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2017年9月24日〜2017年9月30日


9月24日(日) ▼ぐりぐらメモ/2017年9月24日】
 きのう朝から家を空けていたということもあり、いろいろ出かけていきたい処はあったけど、被っているので選べないという懐かしき二重拘束問題もあり、家の用事など。こういうときに、合間を見て、近くの映画館で一本ということができればよいのだけど、なかなか。夕方、少しだけ外出。(このところ行ってなかったほうの)図書館と薬局、それと新駅設置に伴う開発進行中の区域へ。天井は低いわ通路の幅は狭いわで、自転車に乗ったままでは通れなかった高架が高くなっていて、いままでの天井が枠だけになっていた。通路も広げられるのだろう。新駅周辺の消費施設が気になるところだけど、映画館ができたりせえへんよなぁ。市の中心部にはあるから。一駅二駅乗らなあかんにしても。それなりの書店はどうだろうか。レコード店は諦めてます。

 きのう書き忘れたこと。梅小路公園は、大昔、蒸気機関車を見に行ったことがある。きのうもちらっと見えたけど、汽笛がときどき聞こえるのはよかった。801の演奏をつい、思い浮かべてしまうのだった。実際にはどうだかわからないのだけど、"801 LIVE" の大好きなジャケット写真から、レディングフェスは野外だと決め込んでいたし。
 ハファエル・マルチニ・セクステット/ベネズエラ・シンフォニック・オーケストラ(指揮オズワルト・フェヘイラ)"SUITE ONIRICA" を聞く。「京都音楽博覧会」で演奏されたのは、この組曲の中の "Pendulo" と "Dual" でした。セクステットには、アレシャンドリ・アンドレスもフルートで参加している。ナマで聞くことができて、ほんとによかった。

9月25日(月)
[一回休み]
9月26日(火) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月29日】
 家の用事で有給休暇。きっかけの用事は午前中、1時間ほどで終了するのだけど、せっかくなので、へーじつでないとできないのでできてなかったことをまとめて片づけることにしている。些細なことながらずっと懸案だったもののひとつが片付いて、ほっと。
 昼過ぎに予定を終えたので、気になりつつ、行けてなかった展示を見に大阪へ(大阪府在住だけど郊外なので、市内に行くことを「大阪に行く」と言う)。まず北堀江「アオツキ書房」での「日本のポータブル・レコード・プレイヤー展」。円盤・田口さんの本は見ているけれど、大きさや形を実物で実感したくて。音楽といろんな生活現場の近さをむきだしの状態で見る思い。例えば、リズムボックス付きのモデル。レコードをかける場面とリズムボックスを鳴らして歌ったり踊ったり歩いたりする場面から、集会所での集いや運動会の様子が思い浮かぶ。代替物はいまでもあるし、そうした現場がなくなった訳ではないけれど、音楽との近さを実感させるものは見かけなくなった。

 「アオツキ書房」の金本武士さんが制作された冊子『コーヒーショップ リーキのこと』を購入。生野区にある喫茶店「リーキ」を写真と文で紹介したもの。池間由布子さんが「リーキ」で歌う様子を収めたDVDが付録でついているということはあるのだけど、金本さんが時折ツイートされる喫茶店の写真も好きなので。古い広告や写真も楽し。
 何度かライヴを聞いて、いまどきの女の子のようでいて、内省的とはちがったあやうさを感じさせる歌が気になるann ihsaさんのソロカセット『緑の人』と店内でかかっていて、ギターに不穏なものを感じて、訊ねてみた神田さやかさんの『欠片の方』を一緒に購入。

 「マルカバツ」(何も買わず)経由で、「Calo Bookshop & Cafe」へ。檀上遼さんの台湾旅行記『声はどこから』写真展。「眺めてる空気」が伝わってくる写真多し。文章を構成するためのメモが面白かった。文章があと一歩迫ってこなくて、本は買わなかったけど、これからも見かけるたびに気にはなると思う。それだけでは申し訳ないですが。「horta」のスコーンを買って、食べながら「Calo」から歩く、のが恒例になってしまっているな。「淀屋橋駅」まで歩いて、京阪電車経由で帰宅。遠回りになるけれど、阪急沿線まで歩く元気がなかった。まだ微妙に暑い。

