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2017年11月26日〜2017年12月2日


11月26日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年11月26日】
 『ベイビー・ドライバー』の影響で、フォーカスをひっぱり出して聞いている。てっとりばやいところで、箱の中でも謎の一枚であるベスト盤を。昔、"Mother Focus" がラジオでかかったときにラジオ欄の記載を読み間違えて "Hocus Pocus" という曲だと思って間違って買ってしまった "DUTCH MASTERS: A Selection from Their Finest Recordings 1969-1973" は73年までの作品から収録されていた(ので、75年の "Mother Focus" が入ってないのはあたりまえなのだった)けれど、これはCD時代になって編集されたもので、"Mother Focus" も、その初期バージョンである "Grider" まで入っている。箱に収められているオリジナルアルバムにそれぞれ収録されている曲ばかり。で、"DUTCH MASTERS" がそうであったように、"Hocus Pocus" が短く編集されたシングルテイクなのかと思いきや、素の6分テイク。では、最後に入っている "Hocus Pocus II"(US single versionと記されている)のためかと思ったら、それは、偶然、持ってきていた未発表録音集 "SHIP OF MEMORIES" にボーナストラックとして収められていた。うーむ。何故だかわからないけれど特に仕掛けもないダイジェスト盤が含まれている、ということになる。という訳で、箱には、"Hocus Pocus" のシングルエディットは収録されていないということに。『ベイビー・ドライバー』のサントラ、買う?
 ちなみに、"Hocus Pocus II" は 、"DUTCH MASTERS" では "Fast version" と記されている。この盤がLP初収録だったらしい。

 『ベイビー・ドライバー』のサントラは、定額制配信では既成曲は聞けないようになっていて、その代わりに個人が作ったプレイリストで使用曲を並べたものが公開されている。それを聞いていて、映画の中で使われていたデイヴィッド・マッカラムの曲の出典として、デイヴィッド・アクセルロッドのアンソロジーが出ていたことを知った。何かで気になって、機会があるたびにちょこちょこ聞いてみているひとで、今年の初め頃に亡くなられている。アンソロジーは追悼で出たものではなく、既に入手困難になっていた。聞くだけなら、定額制配信にあるのだけど。

 午後から大阪市内に。ひさしぶりに黒赤袋の店に寄った。気になっていたシングル盤はやはり手に入れられなさそう。中古盤で3枚。ヴァージニア・アストレイ "MELT THE SNOW"。いつかきちんとしたいつか復刻盤が出るのではないかと思いながら幾星霜。手元に置いておくことにしました。ナイチンゲイルズ "WHAT A CARRY ON" EP。何かを追っていると傍らに居る、ようなかんじのバンドだけど、聞いたことがないEPのように思い。エディ・ハーディン&ザック・スターキー "WIND IN THE WILLOW"。『たのしい川辺』をモチーフにした1985年のアルバムで、スティーヴ・ハケットやドノヴァン、トニー・アシュトンらをフィーチャーしている他、ジョン・エントウィッスルやレイ・フェンフィックが参加している。

 ひさしぶりに阿波座「martha」に、やはりひさしぶりにsakanaのライヴを聞きに。大阪駅から88系統のバスで土佐堀3丁目まで。いつも地下鉄で行っていたけど、阿波座駅もなかなかのダンジョンなので、別のルートで行ってみようと。土曜日に「ムジカジャポニカ」でもあったのだけど、「martha」では西脇さんの絵の個展が開かれているということもあり。絵だけゆっくり見に来ようかとも考えていたのだけど、カフェでの展示は他のお客さんの頭越しに作品を見ることになることが多いので、むずかしく、躊躇してしまった。

 sakanaの演奏は、アレンジが聞きにくる度に変わっていることが多い。意識的に変えられているのだと思っていたけれど、自然にそうなるというようなことをポコペンさんが話されていた。そっかー。きょうは、弦をミュートさせたポリポリした音の重なりから、不意に鮮やかな音が零れ出てくる、といったかんじの演奏が多かったような。西脇さんが作ったばかりの曲を、ポコペンさんが黙って始めてしまい、西脇さんが苦笑しながら合わせるという場面も。緻密なのだか、おおらかなのだか、ギターのアンサンブルと同様、その二つの間を自在に行き来できるところがすごいな、といつも思います。間近で、楽な姿勢で聞くことができてとてもよかったのだけど、それでも、二人のどちらがいまの音を弾いたのかわからなくなる瞬間が多々あり。
 ポコペンさんが、弾きながら歌うことの難しさについて話されていたけれど、ポコペンさんの歌もギターも充分不思議だと思います。ギターを西脇さんと分け合っていることも。

