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2017年8月13日〜2017年8月19日


8月13日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年8月13日】
 金曜日は墓参りをかねた家族行事。姪っ子はゲームをやっている時間が多かったので、いつもより楽だったけど、それでも、ゲームに飽きると、エアコンのない暑い2階で遊びたがるので、元気だ。彼女の頭の中のバーチャルプレイの宝探しのためのツールであるウチワを出してあげたら、黄色地に赤文字のレコード店で配布されたものがえらくたくさんあって、何故たくさんあるのかと追求される。あー、それはねー。

 弟一家が帰ると、いつもより楽だったのにもかかわらず、いつものように2時間つっぷして寝てしまった。

 金曜日の夜から土曜日の午前中にかけて、図書館で借りて読み終えていなかった福間良明『「働く青年」と教養の戦後史 「人生雑誌」の読者のゆくえ』を読んだ。いまやってる朝の連続テレビ小説『ひよっこ』に出てきそうで出てこない状況を追っている。なぜ『ひよっこ』に出てこないかと言えば、登場人物がみなよいひとだからです。農村の実家しかり、ラジオ工場の仲間しかり、洋食店とご近所の仲間しかり。理不尽な目にはたくさんあっているけれど、そこに蔑視や軽視はない。そして、主人公は「かわいそうな子と思われたくない」という意志で怨みや妬みに陥らず、そのひとたちに応えている。しかし、工場でいじめにあったり、不審な行動を咎められたり、足元見られて安い賃金を提示されたりしてもおかしくなかった。「人生雑誌」を実際に手にとったことはないけれど、50年代から60年代にかけて、そうした不遇な目にあっていた若年労働者を主な読者とした雑誌があったことは知っている。職場のサークル活動よりも、さらに内面的な活動である。「組織」との緊張関係にあったことは、労音の活動とも重なる。渋谷陽一氏の言にならって言えば、そこに空白があった。学校に行きたくても行けない。頭はいいのに蔑ろにされる。賃金は安く、人間関係は息苦しい。どうすれば、そんな状況に一言言えるか。一言言うことで何か得られるか。
 直接「人生雑誌」には触れていないけど、執筆者の名を見ると、教師があげていた名がいくつかあり、間接的に影響があったかもしれないと思う。わたしはそうしたものに距離をもって接していたけれど、主要読者層と比べると、時代も違うが、「恵まれ」ていたからとも言える。あの頃に比べると、「自由」だったから。

 無事読み終えて、先週見なかった『直虎』と『100分で名著 野火』など見てから、図書館に返却に。読めていない手持ちの本があるので、新たに借りるのはよした。戻る途中で買い物をして、いったん戻って、買い物を冷蔵庫に収めてから、通勤ルートへ。というのは、先週の「外」での「かえるさんとシブヤくん in 京都」の折に、開演前BGMでかかっていて、「おお、そやそや、もう出てるはずやな」と思ったものを帰ってから発注したのだけど、受け取りコンビニを指定する段になって、いままで指定できなかった仕事場最寄駅が候補に出てきたので、つい、うっかり、指定してしまったのだ。長い休みに入るというのに。という訳で、出勤しないのに仕事場最寄駅までやってくる、ということに。とほほ。

 受け取ったのは、ローラ・ニーロ "A LITTLE MAGIC,A LITTLE KINDNESS: THE COMPLETE MONO ALBUMS COLLECTION"。"MORE THAN A NEW DISCOVERY" と "ELI AND THE THIRTEENTH CONFESSION" のモノミックスをカップリングした2枚組で、"Stoney End"、"Eli's Comin'"、"Save The Country" のシングルバージョンがおまけとして追加されている。デビューアルバム "MORE THAN A NEW DISCOVERY" はヴァーヴから発売されたのち、"Wedding Bells Blues" などのヒットを受けて、コロンビアから 曲順を変え、"FIRST SONGS" と改題されて再発され、いまではそれが標準となっている。うちにあるのもそれなのだけど、CDで買い直すなら、できれば元のかたちに戻したものがいいなと思って、なかなか手が出なかった。チェリー・レッドから発売されたことがあったのだけど、チェリーレッド盤はすぐに入手困難になるのが常で、これも店頭で見かけないうちに、通販サイトの中古価格が高騰してしまっていた。という訳で、セカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔』とのカップリングではあるけれど、念願の一枚なのでした。『イーライ』も持っているのはステレオ版だし。