 帰宅したら、伊藤重夫さんの『踊るミシン』青版(復刻版)が届いていた。クラウドファンディングに応募していたもの。一回り大判になってた。一言で言い表すのは難しいのだけど、村上和彦さんの解説に「思っていることを口に出さないままの共犯関係」とあった。読み終えるといつも(つまり、何度も読み返している)茫然とするのは、追求しなくていい謎と共に過ごすからかもしれない。

9月27日(水) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月29日】
 帰りに鍼灸院。雨が降りそうで降らない。帰宅すると、「ポイント期限切れが近づいています」の連絡に乗せられて発注した中山千夏・長谷川きよし『ジョイント・ライブ・コンサート 7月13日に生まれて』が届いていた。おふたりは1年違いの7月13日生まれだそうで、そこから企画された1999年(7の月!)の誕生日コンサートの模様を収めた実況録音盤です。ソニーの予約復刻企画「オーダーメイドファクトリー」で予約を募って発売されたものだけど、当時発売されたものではなく、発掘盤ということらしい。お互いのレパートリーをシンプルだけど、しなる演奏で聞かせる。千夏さんの歌もいい。知っているようでちゃんと聞いたことがなかった長谷川きよしさんの歌が聞けるのがうれしい。
9月28日(木)
[一回休み]
9月29日(金) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月29日】
 水曜日の夕方に「もうないだろうな」と思っていた作業が突如発生、木曜日一日かけて、残業もして仕上げ、今朝届けた。内容に問題は無く、依頼主の元に届けられた、らしい。「らしい」と言うのは、こちらには何の音沙汰もなかったから。催促のときには直接言ってくるのに。不思議。

 てな話の流れで書くのは差し障りがありそうだけど、先日、母親が見ていたテレビの刑事ドラマで、犯人がサイコパス(反社会的人格障害)研究の権威で、自身もサイコパスというものがあった。犯人が述べるサイコパスの特徴を、例によって、画面は見ないで聞いていたら、まるでツイターでよく見かける議論が好きなひとたちを思わせて嘆息してしまった。母親は途中で眠ってしまったときの対策としていつもとりあえず録画しているので、あとでメモしようと思ったら、何故かこの日は録画していなかった。
 サイコパスは個性なのか欠損なのかよくわかっていないので、取り扱いに注意しなければと思うのだけど、ツイターで見かけるひとたちの批判のしかたや批判されたときの受け取りかたには「そのまんまやん」と思うことが多い。「自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない」とか「一見博学で話題が豊富であるが、他人の話からの寄せ集めである」とか。仕組みが、そうした傾向を誘発する、あるいはそのように振る舞うように仕向けるということもあるかもしれない。

 嫌いなひとのことは考えるのもイヤなので、嫌いなひとのことを話しているのを聞くのも苦手。あるひとがあるひとを嫌っているとして、何故嫌いなのかには興味なくもないけれど、嫌いであるということに対しては興味が湧かない。嫌いなひとはいる。どうかと訊かれたら答える、かもしれない。必要があれば、理由を説明もするけれど、同意は求めない。わたしは嫌いだとしても、他のひとも嫌うことは求めない。政治的な状況にいないから許されるのだろうけれど。

 で、突発仕事を仕上げて、這々の体で帰宅したら、オルタナティヴTVの4枚組の廉価版ボックスセット "VIVA LA ROCK 'N' ROLL: The Complete Deptford Fun City Records 1977-1980" が届いていた。2年前に出ていたことを知らず、たまたま検索ついでに見かけて思わず発注してしまった。オルタナティヴTVの2枚のアルバム("THE IMAGE HAS CRACKED"、"VIBING UP THE SENILE MAN (PART 1)")、ザ・グッド・ミッショナリーズ名義のライヴアルバム "FIRE FROM HEAVEN"、マーク・ペリーのソロ "SNAPPY TURNS" 全曲に、シングルやBBCセッションなどが追加されてる。パンクだったり不定形だったりするけれど、醒めた視線を感じさせつつ、スタイリッシュにもならない、わかっててちゃんとしないところがかっこよい、というか。箱の表紙が、ベスト盤の裏のかっこええ写真なのもうれしい。夜中にヘッドホンだけど、"Action Time Vision" を大音量で聞いてしもた。

