目次に戻る

2017年9月17日〜2017年9月23日


9月17日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月17日】
 昨日に引き続き、台風(タリム)に備えて籠城、でした。昨日に比べると、日中、雨はおとなしかったので、自転車を走らせて書店にでもと思ったけれど、台風の進路と速度についてぼやき続けている老母に説明するのが面倒だったので、とりやめ。近隣市で、自転車に乗ってたひとが横転して怪我という報道もあった。

 金曜日のKBS京都「夜のピンチヒッター」ゴールデン歌謡劇場特集で、思い出して、森進一「さらば友よ」をひさしぶりにyoutubeで聞いてみた。1974年の発売当時、大好きでした。またもや何故に小学生がこれに感じ入るのか、な詞だけど。記憶よりも、洒落たイントロが付いていた。youtubeのおそらくテレビからの映像で、作曲者の名が「筒美京平」となっていて、一瞬ああそれでと思いかけたけど、いやいやいや、と確かめたら、やはりそれは誤記で猪俣公章さんなのでした。その洒落たイントロ、何かを下敷きにしていて、なんやったかなーと思っていたのだけど、やっと思い出した。映画『個人教授』のテーマ曲だ。こういうことがすぐに出てこなくなった。生放送とか人前で話すとかとてもできそうにない。

9月18日(月) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月18日】
 台風は夜のうちに通り過ぎ、朝には晴れていた。ただ、雲は厚く、昼前に買い物に出かけたときには、傘を持っていなかったのに、ぽつぽつと降り出して焦った。買い物を終えて、スーパーから出たときにはまたあがっていたけれど。そう言えば、どうも独自選曲をしているらしい、そのスーパー周辺の商店街のBGMで、サニーデイサービス「サマーベイビー」がかかっていた。星野源も、商店街でかかっていて、ようやくヒットしていることを実感したけど、サニーデイサービスも「ヒット」しているのだろうか。

 午後から、中百舌鳥「堺市産業振興センター」での「第五回文学フリマ大阪」に。会議室の一室を使ったこじんまりしたものを想像していたのだけど、広い会場にずらっと並んでいて、驚いた。創作同人や学校の文芸部の発表の場なんやね。文字表現による創作を一見で採るのは難しい。まして対面販売なので、立ち読みも照れる。お互いに審査してるみたいなかんじになってなければよいのだけど。ウェブ等である程度作風を知っているひとのものを手にするというかんじになるのではないか。ぐるっと回ったのち、餅井アンナさんの「食に淫する」1号を買う。トミヤマユキコさんの早稲田大学の授業で制作されたもので、トミヤマさんが紹介しているのを見て、気になっていたもの。餅井さんが出展されるというのが、滑り止めというか、覗いてみるきっかけでした。
 あたりを散策して、「ドトール」で一服してから、引き上げた。中百舌鳥旅行したことにして。「天牛書店」は、駅中の小さな店も半分近くが古本だったのが驚き。

 そのまま帰宅しようと思っていたのだけど、せっかくなので梅田に寄ることにした。レコード店で音楽関係の本を買おうと思ったのだけど、どれもなく。ハシゴする元気がなかったので、そのまま駅に向かい、改札に向かっていたら、そやそや、改札の手前に書店があった、一応覗いておこう、と思ったら、3冊ともあった。松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』、細馬宏通『二つの「この世界の片隅に」 マンガ、アニメーションの声と動作』、若尾裕『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』。

