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2018年1月21日〜2018年1月27日
1月21日(日) | 【▼ぐりぐらメモ/2018年1月21日】
この土日はおとなしく。タブレットが使えないため、音楽を聞く時間が減っているので、最近入手したレコードや、聞きたくなったものを用事の合間に聞くことにして。パソコンの隔離が続いていて、それを口実にひとりになって、そこで。あ、書くのを忘れていたけれど、壊れたパソコンの光学ドライブは、瞬間接着剤による応急処置で、とりあえず、聞けてます。盤面の謎の汚れで読み取りエラーが出ていたエピック・サウンドトラックスの "DEBRIS" もなんとか取り込みができたので、バックアップをとっておこうと思う。 先週は、ショーン・オヘイガンのソロツアーがあったのだけど、昔に比べればましになったとは言っても例によっての繁忙期なので、先が読めなくて、見送った。オヘイガンさんは、行く先々で出会ったミュージシャンにベイジル・カーチン Basil Kirchin を薦めていたようで、読んでいる範囲のツイターで話題になっていた。そう言えば、約1年前にハル市で行われた記念イベントで上映された伝記映画(の予告編)でオヘイガンさんはコメントしていたし、記念のライヴにも出演していたのだった。便乗して、カーチンの映画音楽の仕事やトランクレコードのことなど情報を混ぜつつ話題にしてみたけど、有益情報になったかどうか。 小山景子さんが、鈴木美紀子トリオ「私とたいよう」の最近のライヴ映像を紹介されていたのを見て、ああやっぱりいい曲やなぁ、トリオの演奏もいいなと思い、検索をかけてみて、同曲を含む作品集『AWAKE』が2016年11月に発売されていたとを知り、愕然。ちょうど2年前の京都「夜想」でのライヴで、Go Everywhere作品集も予定していると話されているのを聞いて以来、楽しみにしていたのに、情報を見ることがなかった。で、あれこれ検索してみたのだけど、通販で扱われている様子がない。思いあまって、ということもあるし、そうした作品集が出ているという情報も込めて、どこで買えるのだろう、と呟いたら、鈴木さんご本人に伝わって、連絡をいただいた。申し訳ない気持ち。でも、これで聞くことができると思うと、とてもうれしい。 とは言え、基本的な信条として、送り手、作り手に、聞き手としてのわたしは知られたくない、というか、そんなことを送り手は知る必要がないと思っているので、ネット時代になってから、行きがかり上というかなんというか、やりとりさせてもらう機会が増えたけれど、他のひとにとっては関係のない話なので、せめて他のひとには聞き手としてのわたしが送り手に知られているということは知られたくないし、知られないように気をつけている、つもりです。なんだか、『勝手にふるえてろ』の視野見のような話だけど。知られたくない。でも、なおかつ「でも知っている」とも思わない。何かを好きだったり、知っていたりすることは誇るべきことでもなんでもない。ただ、そうだ、というだけのことなので、知られる必要がない。 ツイターは、基本的に、知り合いへの回覧板だと思っている。発信する場合はできるだけ情報を入れる。「あのひとなら面白がるかもしれない」と思える話題があれば、回覧する。ただ、「知り合いへの」情報であることから離れることは警戒している。ネットでのふるまいについての昔からの信念のようなものであるけれど。だから、知らないひとが回覧しにくいように、個人的な話を混ぜたりするのだけど、なんやろ、「立ちどまらない」ひとが多いのか、回覧されるときには回覧されてしまい、個人的な話も晒されてしまうのであった。目にしているひとも覚えてはいないし、そもそも、誰なのだ、という話だけど。 立ちどまるな、ふりむくな、という沢田研二の歌は大好きだけど、ネットが行き渡ってから目にするようになった言論は、立ちどまったり、ふりむいたりしたら負けとくらい思っていそうなかんじで、萎えている。ツッコミというのは、立ちどまらせるためのもので、正しさへのカウンターとして、演芸においては笑いとなるし、議論においては考え直すきっかけになる、はずのものだと思うのだが、立ちどまらないし、立ちどまったら負けだし、立ちどまらせることを想定もしていないとなると、直ちに否定の効用をもってしまう。それも一方的な。言いっぱなしのためのものになってしまっている。
信用を落とす、なんてのは、いったん足止めするくらいの効果しかないし、そのようなものとして扱う必要があると思うのだけど、立ちどまらないひとたちが手にすると、戦略と自称して、そのことを目的化して、歯止めの効かない泥沼に陥るのではないかと思う。何もかもが言い訳に使われる。言い訳に使われないようにするのがとてもむずかしくなっている。 夕方から図書館と書店とコーヒーで一服。書店で「レコードコレクターズ」2月号。見送ったキング・クリムゾン流動期のボックスセットが特集なので、刺激されるのを避けたいところだったけど(読んだだけで聞いた気になるという戦法もあろうが)、ローラ・ニーロの最初の2枚、あがた森魚『日本少年』の記事があるとなると、スルーできなかった。「レココレ」を通勤時に読むのは恥ずかしいという気持ちもあり、さてどうしたものか。座れたときだけ読む、とか。いや、その、古いロックにしがみついているみたいだな、という自嘲で。 |
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1月24日(水) |
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1月25日(木) |
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1月27日(土) | 【▼ぐりぐらメモ/2018年1月27日】
