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2018年8月12日〜2018年8月18日


8月12日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2018年8月12日】
 補修工事が一段落する、というので終わるのを待っていたら、いつも16時くらいなのに、19時まで。いつ終わるかもわからなかったので、出るに出られず。一段落するというのに監督は来ておらず、進捗状況がよくわからないので、老母が依頼先に電話をかけると盆休みに入っており、ぶつくさ。そういうもんだろうという部分もあるのだけど、そう言っても、なだめることにはならないから、どうしたものだか。

 アリン・シップトン(奥田祐士訳)『ハリー・ニルソンの肖像 NISSON: The Life of a Singer-Songwriter』を読み終える。80年代になると、終わりが近付いてきて、つらくなってしまい、少し読むのを休んでました。ジョン・レノン殺害事件以降、銃規制運動に取り組んだこと、ミュージカルや映画の分野で起死回生を図っていたことなど、知らなかった。ひとを楽しませることを忘れないが、自身の作品についての方針は譲らない、不思議な人物がどうすれば浮上できるのか、そんなことを思いながら読んでいました。

8月13日(月)
[一回休み]
8月14日(火)
[一回休み]
8月15日(水)
[一回休み]
8月16日(木) 【▼ぐりぐらメモ/2018年8月16日】
 月曜日からやっと盆休みのようなかんじだったけど、諸事情あって、あまり出歩く気分ではなかった。昼の買い物だけで、暑くて、へばっていたのも確かだけど。夕方近くになって、少し近隣を回る程度。しかし、近隣では望みのものは手に入れられず。なにか、こう、買いに行った、あった、楽しみにしながら大事に持ち帰った、という一連の出来事がなかなか起らないかんじです。

 本当は休み明けだけど、例によっての事情で自主休暇に。朗報があったこともあり、出かける気に。ほんとなら思い立って、降りたことがない(と思う)阪急電鉄「洛西口駅」で降りて、「イオンモール京都桂川」内の映画館に上田慎一郎監督作品『カメラを止めるな!』を見に。ツイター上でちらほら評判を見かけていたもの。知らない町で、予備知識なしに映画を見るのもよいか、と思ったので、下調べなしで。館数が少ない状態でスタートして、評判になって、上映館が増えていったということなのだけど、知った7月後半の時点では関西でやってるのは桂川くらいだったと思う。家を出る前に席を確認したら見る回は大丈夫そうだったので、現地でチケットを購入することにしたのだけど、一時間前に着いたもののチケット売り場に列ができていて、有人窓口待ちして券売機に行かないひとが列を止めたりして、なかなか進まない。券売機に辿り着いたときは、ほとんど席が残っていなかった。恐るべし。30分ほど階下の書店を覗いたりして戻ったら、完売になっていた。
 映画は楽しかった。アイデア勝負、ではあって、だから、話すに話せないというのがよくわかる。とは言うものの、なにも言わずに、ただ面白いですよ、では怪しい。客席の描写で云うと、はじめ、疑問符付きで、ざわざわしているのが、進むにつれて、呆気にとられて、やがて感嘆符付きの笑いが起る、というかんじです。疑問符が感嘆符に変わるのが楽しいので「言えない」のだ。コメディ、パロディということは云うといてもええかなと思います。

 巨大な、そして人が多い「イオンモール」館内を少し散策したのち、書店に戻り、本を二冊。ひとつは大貫健一郎・渡辺考『特攻隊振武寮  帰還兵は地獄を見た』(朝日文庫)。朝日文庫になったばかりということを知らずに、朝日文庫のコーナーで探していて見つけられず、遺憾ながら検索して、新刊コーナーで見つけることができた。NHKの番組取材をまとめた本で、ネットに(違法にだが)アップされている映像を見たら、見た記憶があった。でも、本にまとめられていたのは知らなかったし、特攻隊の生き残りで、振武寮について証言している大貫健一郎さんが、大貫妙子さんのお父さんであることは知らなかった。
 もうひとつは、趣味の谷口蘭本集めで、ブティック社『手作りで楽しむ 毎日着たい服、毎日使いたいこもの』。

 「イオンモール」の2階から直結している陸橋に出たところで、突然、大粒の雨に見舞われた。エレベーター入口に駆け込んで、降りて、折りたたみ傘を取り出した。少し付近を歩くつもりにしていたのだけど、駅に急いだ。

 帰ってから、振武寮についての映像を見た。youtubeには、タイトルの意味するところを曲解して捏造だとする非難が書き込まれていて、うんざりした。「許されざる帰還」と題された番組が「振武寮配属兵に再び特攻を命じ、生還させなかった」ように描いているという前提で、特攻部隊以外に送られ生存していることをもって捏造だ、と言っているのだが、生還させなかったとは描かれていないし、「許されざる」は生還させなかったという意味でもない。アクロバティックすぎて、説明するのも面倒なくらい。何者かわからない、この問題についてどのような資質があるのかわからない、そんな人物の発言が、証言や丹念な取材と「同等」であるかのように扱い得るということにうんざりする。それをわかっていて、言ったもの勝ちであるとばかりに、でたらめを並べることを恥ずかしいと思わないのか。それを恥ずかしいと思わない者が国を語るということにやましさはないのか。信用、信頼ということを気にもかけていないひとたちを何故、どのように信用、信頼できるのか。

8月17日(金) 【▼ぐりぐらメモ/2018年8月17日】
 今日も諸事情による休み。補修工事関係で朝からごたごた。老母がリフォーム業者への不信感を募らせていたのだが、「チコちゃんに叱られる」予告編的ミニ番組と『半分、青い』のカンちゃんがセンキっつぁんの通夜で亡くなっている曾祖父の隣にもぐりこんで寝ていたというくだりで少し機嫌を直してもらう。