 行き帰りは、留守録したラジオそのものを携えて、「夜のピンチヒッター」の聞けてなかったパンク特集とカーネーションの新譜紹介を聞きながら。パンク特集は、40年前の10月に日本盤がそろそろ出だしたものの、10月には放送がなく、「夜のレコードマンスリー」で紹介することができないため、「ロックンロールストーブリーグ」と題して、特集することになったそう。わたしについて言えば、この頃は、まだパンクにはピンときてなかった。いま聞くと、当時はポップすぎると思ったモーターズが随所にぐっとくるものがあったりして、状況次第のところはあったかもしれない。ほんとにぐっときたのは、ワイヤーの "PINK FLAG" からです。
 そう言えば、マーク・ボランが亡くなってからも40年なのだけど、マーク・ボランの訃報の翌日だったか、次の登校が月曜日で、朝から体育の授業で、二人で組んで準備体操をしながら「ボランが死んだな」という話をしたことを強烈に覚えているのだけど、ワイヤーの "PINK FLAG" が「ヤングジョッキー」で紹介された翌日も、バスケ部の朝練で、シュートの練習をしながら、「昨日かかってたピンク・フラッグよかった」(渋谷陽一さんがバンド名とアルバムタイトルを間違えて、ピンク・フラッグというバンドの "WIRE" というアルバムとして紹介したのです)という話をした。そういうときのほうが余計な話をしやすかったのだろうか。

9月19日(火)
[一回休み]
9月20日(水) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月23日】
 松山晋也著『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を通勤読書で火曜日に読み始めたら、次の日には読み終えてしまった。移動中のみという訳ではなく、駅の休憩コーナーやコンビニのイートインコーナーで通勤時間を延長して、なのだが。ピエール・バルーの来しかたと信条については、ご自身のエッセイ集が既に出ているので、サラヴァ作品に添付された松山さんのライナーノートなどでの予告を読んだときはそれを補完するディスクガイドを想像していたのだけど、サラヴァレコードに集まった多種多彩なミュージシャンたちの群像を描くためには主宰者ピエール・バルーの少年時代からの来しかたと信条を描くことは不可欠だったのだと思う。それゆえの併記だし、綱渡りと出会いが軸になっている以上、時代を描くものになるということなのだと思う。

 という訳で、ディスコグラフィなど、資料的な情報は、文中に埋め込まれている。「出会い」の何処で、登場させるか苦心されたのではないか。松山さん自身が長年に渡って行ってきたインタビューが生かされているけれど、この本のために取材したというよりも、メインとなる取材のついで、のフリをして折に触れて訊ねられてきたのではないかと思う。主要な「登場人物」は、フランシス・レイ、ジャック・イジュラン、ブリジット・フォンテーヌ、オリヴィエ・ブロック=レネ、アレスキ・ベルカセム、ダニエル・ヴァランシアンとミシェル・サルー(サラヴァスタジオのスタッフ)、ナナ・ヴァスコンセロス、ピエール・アケンダンゲ、ダヴィッド・マクニール、ルイス・フューレイとキャロル・ロール、ジャン=ロジェ・コシモン、ドミニク・バルー、テアトル・アレフ。さらにサポーターとして、レミー・コルパ(ラジオ・ノヴァDJ)、立川直樹("LE POLLEN"、"SIERRAS"プロデュース)、潮田敦子(アツコ・バルー)、牧村憲一(ポリスターレコード)。バンジャマン・バルーとにむらじゅんこによる「ポポ・クラシックス」についても触れられている。話題としても、拠点となったサラヴァスタジオの様子や「お、サラヴァスタジオで録音されている!」とクレジット見て高揚したことが思い出されるBYGレコードとの関係など。索引も用意されてるけど、自分用に細かい目次を作りたくなっている。
 作品単位で言うと、印象的な作品を残しているひとたちの名が出てきていないけれど、あとがきによれば、当初「本文で触れられなかったサラヴァの重要作品三〇選」というページを設けるつもりでいたが、ページと時間の制約から叶わなかったとのこと。例えば、バルネ・ウィラン "MOSHI" など、おそらく、そこで触れるはずだったのだろう。

