、そんなことを話した記憶がある。そう言えば、それ以前の中学生のときの話だけど、NHK-FM「ヤング・ジョッキー」でかかった「ピンク・フラッグというバンドの "WIRE" というアルバム」について話したのも、マーク・ボランが亡くなったことを話したのも、体育の授業のときだった。朝いちばんだったということもあるけれど、席が決まっていないので、雑談しやすかったのだろう。

 阿木氏の文章が難解だということはなかった。ただ、酔っているというか、自信家が書く文章のように思えた。それでも、「ロック・マガジン」を読んでいたのは、多くのひとが指摘するところだと思うけど、その時点で、そこでしか取り上げられない情報がたくさんあったから、です。何が早かった、ということではなく。面白い、面白そう、聞きたいと思える音楽について書かれていたということです。その情報の周辺で書かれる他のひとの文章には面白いものもあったし。

 最初に買ったのは、1977年の夏。中学生の頃は、少し貯めてから、Yと書店めぐりをしに行ったりすることはあったけれど、電車に乗って出かけるようなことはなく、親戚んちに行った帰りに、つまり交通費が親持ちのときに、梅田に寄るのを楽しみにしていた。そんな機会のひとつだったと思う、阪急梅田駅構内の「紀伊國屋書店」で、A5判の「ロックマガジン」を見かけ、立ち読みして、知りたい音楽についての情報が書かれていたことから買ったのだ。KBS京都ラジオの「FUZZ BOX IN」は時々聞いていた。サンテレビで、やはりKBS京都制作のテレビ番組「POPS IN PICTURE」も見ていた。でも、そこに出ているひとが雑誌をやっているということは事前には知らなかったように記憶している。イーノの "BEFORE AND AFTER SCIENCE" が出たときは確かに知っていたから、今から思えば短い期間の出来事だし、もはや40年前のことなので、記憶の捏造もあるかもしれない。と、このまま、「ロックマガジンとわたし」を続けそうになったが、確認しながら書くことができないので、やめときます。何度もスタイルを変えている雑誌なので、それぞれの特徴とともに、変遷をまとめたサイトがあってもよさそうなのだが、見当たらない。古本の出品情報しか見当たらない。
 あと、経緯はいろいろあったようだけど、あがた森魚『乗物図鑑』、アーント・サリー『AUNT SALLY』、マッド・ティー・パーティー「HIDE AND SEEK」はとても好きなレコードです。

 土曜日は午後から外出。「レトロ印刷JAM」で行われている「ZINE DAY OSAKA」を覗こうと思っていたのだけど、18時くらいまではやっているだろうと思っていたら、17時までだった。出るのが遅く、中津駅に着いたのが16時半。いっときよく行った界隈を抜けて、記憶を頼りに歩いたら、案外早くに着いたけれど、それにしても残り時間わずかなので、じっくり見る余裕がなかった。それと、対面販売が苦手なので、そそくさしてしまった。説明されなくても、見れば、どういうものか、必要なものかどうかはわかるから。いちど売る立場になって考えてみたい。

 東に歩いて、さらに天六から天一まで南に歩く。途中、古本屋が並ぶところは、時間が読めなくなるのでスルー、と思っていたのだが、探している本が出ていそうな店を、その分野に限定して、覗いた。目下探しているものは見つけられなかったけど、ラビ・シャンカル著(小泉文夫訳)『ラビ・シャンカル わが人生わが音楽』(音楽之友社、1972年8月)を見かけて、手にとった。ラビ・シャンカールの自伝があることは聞いていたけれど、実物は見たことがなかった。そんなに彼の音楽を聞いている訳でもないので、どうしようか迷ったのだけど、後半にシタールについて取り扱い説明や演奏法を解説している部分があり、取説書きとして、これは持っておかないとという気になってしまって、買うことに。
帰宅してから、調べたら、数年前に新装版が出ていた。けれど、高くて、しかも手にしたひとの呟きによれば、その取説部分が割愛されているという。ちなみに、72年版もネット通販店では高値が付けられている
けれど、買ったのは普通の値付け(当時の定価から何割か引いた価格)でした。

