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2017年11月5日〜2017年11月11日


11月5日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年11月5日】
 京都に行って何も買わずに帰ってきた、て、そんな自慢気に書かんでも。五条、三条、四条と回ったけど、めあてのものやこれはというものを見つけられなかったというだけの話。でも、気になっていたところに寄ることはできたし(場所を覚えているつもりで覚えておらず思い出すまで時間がかかった)、趣味の「知らない道を歩く」で、また「ここ」と「ここ」が繋がったりもしたのでよしとする。相変わらず、カフェで落ち着くタイミングをうまく見計らうことができへんな、ということも感じたけど。結局、出がけに自宅最寄駅のスタンドでコーヒーを一杯。戻ってきてから、自宅最寄駅前のコンビニでコーヒーもう一杯、でした。落ち着いてない。落ち着きがない。

 戻ってきてから、自宅最寄駅で、通販物の受け取り。バナナラマ "BANANARAMA"(1984年4月21日発売)の2013年拡張版。"Robert De Niro's Waiting"(1084年2月発売)がヒットしていたとき、ヴォーカルのニュアンスに、ニューウェイヴのバンドに近いものを感じて、気になっていたところに発売(1984年11月)されたシングルで、映画主題歌の "The Wild Life" が同時期のピーター・ガブリエルを思わせるところもあり、とても気に入っていたのでした。"The Wild Life" はシングルのみの発売で、ベスト盤にも入らない不遇な扱いだったのだけど、2004年以降に、このセカンドアルバム "BANANARAMA" のCDに追加収録されるようになったようです(LP時代にも追加収録されたものがあるらしいけれど)。知らなかった。知ってたら、その時点で買っていたかもしれない。とかいうて、2013年に出たときにチェックしておきながら、思い立って発注するまでどれだけかかってんねんな話ですが。いや、その、先日、夜中にバナナラマの話題が流れてきて、はたと思い出し、定額制配信で少し聞いてみたら、アルバムの他の曲もわるくないし、よい機会なので、と。こんな夜中にバナナラマかよ、とは思いましたが。
 この2013年版は本編の後半と2枚目にボーナストラックを収録、さらにプロモーションビデオとテレビ出演時の映像を収録したDVDが付いている。"The Wild Life" はアルバムに追加収録されたバージョン、拡張バージョン、シングルバージョン、ダブバージョン、インストゥルメンタルを収録。プロモーション用映像もある。"The Wild Life" のEPに、アルバム "BANANARAMA" が付いているくらいの気持ちです。

 ドラマ『ロッターズ・クラブ』第3話(最終回)を見た。1976年春から秋にかけて。主人公が思いを寄せていた女の子と、たまたま髪を切る手伝いをしたことで仲良くなり、いい雰囲気だったのに、あっさり振られ、夏にパーティで会ったときにはスージー・スーみたいなパンク姐ちゃんになっていた。彼女は9月になってから学校にも出てこなくなっていた。パーティーの場面では、片やパンクバンドが演奏しているすぐ横で、締め切ったホールで、ブライアン・フェリーの "Smoke Gets In Your Eyes" でダンスを踊っているという対比が描かれていた。テロに巻き込まれ、恋人を失い、神経がまいって療養していた姉が退院して帰宅。大学資格試験を終え、家族でキャンプに出かけた際、どういう経緯でかはボロボロの英語力ではわかっていないのだけど、憧れの女の子の居場所を知り、とにかくもう一度会うことを決意。姉の助けで、抜け出し、たどりつく。このときのバックにかかっているのはエディ・アンド・ザ・ホット・ロッズ。親たちの問題も解決したり、受け入れたりして一段落。主人公たちは卒業し、それぞれの道を行くことになる。
 という訳で、主人公がバンドをやっていたり、音楽を通じて、人間関係が広がっていくところはあるものの、紛れもない青春ものでした。NHK教育テレビの青少年向けテレビドラマ枠で放映してくれるといいのに。