 機嫌が直ったところで外出。台風の影響もあってか、涼しい風があり、歩くのが苦でない。目下、ホットケーキとクリームソーダが大人気でいつ行っても満席の北堀江「喫茶アオツキ」にひさしぶりに行ってみた。一応、平日の昼間なのでどうかなーと思ったけど、階段に列ができていた。並んでいる方々の横を抜けて、モノだけ見せてもらう。楽しく歓談されているひとたちの横で本とレコードをチェックすることに引け目を感じつつ。でも、かかっているのが『くっついて安心』だったので、よかった。みんなー、音楽を聞こうよー。「ミツザワ通信」犬年夏号を購入。

 さて、どうするか、と一時間に二本ほどしか来ないのをいいことにバス停でしばらくぼんやりしていたのだけど、堀江ということで思い出して、行ったことのないレコード店「FLAKE RECORDS」に行ってみることにした。南堀江一丁目。オシャンティーなひとたちが闊歩していた。昔のアメリカ村みたい。「FLAKE RECORDS」では、何度か行ったライヴでは売り切れていたりして手に入れられなかったYe Yeの会場限定ep「ハウスウォーミング」、VIDEOTAPEMUSICのフランスで出たベスト盤『SOUVENIR』、それとたまたま収録曲「なつかしい気持ち」の販促映像を見てよかったスーパーノアのミニアルバム「素晴らしい時間」を。「FLAKE RECORDS」が推しているらしいので、せっかくなので。買うものが決まった時点で、アナログ盤をチェックすることはあきらめました。

 心斎橋近くまで来ていたので、「アセンス」に寄ったけど、前述のアナログ盤チェックをあきらめたのと同じ理由(財布の中身問題)で、いろいろあったけど、見送り。

 梅田まで戻り、歩いて、塚本に。実は。塚口と塚本の区別が付いてない問題というのがありまして、行く前に地図を確かめていて、塚口ではない、ということを認識していたにもかかわらず、大阪市ではなく、尼崎市であるかのように勘違いしてました。とほほ。着いてから、いや、ここはまだ淀川区だ、とようやく実感する、という。
 気になっていた店、「エレバティ」に。エレバティについても、名称から、なんとなくビルの上階にあるようにイメージしていたのだけど、前置きとしてunderが付いて、高架下ということなのでした。DJお米炊き廉太郎(矢野汕骨)さん企画のDJイベント「dancin' the 荒城 summer breeze」。前回の模様を伝える写真で、小さなお子さんの姿もあって、気になっていたのだけど、SENさんの告知ツイートで「DJイベントですが、かなり親しみやすく、終電までには終わるし中高年の身体にも優しい感じです」「パーティーピーポーみたいな人もほとんどいませんから、DJイベントとかちょっと、、と敬遠されている方も安心してお越し下さいませ」とあったので、それを信じて、「DJイベントはちょっとと敬遠している中高年」ですが覗いてみよか、と。ノーチャージでワンドリンクオーダー(+投げ銭)なので、よいかんじで音楽が流れる喫茶利用のテイでもよいし。知らんかった曲でぐっときたという出会いはなかったものの、好きな曲を大きな音で聞けたし、よいかんじでした。コーヒーとSENさん(midnight gigs)のマンゴーとクリームチーズのマフィン、中古CDを。話題(後述)のロックTシャツの出ものもあったのだけど、のんびりしてたら、速攻でチェックされていた。中古CDは、デラックスエディション待ちで買いそびれたままになっているものを2枚。スティーヴィー・ワンダー "MUSIC OF MY MIND"、トレイシー・ソーン "A DISTAND SHORE"。

 ロックTシャツ問題。ライターの松本小夜香さんが「40代が似合わないTシャツはコレ! 失敗しがちな真夏の痛カジュアル5選」というコーディネイト指南記事の中で、ロックTシャツ(バンドTシャツ)について、「上品さや清潔感とは対極の位置に」あり、「精神的に大人になり切れていないのかな、常識がなくて変わった人なのかな、と思われたくなければ」着ないようにとしたところ、非難囂々となった。「炎上している」とは知らなかった段階で、その記事は目にしていて、刺激的な書きかたしてるなーとは思ったものの、「世間的」にはそんなもんだろうと一種のジョークとして受け取り、笑って読んでいた。しばらくして炎上していると知り、非難の声を読んでみて、改めて考えた。いや、そうしたTシャツを着ようというひとが、そもそも上品さや清潔感の演出を目的とし、常識がある「と思われた」いと思っているのか。思てへんやろ、そんなん関係ないやろ、むしろ逆やろ、と。元の記事は、40代女性は無条件にそうしたTシャツを着るなとは言ってない。全否定ではない。「上品で、清潔で、常識がある大人と思われたい場合」の話。そう思っているのにもかかわらず、一部共有が前提のロックTシャツ、バンドTシャツをツールとして着る「うっかりさん」向けの記事。そんなうっかりさんおるかいっという話ならともかく(おらへんやろ、と思うので、ジョークなのだが)。その前提がないひと、あるいは、ない場面では、記事の対象外であって、着ても構わない。非難するということは、まるで、そのように思われたいと表明しているようなものだと思う。ロックとは何かみたいな話は避けたいところだけど、少なくとも、「上品で、清潔で、常識がある大人」を演出するツールではない、と思うのだけど。
 そんなことよりも、記事に添えられたイラストに描かれている例が何を指しているのかのほうが気になる。というところが、ま、常識がないところだが。ゴング説、パーラメント説、ボストン説が出ているけれど、どれもぴったりではない。元より、架空のものを描いているのだとは思うけど。海底の潜水艦とタツノオトシゴのような気もするけど、該当するレコードが思い浮かばない。

8月18日(土)
[一回休み]

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2018 Kijima, Hebon-shiki