 「音凪」に。出演は、佐藤幸雄さんソロとてあしくちびる。てあしくちびるをちゃんと聞きたくて。佐藤さんとの共演もあるというので楽しみにしていました。てあしくちびるは、アコースティックギターとヴァイオリンのデュオ。なのだけど、まったく穏やかならない、速いストロークによる鋭角的なギターと緩急の対比が鮮やかなヴァイオリンに、ラップの要素が強い歌。ヴァイオリンの音から、ヘンリー・カウ周辺の室内楽的なロックを感じさせる展開もあるのだけど、詞が持つ動きに合わせていると言ったほうがいいのか、詞と一緒に動くような演奏がよかった。聞けて良かった。知る範囲では、マルタさんを思わせるところがあると思っていたら、アルバム『こわれす coreless』はマルタさんのクラブ・ルナティカからの発売だった。

 佐藤幸雄さんは、エフェクトで薄くたなびくような音を下地にするなどソロ用の新しいアレンジを工夫して、ギターに注意が行き過ぎないように歌に寄せていた。最後に、てあしくちびると共に、3人で佐藤さんの曲を。「顔見知り」では二人に「顔見知り」をお題に振る。川内さんのラップで歌われた「距離」が面白かった。

 終演後、てあしくちびる『こわれす coreless』とその前の『Punch! Kick! Kiss!』を購入。川内さんと十代からの付き合いがあり、数年前に大阪に転勤で越してきたという若いひとと話していたら、星ヶ丘洋裁学校に関わっていたり、bikkeさんの「ミーハー」(と自認されていた)だったり、「円盤」で行われたオフノートを聞く会に参加されていたりと通じる話が多く、話し込んでしまった。

 いつもこの時期、何故か南森町界隈を夜遅く歩くことが多く、ハロウィンで浮かれた団体に遭遇するものだけど、今年は遭遇しなかった。話し込んでいて、少し遅くなったからかな。

 今日は、見損ねていた越川道夫監督『二十六夜待ち』の心斎橋でのリクエスト上映に。告知では15時からとなっていて、それなら、夜に何かあっても行けるなと思って申し込んでいたのだけど、直前になって、17時からの誤りでしたと連絡が。何か、と言っても、特に調べてもおらず、何もなかったのでよかったけれど。空いた時間に、「喫茶アオツキ」に行こうかなと思っていたら、本日休みのツイートがあった。ので、用事で出かけた母の帰りを待ってから出ることに。
  『二十六夜待ち』は、澁谷浩次さんが音楽を担当されているということもあって、見たかったのだけど、年末年始でバタバタしている時期で、見損ねてしまった。過去は明示されないけれど、津波で家を失い、叔母(天衣織女)の家に身を寄せている女(黒川芽以)と、何かのトラブルから痛めつけられて山中に捨てられた記憶喪失の男(井浦新)。杉谷と名付けられた男は料理人であったらしく、料理の腕だけは身体が覚えていたことから、市の福祉課職員(諏訪太朗)らのサポートで小さな料理店を開くことになったのだろう。店は繁盛しているが、昼の時間の人手が足りないことからパート募集を出し、そこに閉じ籠り状態を変えようと由実が応募し、働き始める。記憶を喪失した男とそれまでの生活を喪失した女が、微かなすれ違いを繰り返しながら、生活と記憶を作っていこうとする。何も起こりませんように、と思いながら、見ていました。何も起こらなくてよかった。澁谷さんの音楽も、何か起りそうな不安を、なだめるようなかんじで鳴っていた。