 西脇さんの絵を休憩時間に見ることができた。大きなポートレートには、彩色されたものや、より写実的な表情で描かれたものといったこれまでと少し趣きがちがう作品もあった。彩色された横顔のポートレートがちょうどステージのうしろにあって、よいかんじでした。その他、小さなスケッチがたくさん。ポコペンさんを描いたもの、腕輪をした猫、仕事場の風景など。外国の一コマ漫画のようなユーモアが感じられるものもありました。

 帰りがけに、気になっていた坂田学さんの『木の奥』が棚にあったので、伝票と一緒にレジに。

11月27日(月)
[一回休み]
11月28日(火)
[一回休み]
11月29日(水)
[一回休み]
11月30日(木)
[一回休み]
12月1日(金)
[一回休み]
12月2日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年12月2日】
 エリック・フェンビー(小町碧訳)『ソング・フォー・サマー 真実のディーリアス (Delius as I Knew Him)』を読み終えた。1928年秋から1933年夏にかけて、病により手足と目の自由を失ったフレデリック・ディーリアスの未完成作品を完成させるためにアシスタントとして滞在した人の回想録で、34年にディーリアス、35年に夫人のイェルカ・ディーリアスが亡くなったのち、36年に出版されている。断片的に聞いた話から思っていたのとちがっていたのは、フェンビーは、ディーリアスの弟子ではなかったということ。話を聞く限りでは、弟子でもなければとてもやり遂げられないような作業だったから、思い込んでいた。彼はディーリアス作品が好きだったから、窮状を知り、それまで面識もなかったのに、名乗りをあげたのだ。

 回想録は、アシスタントとして過ごした5年間の出来事の回想、アシスタント作業のドキュメント、ディーリアスの考えかたや人となり、別れとその後、作品論から成る。略年表と索引も付いている。ディーリアスは、ニーチェに心酔していた無神論者であり、独自の音楽観を持った人物であったらしく、厳格さや病からくる狭窄からのやりにくさだけでなく、信心深いフェンビーは相容れないものも多かったようだ。それでも、言ってみれば、ファンというだけで5年間も寝食を共にし、根気よく作曲家の言うことを聞き取り、放置されていた作品を完成に導いた。隠遁していたディーリアスの着想の源泉や作曲法を間近で知ることができた訳だけど、それは結果にすぎない。よぉやったな、の言葉しかない。

 1981年版あとがきによれば、1968年のケン・ラッセルによる映画は、フェンビーによると、「心を乱されるくらいそっくりだった」らしい。見たいと思いながら、見る機会がなかったのだけど、この本を読み終えた今では、youtubeにある字幕なしのものでも、わかるような気がする。

 通勤音楽は、石若駿さんの『SONGBOOK』2枚のうち、定額制配信で聞ける計4曲、桂牧さんの『BGN』、坂田学さんの『木の奥』を中心に。ケイト・ブッシュ "NEVER FOR EVER"、ドン・チェリー&ジョン・アップルトン "HUMAN MUSIC" など。ジョン・アップルトンは、ジャケデザインが好きなフォークウェイズからの編集盤も定額制配信にあって、びっくり。