 日曜日は「ちょっとバタバタし」てるうちに出るタイミングを逃してしまった。録画したままになっていたテレビ番組を観たり、所持本読みに戻ったり。

 「架空」2017年春/No.15。ひさしく見ていなかったのだけど、西野空男さんは居らず、川勝徳重さんが中心となって発行されている。影響元(奥平イラ、沢田としき、花輪和一など)をつい見てしまう作品も多いけれど、まどの一哉「床屋」と木下竜一「クロック18C」はよかった。共に途方に暮れている。この号には、漫画以外の記事もいくつかある。そのうちのひとつが、シンガーソングライター伊藤尚毅氏の特集で、インタビューと評論の掲載に加えて、新作新録によるCD-R『デモテープ』が付録として同封されている。冬支度の安田さんに教えてもらった、低い声で歌うアコースティックギターの弾き語りのひと。細野晴臣『HOSONO HOUSE』を思わせることはご本人も意識されているようだけど、いまやりたいスタイルに合った歌いかたを見つけたということなのだろうと思う。少しファンキーな「茶の味」と「雨の通学路」がよかった。スタイルにこだわるようなかんじはなさそうだけど、サークルに属している様子もないので、活動を続けていくうちにどう変わっていくか未知数。でも、まだ完成・納得はされてないような気がします。
 漫画以外の記事では、JATPのロゴを描き、さまざまなジャケットイラストを手掛けたひとについて書かれた深野五十吉氏の「デヴィッド・ストーン・マーチンについて」が面白かった。

8月14日(月)
[一回休み]
8月15日(火)
[一回休み]
8月16日(水) 【▼ぐりぐらメモ/2017年8月16日】
 仕事場の都合で、有給休暇をとって、盆休み継続。午前中は自治会関係や平日でないとできないことなど。雲は黒く厚いが、雨は降っていない。むし暑い。途中、コンビニのわずかなイートインコーナーで休憩しようと思ったが、アイスを食べてる親子でいっぱいで、すぐに空きそうにないので、諦めた。ふだん、通販物の受け取りだの支払いだの、店にあんまりメリットのなさそうなことでしか利用していないので、少しでも実のある利用をしようと思っているのだが、ないんよなぁ、買うものが。