9月30日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月30日】
 昼から出かけよかどうしよか迷ってたのだけど、午後遅くによっこら、と。まず、駅貼りポスターで知ったコンサートのチケットをコンビニで。過去2回、聞きに行ったことがあるけど、満員であふれかえっていて、姿をほとんど見ることができなかったひとの。最近のは聞いてないのだけど、よい機会だと思い。それから、駅前のドラッグストアで、勤務時間用のチョコレートを。いつも土日に買い忘れて、月曜日は無しということになっていたのだけど、つまり、土日に出かけたときは、ドラッグストアが開いている時刻に戻っていないということなのであった。で、溶ける恐れもあったけど、そろそろ大丈夫かと、出がけに。知ってる店の中ではここがいちばん安いので、出先でスーパー等に寄れたとしても躊躇してしまうのだ。20円とか30円の違いだけど。

 電車を乗り継ぐ。ここでも、わずかな電車賃の節約。それと、移動書斎のため。なんやろなぁ、空いてる電車の中がいちばん本読みやら雑文書きが進むようになってしまった。先週の通勤読書だった細馬宏通さんの『二つの「この世界の片隅に」』を読み終えた。「ことば」「かく」「くらし」「からだ」「きおく」の5つの点に分けて、漫画とアニメーションそれぞれがなにをどのように描き出しているか、読み取れるか、読み取っているかをたどる。読み取り、考えるというか、描かれる段階でやはり読み取り、考えることが行われているので、批評というよりも、ドキュメンタリーのようにすら読める。細馬さんを主体とすれば、ドキュメンタリーといってもいいかもしれない。音楽でもこんなかんじで受け取って書き出すことができれば、と一瞬思ったが、細馬さん自身が『うたのしくみ』でそれをされているのだった。ただ、歌の場合は、作者による読み取りが目立たないので、漫画とアニメーションの間を扱うことで、ドキュメンタリーのような感触がより明確になっていると思う。

 北堀江「アオツキ書房」での「円盤レコード寄席番外編・擬似体験ビートルズ・ショック」。田口史人さんが集めた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」以降の全米No.1シングルを連続で聞いて、ビートルズ登場を迎えるという企画。安田謙一さんとキング・ジョーさんが実況解説を担当。時系列が混乱したり、揺り戻しに微笑んだり。エルビス・プレスリー対パット・ブーン。イージーリスニングや映画音楽。エキゾチックなワールド歌謡。そうしたものにぼんやりと慣れてきた頃に出てきたビートルズは、なんというか、体感スピードが速い。急かされているような、退路を断たれたような、音のひとつひとつに追い立てられているような、そんな感じがした。そこで世界が一変する訳ではないけれど、ビートバンドが各地で発生するいちばん下の層にある駆り立てるものを実感したような気がした。 音楽の面白さではビートルズ以前にもいろいろあって、イギリスものはトルネイドーズ「テルスター」が先だったり、レイ・チャールズは "Hit The Road Jack" にどきどきさせられるもののその次はおとなしいバラードて゜「食えねぇ」奴だったりするのだけど、続かない。続いて繰り返し出てくるのは、プレスリーとブーン、あとブレンダ・リーとコニー・フランシス。フォークやジャズはほぼ無関係(別枠?)。カントリー色もそれほどない。「ヒット曲」というものに戸惑ってしまった約3時間でした。
 ビートルズには慣れもしくは馴れているので、大丈夫、つまりショックなくスルーしてしまうかなと思っていたのだけど、いやはやどうして。

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2017 Kijima, Hebon-shiki