 心斎橋で寄りたいところもなく、帰宅。途中、梅田の書店で、寺尾紗穂さんのエッセイ集『彗星の孤独』を購入。

10月29日(月)
[一回休み]
10月30日(火)
[一回休み]
10月31日(水)
[一回休み]
11月1日(木)
[一回休み]
11月2日(金)
[一回休み]
11月3日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2018年11月3日】
 このところ、仕事で「飛べない空」的にやさぐれていることもあり、22時になる前に眠ってしまう日々が続いている。で、2時とか3時に目が覚める、と。でも、その時間だと、眠らなという気持ちと、し忘れていることを思い出してやらなあかんなという気持ちとがせめぎ合って、悶々とするだけで、結局、ツイターをダラ見したり、録画していた番組を見たりして、メモができない。
 22時になる前に眠ってしまうのは、以前も書いたけど、母親の爆音テレビ視聴と話題からの逃避という意味合いもある。話をしてくれるのはいいことなので、話に付き合いたい気持ちはあるのだけど、つくづく思うのは、テレビのワイドショーは、「それ」に関心がないひとに繰り返し繰り返しあっちでもこっちでも同じ話をして、関心を持たせることなく、飽き飽きさせるものなんやな、ということ。関心なく、飽き飽きしてることについて聞かされるのはつらい。それぞれの分野では知らないけれど、その他のことについての「見識」が保証されている訳ではないタレントや売名行為を恥と思わない評論家のつもりもないかもしれない元政治家の的はずれな御意見を間接的に聞かされると、糺したいのだが、母親に向かって糺してどうなるという気もする。疑問を口にするけど、見てたらわかるようなことがほとんどだし、ほんとのところは関心もないのだし。外に出るのは、近所に買い物に出るくらいで、道路に面した居間に座って、テレビを眺めるか、外を眺めるか、ずっと座っているのがしんどいので自室に戻って横になる(そして眠る)かなので、そうなるのも無理はないのだけど。よいインプットは、おいしいものくらいしかないかもしれない。それも気に入ったら続けて飽きるということをよくやっているので、ときどき新奇なものを仕入れて試してみてる。といっても、仕事場の売店に入ったパンや菓子、スーパーの惣菜なのだけど。
 
 座ることができれば、電車での移動中がいちばん落ち着くので、つい、読みかけの本、読み終えたが感想を書けていない本、買ったCDなどを持ち歩きがち。重い。にもかかわらず、ほとんど取り出さなかったり。通勤本は、先週は「ユリイカ」の濱口竜介特集、今週はミズモトアキラさんの『武田百合子「富士日記」の4426日』でした。他に雑誌をばらばらと。
 「ユリイカ」では、三浦哲哉「串橋がチェーホフの戯曲の一節を暗唱するとき、ひとり驚いていない朝子の目」、冨塚亮平「『寝ても覚めても』の方法」、岡本英之氏へのインタビュー「見せるために動くこと、あるいは声のはじまり」が参考になった。「ユリイカ」は、映画を見てからでないと読めないと思って、置いてあったのだけど、そう言えば、同じ理由で途中でやめた細馬宏通さんのポッドキャストが聞けてない。
 「iD」誌で、石橋静河さんが『きみの鳥はうたえる』の脚本を読みながら、ジョニ・ミッチェルの "Case Of You" を連想し、撮影中も合間にギターを弾きながら歌っていたという話を読んだ。劇中、カラオケ屋で歌う場面があったけど、よかった。今は俳優に専念したいということだけど、録音物は作らなくても、映画の中の一場面でよいから、聞きたい。

 月曜日。ネットの砂漠をとぼとぼと彷徨っていて気になったフランスのデュオ、Arld(アールト)"FEU LA FIGURE" が届く。2作目とのことだけど、日本盤が出ていて、対訳もあり、工藤冬里さんと共演した日本でのライヴ録音がボーナストラックとして追加されているということで、ただ聞くだけでなく、聞いて気になれば知ることもできることから買ってみた次第。

 火曜日、ネットストリーミング番組「DOMMUNE」(Mは重ねる、Nは重ねない)で、Ayuoさんの『OUTSIDE SOCIETY』を話題に取り上げた「実写版「AYUO」?あるサイケデリック・ボーイの音楽遍歴」を、帰りに仕事場最寄駅近くの喫茶店で見た。話を進めたい司会者と誤解を避けたいAyuoさんの間で話の遮りあい。Ayuoさんの音楽が少しでも流れて、よかった。最後のハーディガーディとのデュオ演奏は移動しながら。ライヴをまた見たいと思った。『Ayuo sings Berlin』も聞きたい。

