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2018年2月25日〜2018年3月3日


2月25日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2018年2月25日】
 昼の買い物のついでにクリーニングに出したものを引き取りに行ったら、1点見当たらない。一旦帰って、連絡を待つことに。待っている間に、新聞代の集金もあるかもということで、いろいろ待機する午後に。先週見損ねた『バイプレイヤーズ』をネット配信で見たり、オリンピックのハイライトや会見を見たり、ひと眠りしたり。夕方、図書館に行き、クリーニング店に寄って、帰宅。オリンピック関連の報道を見ていると、66年ぶりとかメダルが全部で何個とかワンツーなんとかとか、個々の成果には何の関係もないカウントが目に付いて閉口する。数えられるもん、ということなのだろうか。数に置き換えないと感嘆できない、とか。ワンツーなんとかで検索しても、意味は出てくるけど、何故そういうことを言うのかは出てこない。
2月26日(月)
[一回休み]
2月27日(火)
[一回休み]
2月28日(水)
[一回休み]
3月1日(木)
[一回休み]
3月2日(金)
[一回休み]
3月3日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2018年3月3日】
 仕事場の机の上にイヤフォンを置き忘れるという痛恨のミス。土日まるまる移動中に音楽を聞くことができない。モバイルルーターが充電式になったことで常時接続できるようになり、定額制配信の音楽を一時ダウンロードせずにストリーミングで聞けるようになった。iPad miniの容量を気にする必要なく、思いついて、検索して、あれば、すぐに聞けるので、このところ、移動中にとっかえひっかえ聞いていたので、聞けないのは痛い。実は、ガラスにひびが入ってiPad miniを持ち歩いていなかった一か月半の間に、それまで使っていたイヤホンが行方不明で、いま使っているのは、仕事場構内の売店で安くなっていたときにちょっと調査もかねて押さえていたもの。だから改めて、行方不明のほうを探してみたのだけど、見当たらない。途中、弟一家の来訪もあったしなぁ(大急ぎで片付ける!)。居室(居間)でパソコンにつないでいるヘッドホンはあるけれど、外でヘッドホンをするのは恥ずかしくて。自己アピールの度がきつい。

 と考えてしまうのは、某国際政治学者のコドモの喧嘩のような切り返しにならって言えば、んなことを思いつくのは、外でヘッドホンをすることがアピールになると思ってるからだろ、ということになるのだろう。この類の切り返しがコドモのようだと言うのは、酷さを指摘された側が純真さを自ら訴えるという行為はみっともないということを、多くのひとはコドモの頃に思い知るから。そうした自己弁護のみっともなさを思い知ることを経て、反省ということができるようになるのでは、という仮説を今思いついた。
 議論が成り立たない相手と「争う」ときは、言の信用のなさを指摘することになりがちで、争ってはいないし、あまり品のよいことでもないのだけど、その学者の言や様子を見ていると、反省やためらいの跡が感じられなくて、見ていて、いたたまれなくなる。テレビ用のキャラ(設定)と言えなくもないけれど。

 脱線した。今週、移動中、何を聞いていたっけと思い返そうとしていたのだった。ツイターで知り合いが呟いている音楽をそんなかんじで聞けてしまう。T.レックスとかBerntholer(oに斜め線が入るけど、読みかた不明)とか。Berntholerは、よいと思うし、気に入っているのだけど、ちょっと弱いと思っていたのだけど、yumboの澁谷さんが触れていたのを読んで、検索したら2015年に出た復刻盤がApple Musicにあったので聞いたら、とても良くて。エイプリル・マーチに近い、フランスの60年代ポップをガレージパンクに引き寄せたかんじがして。それから、東瀬戸さんが出品ツイートとして書かれていたWooのアルバム "WHEN THE PAST ARRIVES"。まったく知らなかった81年作品だけど、ものすごく好きな世界だった。初期ペンギン・カフェ・オーケストラの好きな要素を培養したようなかんじで。

