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2017年7月30日〜2017年8月5日


7月30日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月30日】
 朝、激しい雨。梅雨みたいだ、と思ったが、ほどなくして止んだ。昼の買い物が穏便に行けてよかった。場所を特定されたくないので、突飛な具体例を書かないようにしているのだけど(そうやって突飛なことを仕掛けてSNSに発信させるというカマ掛けもあるらしい)、買い物に出かける商店街で流れているBGMが、以前は明けても暮れても中孝介「花」だったのに、このところ、続けてダイア・ストレイツの "Money For Nothing" を耳にした。選曲担当のひとに何かあったのか。

 汗っかきには、この時期、中古レコード市や古本市は申し訳ないことになりかねないので、「京都レコードまつり」は見送ることに。そう言えば、きのうの「ベアーズ」で1枚気になるLPがあったのだが、ライヴの余韻もあり、忘れてきてしまった。次に行くときに、まだあれば買おうと思います。しかし、このところ、買ったあとで、定額制配信にあることを知ることが多く、そのせいで、気持ちに待ったがかかるようになっている。いかんなぁ。しかし、CD出てたっけ、な盤が配信のみで出ていることも多く、財政厳しき折、助かっているのは事実。

 今日も、知ってるバンドの知らない曲が入っているという理由でメモしていたオムニバスを何の気なしに聞いていたら、おっときた曲あり。Kreag Caffey(クリーグ・カフィ?)というひとの "Chilly Winds"。喉にかかった声とベキベキと鳴るスライドギターが耳に残ったのだけど、1972年のアルバムはCD化されていないようだ、が、定額制配信にはあって、びっくり。ディスコグラフィサイト「Discogs」にも詳しいことは書かれていなかったけれど、SSWファンによる日本語サイトにあった詳述によれば、ジョン・セパスチャン、ケニー・ランキン、クレイグ・ダーギ、ラリー・ネクタル、リッチー・ヘイワードといった名手が多数参加しているらしい。これは、別に検索で見つけた海外雑誌の記事にあった、LAの有名ディスクジョッキー B.ミッチェル・リード(デイヴィッド・ボウイの72年サンタモニカ公演での司会が発掘盤に記録されている)がマネジメントをしていた関係からかもしれない。ただ先に触れた日本語サイトでは酷評されています。「駄作」、「ひらめきのないメロディー」、(1曲入っているクレイグ・ダーギのピアノを除き)「A面曲は印象に残らない出来」、「無個性なフォークロック」、「曲の出来からは売れる可能性の感じられない」、雑誌のケニー・ランキン特集に「参加アルバムとして一行だけ名を残す程度」。きじまさんの耳は節穴説。

 というようなかんじで、ぐずぐずしていたのだけど、いちど見ておきたいという気持ちが勝り、「HMV三宮VIVRE店」に町あかりさんのインストアライヴを見に行ってきた。『EXPO町あかり』発売に伴うもので、ジャケットと同じ、万博のコンパニオン…とは当時は言ってなくて、なんだっけ、ホステスの制服風のコスチュームで。ラジオ関西「夜のピンチヒッター」で数曲聞いていて、「ちょっとバタバタしてまして」や「自律神経乱れ節」といった世の中のありがちな出来事を少しイジワルな視点でツッコむスタイルは、ありそうで、このところ見当たらない。「毒舌」の語がつまらない怨嗟の代弁に対して使われている現状にあって、あるあるではあるけれど、言ってやったぜ的なところがまったくない、あっけらかんとした攻め。優しく凍りつかせる詞の数々が怖い。どの世代にとっても「少し上の」お姉さんのような。パフォーマンスも歌のお姉さん的で不思議な存在だと思います。演奏がインスタントな音を使っていて、それも面白さになっているのだけど、そこはちょっと繰り返して聞くことを思うと躊躇してしまうところではあるのだけど。「ちょっとバタバタしてまして」はカラオケに入らないかなぁ。万が一、職場のひとたちとカラオケに行くことになってしまったときの隠し玉として。

 ちょっとだけ三宮を歩いて、帰宅。涼しい電車に揺られている間がいちばん安らいでいるかもしれない。…あかんかも。一駅自転車で移動して、駅前の「ドトール」で一服してから帰宅しようとしたら、大粒の雨が。結局、降られました。