 午後から、映画『海辺の生と死』を見に、梅田「LOFT」地下の「シネ・リーブル」に。長い映画なので、15時10分からの回がちょうどよいと思い、30分前にチケットをとったのだけど、既に最前列がいくつか空いているだけだった。サービスデイということは知らなかった。言うても盆休みは終わってるので、大丈夫だろうとたかを括ってました。越川道夫監督の前作『アレノ』はとても良かったけど、明解な作風ではなかったし、主演の満島ひかりさんも、ややこしいひとの役が多く、なんというか、ややこしいかんじが予想されたので、満員は予想外だった。
 タイトルは島尾ミホさんの本から採られているけれど、島尾敏雄、島尾ミホの作品から、戦争末期に触れたものを題材にして組み立てたもののよう。ファンタジーに寄るのかなと思えば、そうでもなかったりして、軍がからむところはもやもやしてしまったけれど、島尾ミホさんが投影された主人公トエの学校での子供との交流や村の集いなどで歌が歌われるところは、よかった。地元のひとからしたらどうかわからないけど、思っていた以上に、満島さんはシマグチのように思えたし。奄美の歌は、「同期の桜」と対比されて、島やトエそのものを表すものとして位置づけられていたけれど、そのことで物語が鮮やかになったかと言えば、ちょっとつらいところがあった。説明を省いていたから、かもしれない。特に、逢瀬のために、人目を避けて、海づたいに約束の場所にトエが行く場面。説明がないから、それがどれだけ焦燥と危険を伴うものであるかが伝わってこないし、相手の特攻隊の隊長、朔のわかってなさも弱められたと思う。
 それにしても。永山絢斗扮する朔隊長はもっと悪人であってもよかった。悪人ではあるが、それがトエには見えない、ということでなければ、最後の手紙の文面に「なんやねん」とならざるを得なくて。トエの、トエの父親や村のひとたちの「思いつめ」が空振りしてしまう。
 謎が二つ。出撃する隊長を見届けてからひとり自決しようとトエが決意する場面がクライマックスだけど、そこでちょうど集中が途切れてしまった。体を清めたトエが爆音とともに光に包まれた中で微笑むのだけど、あの光はなんだったのだろう。もうひとつは、出撃の準備を済ませた朔に、お付きの兵、大坪が、トエに知らせたことを告げる場面での隊長室の鏡の映りかた。最前列の端で見ていたせいか、妙に感じられた。
 いま確認のために、公式サイトを見たら、出演者の紹介はあるけれど、監督を始めとして、スタッフの紹介がまったくない。不思議です。

 そう言えば、別に、予習、準備のつもりはなかったのだけど、yojikとwandaのyojikさんのおとうさんが元隊員だったということで紹介されていたNHKの「[証言記録 兵士たちの戦争]“ベニヤボート”の特攻兵器 ?震洋特別攻撃隊?(NHK 戦争証言アーカイブス)」をウェブで見たところだった。この2009年10月31日放映の番組は見ていなかったのだけど、いま勤めている会社の前の前の社長が亡くなられたあとで、元隊員であったことを知り、驚いた。一年に数回、ご存命中はまだ行われていた会社行事の折に挨拶する程度だったのだけど。

 上映が始まるまでの間に、階上の「びじゅチューン!」展を覗いた。えらく賑わっていて、こちらも驚く。パネルと小道具の展示、それとグッズ販売。アニメーション制作のための小道具が面白かった。

 映画は18時終了。タワーレコードNU茶屋町店を少しだけ覗いて、すぐに帰宅。

 夜、あとで聞くつもりで忘れていた「ラジオNIKKEI第1」の3時間特番「100% RAW POWER イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ」(2017年8月11日14時から17時まで放送)を聞いた。生放送だったこともあって、ほとんどの曲は出演者のおしゃべりのうしろで小さくかかるのみ。おしゃべりも、特になんということもないファン談義。飛ばし飛ばし。去年出たイギー・ポップのソロ名義 "POST POP DEPRESSION" はよかったけど、聞いていなかった10年前の再結成ストゥージズの"THE WEIRDNESS"、その後の "READY TO DIE" からの曲がよかったので、それがわかっただけでよしとします。