 わたしがサラヴァを意識したのは、そんなに古い話ではなく。フランスのひとでありながら、シャンソンでもフレンチポップスでもない、あっさりした風情が印象的だったバルー自身の作品、アート・アンサンブル・オブ・シカゴとの共演盤が強烈だったブリジット・フォンテーヌ、「ロックマガジン」経由で知ったルイス・フューレイの作品を出しているバルーの個人レーベルというイメージしか持っていなかった。80年代の日本とのかかわりは、面白く思っていたものの、正直なところ、バブリーなものを感じて、距離を置いて見ていた。『おくりもの』は、「写楽」の関連企画だったか。「写楽」は、篠山紀信撮影の女優ヌード写真を表紙と巻頭にした雑誌で、いまで言うところの「サブカル」になるのだろうか、面白そうなものをあたりさわりのないかんじで扱っていたので、根性(んなところに要らんけど)無しのためのカジュアルなエロとしてはともかく、胡散臭いと思っていた。
 サラヴァの面白さを知ったのは90年代の初め頃、梅田に「LOFT」ができて、そこに入っていた「WAVE」で、"10 ANS DE SARAVAH" に遭遇したことから。マントラから再発された2枚組CDで、当時はなんとも情報がなかったのだけど、元は閉鎖の危機にあった1975年に「最後の打ち上げ花火」として企画されたレーベルを総括する4枚組LPだった。このオムニバスアルバムがとにかく面白かった。トリオ・カマラ、マジュン(Mahjun。読みかたがわからなくて、マーユン等と呼んでいた)、バルネ・ウィランのアフリカ紀行 "MOSHI"、スティーヴ・レイシーや "PIANOS PUZZLE" などのジャズ作品、ピエール・アケンダンゲ、ダヴィッド・マクニールなど。ここからそれぞれのレコード探しが始まった。もっとも、オリジナル盤は見つけられず、復刻CDですらなかなか見つけられなかったのだけど。そんなかんじで、よくわからないまま、「ピエールさん関連」「サラヴァ関連」で聞いてきたというのがほんとうのところです。1996年9月25日発行の雑誌「ur」12号のフレンチポップス特集に掲載された記事で初めてジャケットを知ったというものもたくさんあった。

9月21日(木)
[一回休み]
9月22日(金)
[一回休み]
9月23日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年9月23日】
 朝から京都へ。梅小路公園で行われる、くるり主催のフェス「京都音楽博覧会2017」にアレシャンドリ・アンドレス&ハファエル・マルチニが出演するということで、悩んだ末。普段行ってるライヴの3回分なので。勝手がわからないので、とにかく開場時刻にはと思い、10分前に辿り着いたら、既に長蛇の列ができていて、公演の裏まで半周した。おかげで蒸気機関車をちらっと見ることができたのはうれしかった。会場の芝生広場に入ると、レジャーシートを広げているひとたちが多数、で最初そこに連なっていたら、なんだかえらくステージまで遠い…と思っていたら、そこは言わばファミリーコーナーなのであった。ステージ前はまだほとんど来てなかった。という訳で前のほうで待つことにした。「ポメラ」を持ってくるのを忘れていたことに気付き、愕然。持て余した時間は、ふだん見ない客層の観察をしていたと言えなくもない。水族館のイルカショーを遠くから眺めたり。
 開演は12時から。ディラ・ボンは、インドネシアのシティポップス。ルーパーや電子機器をさりげなく使って、ひとりで厚みのある演奏をしていた。トミー・レブレロは、バンドネオンも携えて、フォルクローレ、タンゴ、現代フォークとさまざまな「アルゼンチンの今」に取り組んでいるかんじ。でも、それぞれが、ちょっと緩くて、キレがなかったのが残念。
 30分くらいのインターバルで、この日のために編成された京都音博フィルハーモニー管弦楽団が登場。チェロには今回の「生歌謡ショー」企画の編曲も担当している徳澤青弦さんの姿も。指揮は大谷真由美さん。くるり岸田繁氏のクラシック嗜好の原点というシベリウス「フィンランディア」[グリーグ「ホルベルグ組曲」]の一部、それと岸田氏自身のクラシカル作品の一部が披露された。