7月31日(月)
[一回休み]
8月1日(火)
[一回休み]
8月2日(水)
[一回休み]
8月3日(木)
[一回休み]
8月4日(金)
[一回休み]
8月5日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年8月5日】
 停滞気味だった仕事が動き始めて、ほっとする。待ちの時間が多くて、他のことをやるにやれない、ゆるい生殺し状態が続いていたのだ。マッチポンプな濡れ衣案件も一応落ち着いた。どっちでもええねんけど、どっちでもええんやったら、こっちのせいにせんといてほしいなー、ちゃうねんから、とは思えど、まぁ。

 火曜日の帰りに右目の視界に違和感があり、iPad miniのガラス面に映してみた限りではわからず、髪か睫毛がかかっているのかと思っていたのだが、帰宅して鏡を見ると、めばちこ(ものもらい)ができていた。痛みはないので、様子を見ていたのだけど、やぶれたり、かさぶたができたり。プールにも海にも行ってへんのに。あ、今週から、海へ行くつもりじゃなかった…のか?とツッコまれそうなバッグで通勤しています。まだ誰にも何も言われてないけど。めばちこはその報いかもしれない。

 「radiko」タイムフリー機能が使えるようになってから、すっかりエアチェックしたものを聞かなくなっているけど、ぼんやりと耳にしていた「タイムフリーは3時間まで」の意味を、水曜日の朝に思い知ることになった。今週のKBS京都「レコ室からこんにちは」は渕上純子さん選曲なのだけど、火曜日の夜に横になって聞こうと思ったら…1曲終わらないうちに眠ってしまったのだ。オヤスミ3秒。で、朝起きて、聞き直そうと思ったら、「ご利用時間は終了しました」との表示。つまり、タイムフリーで戻れるのは一回だけで、それが3時間以内ということなのだった。3時間以内であれば、聞き直すこともできるけど、過ぎれば終了。そういうことでしたか。知らなかった。
 月曜日に渕上さんがかけてらしたシュリークス「1/2」(73年12月)は面白い曲だった。ジョージ・ハリスン風のスライドギターやシタールっぽいギターと微妙にファンキーなポップソングなのが意外だったけど、道行く人を観察して内心で毒づく歌詞に驚いた。「笑っちゃうねー」、て。前述の理由で、やはりradikoで聞いてしまっていた月曜日の回を聞き直すことはできなかったのだけど、定額制配信にアルバム『イルカのうた』があがっていた。イルカさんがソロでヒットを出してから編まれたベストアルバム。むかしよくレコード店で見かけたものだけど、改めて見て、写真のイルカさんの Tシャツにうっと詰まる。いまでもこれで再発されているようだけど、モザイク無しで大丈夫なのだろうか。いや、その、ネズミさん関係で。

 通勤読書は『僕らが愛した手塚治虫《激動編》』を木曜日まで。わたしが漫画に熱中していた70年代前半の話。ファンの様子が垣間見られるのもクロニクルとして面白い。著者は四つ年上で、当時の印象に頷けるところも違うところもある。わたしが漫画を読み始めたのは、記憶と作品リストを照らし合わせると、1969年くらいからなのだけど、ちょうどその時期は手塚さんの低迷と漫画雑誌の低年齢読者へのシフトと重なっている。にもかかわらず、まったくそうしたことを感じていなかったのだ。「お子さま」だったからだろうな。テレビでは、『ふしぎなメルモ』『海のトリトン』『ワンサくん』『ミクロイドS』と絵柄が変えられているものも含めて、一応手塚関係のものは続いていたから。こづかいで、漫画本を少しずつ買えるようになったこともあり、過去作品を追いかけていたということもある。確かに『ダスト18』は、『どろろ』の逆相のようなもので、救いのない暗い話だったし、『サンダーマスク』の漫画版はコミカルな部分が滑っていると感じていたのだが。救いのない暗い話、とは言え、同時期の漫画版『デビルマン』には熱中していた(こづかいで、自分の裁量で買った最初の漫画本は『デビルマン』第4巻だった)ので、救いがない、暗いという点があかんかった訳でもないか。