 音楽配信事故メモ。前述の Berntholerを聞いていたら、"A Distance" が始まって50秒くらいのところで突如ホワイトノイズの嵐になった。こんな展開の記憶はなかったので、改めて、持ってるCDを聞いてみたのだけど、ホワイトノイズには切り替わらなかった。まさか別バージョンということはないだろうから、失敗だと思うけど、その2015年の再発盤(アナログのみのようだ)はどうなっているのかが気になるところ。 今週、やはりApple Musicで聞いていて、事故に遭遇したのが、クレイマーの "THE GUILT TRIP"。始まって、すぐに疑問符が連打されて。CD区切りでの1枚目の1曲目から17曲目までが、2枚目の1曲目から17曲目までになっていた。1枚目の18曲目と19曲目は合ってた。という訳で、"Welcome Home" も "You Don't Know" も聞けないという悲しい事態に。これでiTunesで販売もされてるんよなぁ、いかんのではないか。

 事故と言えば、事故ではないけれど、春一番が吹き荒れた木曜日の朝、いつも15分のところ、駅ごとに止まることになり、危惧して早めに出ていたこともあって80分かかってしまった。フレックス制なので、10時過ぎ出社ということになるのだけど、用事をした訳でも、のんびりした訳でも、寝坊した訳でもないので、なんだか損したような。

 喫茶店として新装開店した北堀江と南堀江の境にある「喫茶アオツキ」に。これまでも喫茶メニューはあったのだけど、買うものがなくて困るということはなかったし、貧乏性なもので、頼んだことがなかった。入ると、ちょうど、ライヴの折になんて考えていたら機会がなかなかなくてまだ手にしていないGofishの新譜『燐光』がかかっていたので、コーヒーとフレンチトーストを頼んで、聞かせてもらうことにした。やや未必の故意的ではあるけれど、偶然耳にした、というシチュエイションで。ちょうど、佐藤幸雄さんのバンド、佐藤幸雄とわたしたちのアルバム『わたしたち』を録音した会場で聞く会というのがあり、開催にあたって佐藤さんが書かれた文章に

 ぼくが聴きたかったのは、いまここ、に居ないものたちのものばかりだったりした。
 かつてのジャズ喫茶やロック喫茶。名曲喫茶。は心置き無く音楽ソフトを聴ける場所だったと同時に聴いたことのない音楽を聴きに行く場所だった。

 音楽の聴かれ方は今やもっと個別で、勝手なのだろう けれど最初の一回が未経験で初体験で、関係の中で「生」なのはいつも変わらない

▼佐藤幸雄とわたしたち「試聴室で試聴会」(2018年2月28日)
https://watashitachi5.wordpress.com/2018/02/28/
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とあった。いつも、試すような聞きかたはしたくなくて、偶然どこかで耳にするのがいちばん、と思っていることに符合したのだけど、その意味で、「試聴」と言ってもいいかな、と。ええレコードや、と思ったのだけど、きょうは、やはり機会がなくて手にしていなかったpopo『azemichi』を買うのが目的だったので、また今度(なんやねん)。流れる音楽はバート・ヤンシュの1枚目、五輪真弓の1枚目(どちらもA面)ののち、そのpopo『azemichi』に。よい頃合いなので、立つことに。その『azemichi』とライヴCD-R『for coming to the 5th anniversary of cafe gawa (2017.3.10)』を購入。「Hand Saw Press」で孔版印刷された「ポポしんぶん」をもらう。それと、深浦亜希さんの小冊子『MAWARU』。2012年に出されたものの再版。2年前、大阪で個展が行われていたのに、知ったのが最終日、場所は歩いて10分のところだったが終了時刻以後だったという失敗以来、じっくり見られるものが欲しかった。

 「アオツキ」に行った帰りの常のコースで、「○か×」に。ロキシー・ミュージックの "VIVA! ROXY MUSIC" を買おうかな(エアチェックで聞き過ぎて、よく考えてみれば持ってなかった)と思っていたところ、先日、"Crazy Love" が入ったサントラを買ってから改めて気になっていたEP "WINDSWEPT" があった。1977年の "THE BRIDE STRIPPED BARE" セッションのアウトテイク、"Crazy Love"、"Feel The Need"、"Broken Wings" が収められている。
 梅田に戻って、「やっぱりええな」と思ったバート・ヤンシュの2枚目を含む4枚組セットを買おう、と思って梅田に戻ったのだけど、目指したところには既に無く。帰途に。

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2018 Kijima, Hebon-shiki