 抽選に応募していたクルアンビン Khruangbin のコンサートについて、席が「ご用意され」たのだけど、メールが来たのが火曜日で、入金期限が水曜日の21時までとなっていて、失敗できない。不正なやりとりを防止するための仕組みだろうとは思うけど、面倒な上に、その都度、手数料がかかる。こうした仕組みを利用するコンサートを見ることはほとんどないけど、嘆息する。
 クルアンビンは、台風で自宅待機となった日、動くに動けないので、Tiny Desk ConcertやA Take Away Showの映像を、サムネイルをたよりにハシゴ聞きしていて、おおっとなった。おおっとなってからバンド名を確認したら、かなり前に知り合いのこなにさんが良いと言っていたバンドだった、のでした。で、演奏しているところを直に見たいバンドやな、と思っていた。で、先週。注文していたヴィンス・ガラルディの "IT'S THE GREAT PUMPKIN, CHARLIE BROWN" のサントラが発売日を3週間過ぎても届かないので、ほんまに出てるんかいなと思って、検索をかけたら、クルアンビンが "Christmas Time Is Here" をカバーしている映像が出てきて。というタイミングで、勢いで、抽選に応募したのでした。 "IT'S THE GREAT PUMPKIN, CHARLIE BROWN" は発売延期、注文はキャンセルの連絡が来た。配信はされている。届かないので配信を聞いてしまっていたのだけど、テレビの音をCDにしただけのものだったので、ありがたみは少なかった。スヌーピーの声は入ってるけど。

 きょうは、午後から京都に。目的地が自転車を止められるかどうかわからなかったので、バスで行くことにした。「レコードの日」ということで、「JETSET」に寄ってみたけど、「レコードストアデイ」のようには盛り上がってなさそう。高価なのを越えて欲しいアイテムなし。市川紗椰インタビューが出ているパンフレットだけもらう。ヒゲの未亡人「絶対恋愛!COUNT DOWN!!」b/w「ロックを踊る未亡人」を購入。

 次のバスまで10分ほどあるので、その間に「三月書房」を覗こうかとも思ったのだけど、やめといた、ら、30分近く遅れた。ぜんぜん寄れたやん…。それぞれの路線がどこまで来ているか、予告のために表示されるのだけど、9つの路線全部が「次」までになっていた。次に何が来るのかわからない、というか、ビンゴゲームの終盤みたいだった。
 で、バスに乗って、思い立って、目的地から少し離れた場所にある…はずの行ったことがない古本屋に寄ってみることにしたのだけど、見つけられず、時間も迫ってきて、結局、単にものすごく遠回りしただけになってしまった。
 名前は聞いたことがあったけど、初めて行く堀川丸太町「チタチタ喫茶」に。暗くなってからなので辿りつけるか心配だったけど、路地の角地にあり、すぐに見つけることができた。ベートルズと池間由布子さんのライヴ。この組み合わせで去年「もしも屋」で行われたときは、知ったときには、遅かった。今回もつい先日知ったのだけど、メールを入れたらまだ間に合って。
 
最初にベートルズ。渡辺さんおひとりでベートルズなので、ベートルズのべーさんと言うのはヘンなのだけど、ユニット名、団体名は「さん」付けしない方針なので、ベーさんで。ひさしぶりに聞いた。明瞭で、力強くはないけれど、快活な歌。ビートルズ("I Will")やカエターノ・ヴェローゾ、「チタチタ喫茶」の店主のかたがルー・リード好きとのことで、ルー・リード "New York Telephone Conversation" などカバーも交えつつ、生活感のある視線で描かれた歌を歌われていました。ボサノヴァもよかった。池間さんを呼んで、デュオで数曲演奏された。サザン・オールスターズのカバーや「あいのうた」も。
 池間由布子さん、何度見ても不思議なかんじがする。いたずら好きのゆうれいのような。実在しているのか、と聞きながら思ったりもする。チタチタチタとコーラスさせて、メロディを被せたりして。だんだんギターが激しくなったりするのも、思うに任せているかんじで。アンコールでは、べーさんを呼んで、ふたりで回る椅子の上に立って、踊りながら、アカペラでサザン・オールスターズのさっきのカバーを歌ってた。自由すぎる。もちろん、ギターと歌もとてもよかった。「外人ハウス」も「雨はやんだ」も「光輪」も歌ってくれました。今年の夏前に発売された、ということを割と最近知った池間さんのレコード『野となり、山となる At on with field』を購入。京都の沢池で録音されたというこのレコードを裸のまま提げて帰宅しました。裸、というのは言い過ぎか。ジャケは着たはります。まだプレーヤーを復旧させてないけど、聞きたいレコードが溜まってきたので、なんとかしないと。

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2018 Kijima, Hebon-shiki