 坂田学『木の奥』は、石若駿さん同様、KBS京都「大友良英のJAMJAMラジオ」で「ウーレイロー」が紹介されていて、気になった。ドラマーのうたもの作品という点も同じだけど、それはたまたま。一聴して浮かんだのは「ペンギン・カフェ meets はちみつぱい」。はちみつぱいと言うか、『センチメンタル通り』の海岸沿いの叙情を思わせて。「ウーレイロー」は快活な響きのあるカントリーロックで、どちらかと言えば、「髭とルージュとバルコニー」だけど、続く「ヴィクティムとヒポクリット」が持つ傍目には達観に見えて内側に静かに思いを織り込んでいく様が「僕の倖せ」を思わせて。タイトル曲「木の奥」は大作。演奏メンバーにtico moonが加わっていて、ハープの音が「薬屋さん」のイントロを思わせると同時に、ペンギン・カフェ・オーケストラを感じてしまった。端正なバイオリンもまた。訥々とした語りから流れるようなパートになだれこみ、大団円を迎えたのち、訥々とした語りに戻る。いちばんハッとさせられたのは、インストゥルメンタルの「1月のピアノ」。ロバート・ワイアットの "A Last Straw" の最後の部分を思わせるピアノのパートから一転、多重録音によるサイケデリックなアンサンブルが降りかかる。レフト・バンクの "There's Gonna Be a Storm" を連想したりも。「静寂」、「good night my daughter, good bye our yesterday」もいい。
 驚くのは、2007年、2008年に録音されたものと2014年から2016年にかけて録音されたものが混在していること。古い録音にしても発掘したという感じはない。10年間、こういうものを作りたいという意志が持続させていたのだと思う。それにしても、「ウーレイロー」の「長い年月の眠りから目覚める青い目をしたライオンを」というところ、淀みなく歌いたくなる。

 金曜日、帰宅すると、メトロトロンレコードから、コルネッツの『乳の実+』が届いていた。1992年の『乳の実』に、2017年録音の新曲「鳩」「倉庫」、デモ2曲「フランネリア・フランネル」(1986年録音)、「終わらない物語」(1987年録音)、それにそう言えばオリジナル盤には入ってなかった1988年のEP収録曲「4時35分」を追加したアンソロジー。ジャケットに鈴木博文さん自筆のカードが貼り付けられているのだけど、見ると、博文さんが発送作業の傍ら発信されたツイートに添えられた写真の真ん中に映っているのと位置が同じ。地味にうれしい。
 しばし開封するのをためらったけど、明け方になってから、開封。いや、4時35分に「4時35分」を聞こうと思った訳ではなく、コルネッツに朝の歌が多いということでもなく。とは言え、「おはよう」の一言が残るアルバムであることは確か。実際に出てくるのは「何か心配ごとあるの」と「電報配達人」の2曲だけど、全体を通して、爽やかなのに、不穏な、別れや死の気配が濃く漂っていて、そのためにその2曲での「おはよう」の一語が切なく響くように感じている(5年前に、yumboの澁谷浩次さんが「何か心配ごとあるの」が好きだとtwitterで話されて、そのときにそんなことをやりとりした)。
 それだけに、本編が終わって、新曲の「倉庫」で「お帰り」と告げられたときに、じんときてしまった。新曲はどちらもいいけれど、特に「倉庫」は初めて聞いた気がしないくらい。
 今回、未発表録音が発掘されるという話を予告で聞いて、むかしライヴで聞いたきりの曲が入るのではないかと期待していて、特に「終わらない物語」というタイトルに、そんな歌詞があったかもしれないとこっちで勝手に期待値をあげていたのだけど、ちがっていました。すみません。でも、2曲とも、底流にあるニューウェイヴ感覚がより明瞭に聞き取れて、聞けてよかった。改めて、じっくり聞いてみると、長谷川結子さんのベースのリズムのとりかたはダブっぽいし、歌もダブっぽいと言ったら何のことやらだけど、声を出すまでの跡が見えるようなかんじで、そのことが不穏さに通じているのかもしれない。

 本日はちょっと不調のため大事をとって休養、遠出せず。悲しい知らせが二つ。「京都みなみ会館」が2018年3月いっぱいで閉館との報を知る。映画館にそんなに行かない身だけど、年に数回は行っている。見たい作品が上映されるからなのはもちろんだけど、スクリーンから客席に向かってなだらかにさがっている館内が好きで。乗り継がないと行けない場所にあることも、毎回どのように行くかを変えて楽しんでいた。もうひとつは、はしだのりひこ氏の訃報。小柄で童顔、にくめないキャラだけど、北山修さんが書いたフォークルについての本によると、学生時代は京都の学生フォーク界をぶいぶい言わせて仕切っていたらしい。フォークル解散後のヒット曲はヒット曲として聞いていたくらいだけど、「青春は涙の旅」というB面曲だけは、毎日放送「ヤングおー!おー!」の「今月の歌」コーナーで聞いていて、好きでした。タイトルも知らなくて、中古盤を見てまわるようになってから、歌詞カードをひっぱり出しながら探していたのだけど、見つけられないまま。

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2017 Kijima, Hebon-shiki