11月6日(月)
[一回休み]
11月7日(火)
[一回休み]
11月8日(水)
[一回休み]
11月9日(木)
[一回休み]
11月10日(金)
[一回休み]
11月11日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年11月11日】
 この一週間は、書店が開いている時刻に退社することができなかった。通常業務に加えて、規格変更による影響の調査や検討に時間がかかってしまい。わたしが悶々とするようなことではないはずだし、ヘタに先に動くとあんたがどうこうすることではないと言われるので、様子を見るようにはしているのだけど、動かざること山の如しで。

 ばるぼら x 野中モモ『日本のZINEについて知ってることすべて/同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960?2010年代』は、ひとまず図版をひととおり眺めた。年代を追いつつ、テーマ別に掲載されているのが面白いような戸惑うような。同じ冊子の別の号が、異なる括りで紹介されている。いや、でも、書影が並んでいるのを見ると、溜息しか出ない。読みたくなるし。手元にあるものもちらほらあるし、見知った名前もいくつか。ミニコミを作っていたことで知り合った名前も。手紙の代わり、手渡しのみの極小規模だったけど、そこからの付き合いは続いてる。作るひとたちだからということなのか。話すこと、言葉によってどうしても判断してしまうのは申し訳ないと思うけれど。人柄や趣味は良くても、話すことがつまらないとつらくなるので。
 斎藤次郎さんへのインタビューによると、「ミュージックレター」を読んだあがた森魚さんが自分たちもコンサートをやりたいと連絡してきた、でも思ったように行かなくて泣いてしまった、と。『共犯の回路』に書かれていたひとたちのひとりだったのか。ミニコミはそんなきっかけや始まりになるものだったのだ。質や形は変われど。

 「夜汽車のブルース 遠藤賢司論」を読み直したいと思っていたところなので、『共犯の回路』をひっぱり出してきた。当時の様子も描写されている。73年に発売された本だけど、80年くらいに京都駅近くの大きな書店で返本されずに残っていたのをたまたま見つけて買った。70年前後のエンケンさんや早川義夫さん、結成前後のはっぴいえんどは、75年くらいからそのあたりも聞くようになっていたわたしにとっても、手の届かない「過去」だったのだけど、それが熱気とともに記されていて、こちらも熱を感じながら読んだ。

 『日本のZINEについて知ってることすべて』は大判で、文字も小さく、通勤読書には向かないが、さて、どうしたものか。週の前半は『文藝別冊 大林宣彦 「ウソからマコト」の映画』を読んでいた。関係者のインタビュー、対談の再録まで。未見の『おかしなふたり』の音楽を、デビュー前のKAN氏がやっていたとは知らなかった。手持ちの大林本『ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道』にあらすじ等は紹介されているけれど、その時点では公開の目途が立っておらず、詳しいクレジットは掲載されていなかった。

 水曜日の朝、母親が寝ている間にベッドから落ちたと言って、見ると、右目の下あたりが腫れていた。どのように落ちたのかわからないと言う。様子を見ることにして出社。あのまま外に出たら、家庭内暴力疑惑が発生したかもしれないが、冗談にでもそんなことを言うと、痛みが出たとしても外に出ない可能性があったので黙っていた。昼間、メールへの返信もなく、悶々。結局、一日外出はしなかったらしい。腫れは引いていたけれど。