 京都音博フィルハーモニー管弦楽団はそのまま、アレシャンドリ・アンドレス&ハファエル・マルチニが登場。ドラムに屋敷豪太さん、ベースの方は失念失礼。アレシャンドリ・アンドレス(ギター、フルート)とハファエル・マルチニ(ピアノ)がそれぞれの曲を交互に演奏。アンドレスが、"MACAXEIRA FIELDS" から3曲 "Um som azul"、"Macaxeira Fields"、"Ala petalo"。マルチニが2曲。"MACAXEIRA FIELDS" も、もともとオーケストラルな作品だけど、キレと躍動感のある管弦楽団との共演でその面が際立っていた。一日限りの共演ということで、見ているこちらがはらはらしてしまったけれど、マルチニさんはリラックスされてたかな。初めて聞いたマルチニさんの曲も不可思議な、渦を巻くかんじでよかった。30分少しということで、短いことは残念だったけど、管弦楽団との共演で聞けて、ほんとうによかった。そう言えば、途中で、アゲハ蝶が二羽舞っていて、楽しくなってしまった。

 さて、ここで14時半くらいか。遅い昼食をと思ったら、次のくるりに備えて、前のほうにひとが集結していて、身動きがとれない。次がくるりなのに、良い場所を離れようとするやつがいるということが信じられないのか、道を開けてくれないし。なんだかいろいろ踏んでしまい、すみません、すみませんと謝りながらなんとか離脱。離れた場所に、共催というかたちで、屋台が出ていることは、2年前に、「きんせ旅館」での海藻姉妹のライヴの前に、アントニオ・ロウレイロを外から聞くために行ってみたときに見ていたので、知っていた。なのだけど、どこも列ができていたし、ゴミを極力出さないという方針から、食器類は借りるかたちになっていて、勝手がわからないので、昼食は諦めた。アレシャンドリ・アンドレス&ハファエル・マルチニは、アンドレスのソロ、マルチニのソロ、デュオの共演作が続けて出ていて、アンドレスさん2枚を優先して、マルチニさんのが残ったら申し訳ないなどと思いながら、貯金を下ろしていったのだけど、マルチニさんのソロ "SUITE ONIRICA" しか置いてなかった。デュオ作は間に合わなかったそう。せっかくなので、マルチニさんのソロを購入。

 しばらく場外でのんびりしてから、戻るも、くるりはまだ登場していなかった。端っこのほうで座っていたら、睡魔が。くるりの演奏中は、そんなかんじでうとうとしてました。申し訳ないけど、くるりの音楽はピンとこなくて。スタイルをスタイルとして演奏しているからかな、とぼんやり思っているけれど、ちゃんと聞いていないので、はっきりしたことは言えない。バラエティに富んでいるとも言えるけど、予想を面白くない方向で裏切っているような気がして。
 最後の生歌謡ショーは、制御ブースとステージを結ぶ中央の境界線を左から巨大モニターのある右側に移動して、後ろのほうで。田島貴男さん、なんだかとてつもなくひさしぶりに聞いたけど、「接吻」のアレンジが面白かった。本人は譜面が読めないので、間違うかもしれないと言いながら。UAも、全然「歌謡ショー」じゃなかった。それこそ、「ラジオのように」。威嚇はしてなかったけど。布施明、歌い回しのためにはらはらしたけど、声は衰えていなくて、3曲だけだけど、こんなの見る機会ないので、楽しんだ。最後に二階堂和美さん。今くるよさんのようなどやさな衣装でくるくると登場、布施さんのあとだし、恐縮気味、でも、管弦楽団と一緒に気持ちよさそうに歌われてた。

 帰りは、規制しながらだったけど、阪急大宮駅方面のひとは少なかった、というか、阪急大宮駅まで「歩く」ひとは少なかった。ひさしぶりに大宮駅の「ブックファースト」に。「雲遊天下」127号も音楽誌コーナーにありました。宮谷一彦特集の「フリースタイル」36号と趣味の谷口蘭本集めで、風工房『まきものいろいろ』を。

目次に戻る

2017 Kijima, Hebon-shiki