8月17日(木)
[一回休み]
8月18日(金) 【▼ぐりぐらメモ/2017年8月18日】
 仕事場の都合による盆休み延長戦(いや、何とも戦ってはいない)。きのうは、3年前の公開時に見に行ったものの、空調の当たりどころがわるかったか、長時間じっとしていたことで腹を冷やして体調を崩してしまい、最後のパートは、場外で音だけ聞くはめになってしまった大林宣彦監督『野のなななのか』を改めて。3年前と同じ、十三「シアターセブン」にて。戦時中の忘れられた時間に起きた悔恨を秘めたまま亡くなった男。葬儀に集まった孫の世代が、秘められた悔恨の意味をそれぞれに受け取る物語。子の世代、つまり、孫の世代の親の世代は謎解きをサポートするが、この世の役割は、どこか、もう終わっているようなかんじで描かれている。長い映画だけど、映像のトリッキーな編集や文字情報の配置、奇妙な人物像によって、実際の時間よりもさらにたくさんの時間が流れる。だから気が抜けない。DVDでじっくり見直せば、いろいろ発見できそうな気もするけれど、気を抜かずに見ることで伝わるものがあるように作られている気もする。
 前回見られなかったのは、ちょうど最後の章とあとがきのような部分。中原中也の詩集が重要なモチーフとして出てくるのだけど、最後のところで、「臨終」に触れられていて、驚いた。というのは、前回見たのが2014年6月で、ちょうど、「臨終」という中原中也の詩をモチーフにした曲を収めた倉地久美夫さんのアルバム『いいえ、とんでもございません』を聞いた直後だったから。当時も、「中原中也つづきやなぁ」と思いながら見ていたのだけど、そら、物語からしたら、「臨終」にも触れることになるか。倉地さんの「臨終」は、山口CATVの番組『平成新作愛唱歌 山口でうまれた歌』のために久保研二さんが作詞作曲したもので、実際には同じ中原中也の「骨」に近い内容です。
 驚いたと言えば、もうひとつ。スタッフに漫画家の森泉岳土氏の名があった。やはり3年前の秋に、京都で開かれていた原画展で、絵が気になった作家です。大林監督の次作『花筐』ではポスターのイラストを担当されているようです。『花筐』は、壇一雄の小説を元に、40年前にいちど脚本を書き、存命中に作家の許可も得ながら、壇一雄が亡くなったことで中断させた作品とのこと。

 なんとか最後まで見ることができた、が、長袖に上着も着て、カバンを抱えるようにして、冷やさないように気をつけていたにもかかわらず、実はちょっとあぶなかった。

 梅田に出て、「ディスクユニオン」に。あったら買おうと思っていたCDは売り切れたか見当たらず、迷っている本は、やはり戻してしまった。という訳で何も買わず、待ち合わせていた知人と落ち合い、話のネタにと「スタンダードブックストア茶屋町店」で展開中の「山下達郎's CAFE」に。『COMEALONG 3』がかかっているだけと言えなくもないですが。もっと大きな音でがんがんかかっててほしかった気もするが、それだとあまりちゃんと話ができないか。しかし、馴染みのある曲ばかりなので、気をとられることなく、耳に障ることもなく、適当に聞き流せるのはよかったかも。

 きょうは、静養でした。明け方から激しい雷と雨が降っていたけれど、昼前には落ち着いた。データの整理とか読書とか。夜、ラジオ関西「夜のピンチヒッター」を聞いて、「金曜日」感を取り戻す。ランディ・ニューマンの新譜はよいし、「夜のレコードマンスリー」1977年8月では「庶民のファンファーレ」に「東京ジョー」と「中三の夏」がじとーっと蘇るし。「真夏のクイーカまつり」は楽しかった。最小限のエキゾチカなんやね。

8月19日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年8月19日】
 書きそびれていたこと二点。水曜日の映画の帰り、「マルジュン」に寄って、山田英生(やまだ ひでお)編『ビブリオ漫画文庫』(ちくま文庫)を。古本をテーマにしたり題材にしたりしている漫画を集めたオムニバスです。最初と最後に、山川直人さんの作品が置かれ(正確には、最後にもうひとつ永島慎二作品が置かれているけれど、エピローグ代わりと考えている)、表紙を描いているうらたじゅんさんの作品も収められている。コレクターの妄執を描いたもの、古本屋という周縁場所での日常を描いたものなど。古典作品はほとんど読んでいるものだけど、「彷書月刊」に掲載されたものがあったり、南日れんなどひさしぶりに読んで、やっぱりいいなと思ったり、と「オムニバス」の愉しみをしっかり味わいました。
 木曜日の帰り、「紀伊國屋書店」本店に足を踏み入れる元気はなかったのだけど、改札近くのコーナーで、「美術手帖」2017年9月号(特集=川島小鳥 Eternal Shine)を。出かけるたびに、なんというか、こう、心に潤いをもたらしてくれるような色っぽいものをと思いながら、つい殺伐、鬱々とした評論など買ってしまうのだけど、石田ゆり子をモデルにしたページがあって。川島小鳥さんの写真にも興味があったので、どういうひとで、どんな仕事をされているのかなということもあり。やはり見てみたいが、遠いし、写真集はそこそこする「ブラインドデート」展の志賀理江子さんインタビューも掲載されている。