ネット依存(朝と夜だけだけど)対策と老母との距離確保のために、パソコンの隔離を続けていたのだけど、木曜日、あまりの寒さに隔離部屋に長時間滞在するのは危険と判断し、ついに居室の居間への持ち込みが復活。このまま炬燵机に据えるのは避けたいと、布団とセットで「寝る前と起きた後だけ」モードでの使用を続けているけれど、寒さは増すばかり。移動するだけで腹を冷やしそうな気がする。足元が冷えるので、外で休憩する気にならないし、足腰の調子もいまいち。仕事も長期課題にとりかかれず。すっきりしないまま、1月ももうすぐ終わり。 プロバイダー都合による接続サービス終了に伴う切り替え。いろいろ不明なところはあるものの、サイトを通じての問い合わせは「よくある質問」の森をくぐり抜けねばならず、そこに至るまでの間にぐったり。それも意図のひとつか、と疑いたくなる。月替わりまで様子を見て、なにかあったらそれはそのとき、と事前に確認することをあきらめた。メールアドレス変更に伴う連絡もしなくてはならないが、来月からのアドレスについても様子を見ないとはっきりしない(いまのまま使えるのかどうかがわからない)という状況。もやもや。 とりあえず、通販サイトからの連絡が受け取れなくなるのは困る(そこかいっ)ので、登録アドレスの変更など(とりあえずいまのままのもので)をやっていたのだけど、そこに、一件、注文キャンセルの連絡が。即座に別の店で中古盤を発注したが、届くところだったっけ。
というようなトランク・レコードだけど、ベイジル・カーチンが話題になっていたので、ちらっと検索をかけたら、以前やはり入荷しなくて発注キャンセルになった "PARTICLES"(2006年)の中古盤が出ていたので注文した。火曜日に届いた。発掘ものではなく、カーチンが亡くなる直前の録音で、ライナーノートを自身が執筆している。 火曜日は、鈴木美紀子さんの『AWAKE』も届いた。オースチンレコード作品では、逆柱いみり装画のアルバム『火星の温泉河童芸者、火星人大脱走・暴虐の用心棒』が手元にあるけれど、東京に行ったときに「タコシェ」で買ったのだと思う。『AWAKE』は、レーベルの通販サイトも見あたらず(というか、レーベルサイト自体、表紙から次に進めない)、どうしたものかと思っていたところ、鈴木美紀子さんから連絡をいただいて、無事手にすることができた。ミニアルバムのようだけど、5分前後の曲を6曲収録している。鈴木さんの歌とエレクトリックギターによる演奏。ギターのざくっとした切り口、余韻がつくりだす奥行きのある陰翳、言葉をひとつひとつ置いていく歌が好きです。 届くときには届くもので、宮谷一彦『ライク
ア ローリング ストーン』修正版も届いていた。書いていなかったのだけど、去年の8月に買った同書の第1話と第4話が編集時に入れ違っていたため、修正版との交換が行われていて。なかなか手続きできなくて、年末にやっと手続きしたのだけど、年明けすぐに届いたのが何故かまた修正前の版だったので、送り直してもらうことになり、ようやく、で。
通勤読書。月曜日、綿矢りさ『勝手にふるえてろ』。映画を先に見てしまったので、対比してしまうけれど、原作では、主人公がそれまで経験してこなかった恋愛のしかたに向かっていく過程を描いたものだった。自問自答はあるけれど、周囲のひとに勝手に名前を付けるという主人公の癖は映画で抽出されたもの。名前を覚えてもらっていないということへの絶望は映画のほうが際立っていた。 火曜日と水曜日は、いしいしんじ『いしいしんじの音ぐらし』。音楽エッセイだけど、小説作品を読んだことがないので、先に読むのはどうかと思って手を出さないでいたのだけど、ふと目にとまったので。天才型のひとなんやなと思うけど、稀少な例を含む音楽経験について、どのように聞いたかをきちんと話してくれているので、面白かった。稀少な例を引き合いに出して、「これを聞かないと本当に聞いたことにはならない」なんてしゃらくさいことを平気で書くひとが多いので、新鮮だった。 木曜日からは中川右介『阿久悠と松本隆』。ふたりの作風や位置づけを論じたものかと思いつつ手にとり、出来事を押さえている記述に、資料にもなるかもと買ったのだけど、分析はむしろ脇役で、ヒットチャートという主人公と二人の作詞家の三角関係を描いた75年から81年にかけての物語の趣き。ヒットチャートへの関わりかたの記述に、それぞれの個性や意識、作風についての分析をしのばせている。まだ途中。個人的には、聞いていた曲、好きな曲もあったけど、「歌謡曲」からは離れていた時期なので、とてもヒットしているのにまったく記憶にない曲もあるし、意外に思う曲もある。あおい輝彦「あなただけを」は忘れていた時期も長いけど曲を聞けばああと思い出すというかんじだったけど、ものすごくヒットしている。いちばんヒットしていたのが、1976年夏で、わたしが初めてLP(ビートルズ "MAGICAL MYSTERY TOUR")を買った月にあたる。ヒットチャートどころではなかったのだろう。 きょうは年末からの懸案のひとつ、画面のガラスが割れたiPad
miniの修理。アップルへの持ち込みを考えていたのだけど、近辺ではいつまで経っても予約する見込みが立たないので、やむなく非正規の店で。画面割れなので、郵送は避けたかった。それと、先週、ダメ元で、ではあったのだけど、家電量販店内のアップルコーナーで修理について訊ねてみたときの回答が「ここはアップルストアではないので」だったことも、正規店を断念させるきっかけになった。「ここでは修理は受け付けていない。修理はアップルストアで行っている」と言えばいいものを、丁寧表現に言い換えたつもりだろうけど、「アップルショップとアップルストアの区別もつかないのか。修理はアップルストアに決まっているだろう。それくらい調べてから来い、この情弱。GGKS。」と返された訳だ。残念の一言に尽きる。
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2018 Kijima, Hebon-shiki