目次に戻る

2018年5月6日〜2018年5月12日


5月6日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2018年5月6日】
 昨日、井上堯之さんの訃報。『Don't drink the water』を聞く。このレコードを聞いたきっかけは何だったか。最初のソロアルバム『WATER MIND』は骨のイラストが印象的だったけど、『傷だらけの天使』の最終回でデイヴ平尾版が流れた「一人 I Stand Alone」しかラジオで聞けないでいた。2枚目の『Don't drink the water』が出たのは1977年12月だけど、そのしばらくあと、たぶん春頃に、FMで、井上さんの特集があった。週一回、一か月ひとりのミュージシャンを招くという番組だった。最終週に、発売前だったと思うけど、映画『野生号の冒険』の主題歌として、「終わりなき旅」が紹介されていた。その番組で、『Don't drink the water』の収録曲を聞いて、手に入れることに決めた。特に、挫けがちな心を支える穏やかさ(A Brand-New Day)、老いて恋する二人(いま一度)、獄中の嘆き(歌えない鳥)、公園(とは具体的には出てこないけど)に佇む老人の姿(陽だまり)を歌うヴォーカルサイドのB面が気に入っていた。

 インストゥメンタルサイドのA面も、当時流行していたフュージョンとはちがう感触があって、抵抗なく聞いていた。2曲目で、シングルにもなっていたと思う「駅 La Gare」は、番組で「ガールと言っても、女の子のことじゃなくて」というような話をしていたと思う。阪急電鉄がプリペイドカード「ラガールカード」を始めたときは、ああ、あれのことねと訳知り顔になっていたと思います。ファンキーなギターインストを生かすためだと思う、針とびするかもしれない音みぞになってますと注意書きがあった。
 そう言えば、歌詞は、歌詞が書かれた便箋の写真というかたちで、リーフレットに掲載されている。のちのCD化でも、複製されていたけれど、ピントが甘くて、ぼんやりしているのは、複製だからではなく、元から。それは当時から、うーんとなっていた。

 井上さんが音楽を担当した映画はその時点では見てなかったと思う。『青春の蹉跌』はテレビで見たけど、いつ見たか覚えていない。ただ、テーマ曲は強く印象に残った。サントラ盤は出ていないけど、「ロック画報」22号の付録CDに収録されたときはうれしかった。『太陽を盗んだ男』の音楽は前述の番組でも紹介されて、のちにサントラ盤を買った。線で書いたような「井上さんのメロディ」が好きだった。

5月7日(月)
[一回休み]
5月8日(火)
[一回休み]
5月9日(水)
[一回休み]
5月10日(木)
[一回休み]
5月11日(金)
[一回休み]
5月12日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2018年5月12日】
 午後から家族行事。ということに水曜日になったのだけど、予定のうち、「伊丹市立美術館」でのソール・ライター展は、会期終了まで残り一週間で、映画『写真家・ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』の特別上映付きが最終日ということで外せない。そんな訳で、午前中に見ることにして、仕事日と変わらない朝の進行で、伊丹に。そのため、午前中の用事を、木曜日に定時退社して急いで帰宅して済ませておいた。その他、来客があるとき恒例の急場しのぎ的な片付けも。

 阪急「伊丹駅」から「伊丹市立美術館」まではそこそこ歩くのだけど、いつも時間を気にしないでいたので、どれくらいか覚えていなかった。それで電車の到着時刻から30分弱を見て、開始15分前に着けばと考えていた。時間を確認しながら歩くと、思いの外、早く10分ほどで着いた。つまり開始35分前に着いたのだけど、既に列ができていた。いそいそとうしろに付いた。
 映画が始まるまでに展示を見終える必要もある。10時に開いてから、入場券を買い、映画の整理券をもらい、展示を見始めるまでどれくらいかかるだろうと心配していたのだけど、粋な計らいで、入場券の受付は10時になる前から始まって、整理券は10時ちょうどの配布開始からほどなくして受け取ることができた。

 ソール・ライター氏の名前も写真も、この展覧会が東京で開催されることになったとき、初めて知った。作品を見て、興味を持った。ひとが居る街の景色が映し出されているけれど、ひとを描くのではなく、建物などの構図を映すのでもなく、ふと目をとめて、気になった景色があった。
 展示は、ファッション誌の仕事、作家が軽視していた頃に始めたカラー写真、絵画、女ともだちのヌードの4つのテーマで構成。ファッション誌の仕事の初っ端に、"BEYOND THE FRINGE" の面々が映った写真が掲げられていたので、本筋とはちゃうんやけど、と思いつつ、ぐっときてしまった。ファッション誌の写真でも、モデルが居る周囲が一緒に見えてくるものが多い。スナップが多いカラー写真でも、そうで、窓、水滴、高架線の下、雪など、それらとともに映っていることで、ひとがそこに居るんやなぁということが伝わってくるようだった。
 もともと絵画を志していたということで、絵画作品もあり、写真に筆を入れたものもある。写真は、絵の参考に撮ったものもあったようだ。着色作品は、元がどうだかわからなくなっているものが多かったけど。
 モデルであり、パートナーであったが先に亡くなったソームズ・バントリーも画家で、互いにそれぞれの作品を愛していたらしい。

 駆け足(自分比2倍速)で、展示を見終え、図録『ソール・ライターのすべて』とポストカードを数点購入。ビデオコーナーで仕事部屋を映したビデオを見ていると、映画の開始時刻になった。
 『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』も知らなかった。亡くなる直前に撮影されたドキュメンタリーで、とにかく、表に出たくないライター氏がボヤキまくっていた。ユーモアで、だけど。恥ずかしがり屋なのかもしれないし、自分がよいと思ったものについてはそこでひとまず完了していて、他人がどう思うかは頓着しないということなのかもしれない。パートナーであったソームズさんのことを語る言葉が二人の関係を物語っていて、よかったけど、ソームズさんが気に入ってくれればそれで充分だったのかもしれない。未現像フィルム(少し展示もされていた。いいのか、こんなもの持ってきて、と思ってしまった)もたくさんあることからすると、撮るということが大切なのであって、プリントは結果でしかなく、結果を目的にして撮ることはなかったのかもしれない。

 映画終了後、すぐに帰途に。伊丹では図書館に行ってみたかったが、次の機会に。帰宅して、姪たちと少し遊ぶ。ゲームに夢中な分、リアルなゲーム空間(ごっこ)に動員されることはなくなり、体力的には少し楽に。

目次に戻る

2018 Kijima, Hebon-shiki