 水曜日の夜、そんなかんじで帰宅すると、ビレッジプレスから封筒が届いており、南陀楼綾繁さんの新刊『編む人 ちいさな本から生まれたもの』(ビレッジプレス)が。週末に買いに行くつもりでいたのだけど、ご厚意ありがたく。早速、大林ムックを中断して、週の後半に読むことにした。「ハードスタッフ」の小西昌幸さん、「コミックマヴォ」の竹熊健太郎さん、入谷コピー文庫の堀内恭さん、「プレイガイドジャーナル」「雲遊天下」の村元武さん、出版物ではないけれど「カタリココ」の大竹昭子さん、「新宿プレイマップ」の本間健彦さん、「四月と十月」の牧野伊三夫さん、「Life-mag.」の小林弘樹さん、「谷根千」の山崎範子さんへのインタビュー(トークイベントの採録を含む)をまとめたもの。編集業や出版活動に自主的に携わってきたひとたちだ。南陀楼さんが堀内さんに話している「複製って不思議ですよね。一枚だと原稿なのに、二枚以上になると読者がどこかにいるような気がする」が象徴的だと思う。読者がどこかにいることに気付いたひとが作ることに向かうのだと思う。ツイターやウェブログなど直接書き込めるものに、情報発信と言いつつ、違和感があったのは、そのあたりに由来するのかもしれない。「複製」の感覚が薄い。そのことが何かしら書く、発する姿勢に影響しているような気がしなくもない。アップロードには複製感覚がまだある。アップする前に推敲するかどうかだけの話ではない。
 牧野伊三夫さんのところを読んでいて、話されている内容になんとなくだけど「若さ」を感じて、確かめたらほぼ同い年と知り、申し訳ない気持ちに。「四月と十月」の渋さに漠然と年上のように思っていた。「若さ」はそれに比しての話で、「年配」であることに変わりはないですが。「雲のうえ」「飛騨」を手掛けられていることにも気づいていませんでした。本をつくることに興味があって、大学で絵本研究会に入って創作絵本を作られていたそう。同じや、と一方的にシンパシー。そう言えば、他の学校の児童文学研究会のひとから、子供のことを考えてない、と批判されたことがあったな。児童文学は好きだったのだけど。他のひとが書いたものをまとめただけの冊子を出していたことも同じです。わたしの場合は、なんだか一方的に怨嗟を受けて頓挫したけれど。書きたいことを書いて出してくれたら、まとめて冊子にして配布するということをやっていたのだけど、「書きたいことと言いながら一定の水準を求めている」と思われたらしく、こんなんでもいいのかと「無茶苦茶したった」というかんじのものを出してきたのがいて、つまらないと思ったけれど、そのまま出したら、逆ギレされたのでした。

 金曜日、注文したCDを仕事場最寄駅内のコンビニで受け取り。A・モア名義のアンソニー・ムーア "FLYING DOESN'T HELP" と "WORLD SERVICE" のカップリング。"FLYING DOESN'T HELP" が出たときはマイナーレーベルから名義を変えての発売ということも含めて、とても感激したのだけど、CDで買い直しをしていなかった。LPでしか持っていないものをCDで買い直すなんて、時代錯誤もいいとこだけど、手軽に聞きたくて。"WORLD SERVICE" は、手が加えられているということでCDも持っているけれど、なんとなくオリジナルバージョンのCDのような気がして、それはそれでと思っていた。ら、"WORLD SERVICE" はCDバージョンだったし、"FLYING DOESN'T HELP" もLPにはない音が曲間に加えられていた。"Timeless Strange" の前の追加は30秒くらいあって、びっくり。これはウェブでは Untitled扱いになっているけれど、"Timeless Strange" のイントロとして追加さているように思える。あるいは、A面B面と別れていたときには、ひっくり返すときに「流れていた」時間。先週の弾き語りソロライヴで感じたけれど、歌そのものはジョン・ケイルやルー・リードの影響を強く感じさせるけれど、彼らが発していたノイズを意識的にシステマティックにとらえて、アレンジの一部として活かすのがムーア流なのだと思う。ポストパンクとも共鳴していた。"OUT" ではその部分が薄められているけれど、その薄いコーティングですら、独特の浮遊感になっている。

 夜中、激しい雨。朝には止んでいたけれど、午前中の用事を済ませたら、午後からなにやらしんどくて、痛いくらいの眠気でうずくまっておりました。

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2017 Kijima, Hebon-shiki