 いろいろ迷っていたのだけど、午後から京都へ。とにかく暑くて、動き回る気力がなく、行く先がピンポイントになる。出町柳に直行。電車の中ではほとんど眠っていた。叡山電鉄「出町柳」駅近くの鴨柳荘柳アパート2階17号室の「プチタム」へ。秋に「五条モール」に移転することになり、ここでの営業の最終日ということで。大林店長が居られました。「NOT PILLAR BOOKS」から引き継がれて以来、ほんの時折だけど、覗きに行っていました。開店当時は、他にもいろいろ店が入っていたけれど、現在はほとんど住居か事務所になっているようです。移転はそうした状況によるものでなく、「五条モール」の「home home」(2月に行ったことがある)が閉まることになり、そのあとどうですかということになったそうです。柳アパートでの最後の展示は平居紗季さんの「つながるとき」。「写真探求展」と題され、ご自身が撮影した写真だけでなく、家族が撮影した古い写真や古物として売り出されていたネガを焼いた写真を組み合わせて、振り向いたときにそこにありそうな、記憶のような展示になっていました。
 移転前のセールということで、在庫から、気になっていたけど、文字が少なくて(せこい見方ですみませぬ)躊躇していた中川ワニさんの『ジャズブック』(タダジュンさんの作品が表紙などにあしらわれている)、いまさらですが5枚組とどっちにしようか迷っているうちに買いそびれていた柴田聡子『SHIBATA SATOKO LIVE IN JIMBOCHO HITORIBOCCHI 2014-2015』を。

 なにやってるかな、開いてるかなと思いつつ寄ってみた「トランスポップギャラリー」で、タダユキヒロ展「BakeMoshたちの夏休み」。可愛らしい生き物が街中を浮遊しながら、散歩(?)している図。彩色された作品も鮮やかでよかった。

 河原町に戻って、レコード店を3軒回るが、いろいろ抑えました。ちなみに、そのうちのひとつは入ると、あがた森魚『蓄音盤』が、その上階にあるもうひとつの店では、細野晴臣『HOSONO HOUSE』がかかっていました。ん、結局、あとの店ではLP1枚分滞在していたのか。迷った末に何も買わなかったのに。申し訳ない。

 帰り、途中下車して、水無瀬に。9月で閉店するという「ドムドム」水無瀬FC店で一服。駅前で軽く一服できるのはこの店しかないということもあって、よく利用していました。どことなくFC特有のかっちりしたマニュアル感がない、駄菓子店に通じる雰囲気のある店でした。それから、「長谷川書店」に寄り、ひとめぐり。気になっていた(「君の好きな素数は」なんて問いかけてくる歌を聞いていたこともあり、思い出して)マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』(新潮文庫)と水無瀬在住バンド、いかねめがねすーすー『こんにちは いかめがねすーすー です』を買う。水無瀬駅で、新幹線の走行を至近距離で楽しんでから、帰宅。

 帰宅すると、吉上恭太さんのご厚意でお送りいただいた吉上さんのセカンドアルバム『ある日の続き』が届いていた。母親が部屋に引き上げてから、聞き始めた。ボサノヴァから受け継がれた、ゆるやかに下降する響きを、かちっとしていながら、するりとかたちを変える演奏がサポートしている。実際のライヴにはまだ接していないですが、youtubeで見られる映像で親しんでいた曲も、思いの外、快活な仕上がりになっていたり。日常的な場面を歌いつつ、過去だったり、向こう側だったりといった後景がふっと思い出される歌になっています。このアルバムについてはまた改めて。

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2017 Kijima, Hebon-shiki