 『僕らが愛した手塚治虫《激動編》』で語られている七〇年代前半の話に回顧モードになったからという訳ではないのだけど、続けて読み始めた佐藤卓己編『青年と雑誌の黄金時代 若者はなぜそれを読んでいたのか』は、心情としては、続きのようなものだった。「ロッキング・オン」と「現代思想」が取り上げられているから。手に取ったときは気付かなかったのだけど、「ロッキング・オン」についての章は、『「つながり」の戦後文化誌』が面白かった長崎励朗氏の担当だった。長崎氏の論考なので、主な関心は「つながり」にあり、文中でも「つながり」担当と記されている橘川幸夫さんに独自にインタビューを行い、橘川さんの引退宣言をもって、「ロッキング・オン」が若者文化の中で担ってきた役割から離れたという構成になっている。
 わたしが読み始めた頃は、岩谷宏フォロワーの投稿が一段落したあとだったらしい。創刊四人組の他にもそれぞれの個性を持ったレギュラー執筆者が居た。「ロッキング・オン」を読み始めたのは岩谷さんの文章に関心を持ったからだけど、あれを真似ようという気にはならなかった。感化はひょっとしたらされていたかもしれないけれど、とても「主観を普遍化する」ところまで突き詰められないと感じていた。主観が直ちに普遍という訳ではないことは十代半ばのわたしも理解していた。ただ「語ってよいのだ」という強力な励ましになったし、それで十分だった。実際にそれで突き詰められもしないのに語ってしまうのはおっちょこちょいだとも思っていた。長崎氏の論考は、渋谷陽一さんの「空白」を見出す嗅覚が、岩谷さんの「語り」をとらえた、としている。七〇年代は語りたい何かを持ちながら語ることができない(若)者が居た。その空白を埋めるものとして「ロッキング・オン」は位置づけられていた。そうした(若)者が少なくなったとき、別の空白に向かって方針を転換する。そして、岩谷さんの語りが呼び起こしたものに可能性を感じていた橘川さんが離れる、と整理されている。「空白部分が全部埋まってしまった時、メディアは消滅」するという渋谷さんの1980年当時の発言が引かれている。読者が求めるものを提供しているだけ、とも受け取れるけど、いっときのものであったとしても、生まれたものは役割だけでは済まない。リチャード・ブランソンとも重なる。
 「七〇年代の岩谷宏」語りの喪失については思うところがあるのだけど、それはまた改めて。

 「現代思想」については、いろんな問題をどんな風に考えればよいのかと思案していた身に、いろんな例を見せてくれるものだったけれど、「雑誌」に付いていった訳ではないので、大学院生の教養主義に支えられていたという佐々木基裕氏の論考は背景や顛末について参考になった、くらい。浅田彰『構造と力』をほとんど発売されたのと同時に買ったのは、「現代思想」誌に掲載されていた論文を面白いと思っていたからで、読んでない論文=シングルで出ていないアルバム曲のような感覚だった。ほんとにあんなに話題になって流行るとは思わなかったんです、すみません。
 しかし、地方大学のそんなにできがいい訳ではない学生の分際ではあるけれど、思想界隈はほんとにひとによって見方がちがう。「ゲンロン」が面白いというので買うのを前提で店頭で少し読んでみて、結局買わなかったのも、細かく指摘するのは難しいけれど、同じものを見ているとは思えなかったから。この論考も、教養主義の視点からはそうなんかなと思えど、同時に読まれていたものについて、あまり記されていないことにもやもやした。論文を読むのに、雑誌単位ということはなかったから。

 昼から、菅原町「雲州堂」に。暑いので、北浜から直行です。淺野大志さん企画「淀川越しのキャッチボール」、出演は順に淺野さん、ははの気まぐれ、中村ジョーさん。昼の部なので、昼食をとりながら。「雲州堂」は響きがとてもよいので、淺野さんのアコースティックギターの音も映える。ギターの音と音の間をゆったりと歌がつないでいくようにも聞こえる。ははの気まぐれは、明朗なポップのバンドだけど、楽器間のハーモニーが絶妙で、そこに「居ない」コーラスが自然に聞こえた気になる。時折、混沌としたインストゥルメンタルに突入することもあり、楽曲そのものが要求するものなのかもしれないと思うと、混沌ありきで演奏するのとはまたちがったスリルがある。ハッピーズをまったく通っていないわたしは、中村ジョーさんは「名前をよく見かけるひと」だったのですが、思いの外、「ロックなあんちゃん」でした。GSや「日本語のロック」を思い起こさせるメロディを、声の力でもっていくかんじで。声はいかんともしがたいもので、ソングライターのひとはいかにして自身の声を発見し、シンガー&ソングライターになるのかということを思うのだけど、中村さんも声を発見したひとなのだろうなと思いながら聞いていました。ははの気まぐれとの共演でのいきいきした歌を聞くと、バンドのひとなんやなとも思いつつ。

 終了は15時45分。というか、夜の部のため、16時には撤収せなあかんのやね。淀川の花火大会があったけど、おとなしく北浜から帰ることに。花火大会の最寄駅のひとつ、阪急十三駅でなにかあったみたいで、阪急電車のダイヤグラムは少し乱れていた模様。

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2017 Kijima, Hebon-shiki