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2017年7月23日〜2017年7月29日


7月23日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月23日】
 腰が重かったり、首筋が固かったりで、日時指定のイベントもなく、買い物以外は部屋でゴロゴロ。
7月24日(月)
[一回休み]
7月25日(火)
[一回休み]
7月26日(水)
[一回休み]
7月27日(木)
[一回休み]
7月28日(金) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月28日】
 ようやく腰の痛みが治まってきたけれど、心方面では暗雲がたちこめていて、憂鬱な日が続いている。特別わるいことはないけれど、特別いいこともない。種ともこさんの『バトン』を拾い読みしては、種さんの音楽と、それらを作り出してきた種さんの取り組みと、それらを聞いてきた日々について思い返している間だけが救いかもしれない。

 『バトン』に収録されているインタビューは、ひたすら音楽を作ることについて語られている。私生活については制作に影響した範囲のみで、それを知ることが歌を聞くうえで参考になるということはない。ずっと聞いてきて、語られなくても、作品からうっすらと感じ取ってきたからという面もあるかもしれないけれど、そのことよりも、種さん自身の過去の作品に対する評価に頷くところが多い。同じだ、ということよりも、生み出されるまでの試行錯誤や困難を経て、とにもかくにも聞くことができてよかったという思いで。どの作品も、種さんが求めてそうなったのであり、求め切れなかった部分への無念をしばしば口にしている。
 そう言えば、『O・HA・YO』が出た頃だったと思うけど、たぶん、種さんの音楽とか制作姿勢とかそんなことばかり話題にしていたからだろう、あるとき、女友達が種さんのポートレイトを見て「なによ、可愛いやん」と言ったことがあった。可愛くないとは言うてない、はずだけど。という、あの頃君は若かった話、でした。

 気鬱なので、いつもとちがうことをやってしまいがち。その一、梅田に出るよりはと、火曜日に二駅乗り越して、居住市の中心部に。某レコード店の販促誌を入手して、書店をはしごするも収穫なし。その日に限って、カバンを軽くしようと、「ポメラ」を持っていなかったため、せっかく出たのにどこかで一服するということもなく帰宅。その二、木曜日、乗換駅で、二本ほど待機するかんじだったので、そこで降りて、駅構内のカバン店で、通勤用のカバンを新調。いま使っているのがボロボロになってきていたので探してはいたのだけど、時間や心に余裕があるときは決めかねていた。えいやで選んだけど、通勤用とは程遠いかもしれない。来週月曜日から使用予定。雨雲が迫っていたが、勢いで、そのまま一駅歩いてしまった。雨は夜中に。

 駅のホームで歩きスマホをしているひとにわざとぶつかり、転倒させて怪我を負わせたとして、身近に知り合いが多いひとが逮捕されたというニュース。書かれた本も二冊持っている。アルバムも一枚持っている。見に行ったイベントの出演も何度か見ている。というような位置なので、何をどう書いても、バイアスがかかってしまう、もしくはかかっているように読まれるだろう、とは思う。作品に対するわたしなりの評価も然り。
 歩きスマホは危なっかしい。思わず心配してしまう。のだが、にもかかわらず、当人は呑気でひとの気も知らない。心配が反転して腹が立つ。頼まれもしないのに勝手に心配して逆ぎれしていると言われれば、そうなのだろう。怖い目に合わないと気付かないだろう、となれば、よし、思い知らせたれ。というようなことになる。見過ごすのも、注意するのも、気分悪い。被害者が女性だったので、逆襲されるおそれのない相手に対する卑怯なふるまいという感想もあったけれど、そこはわからない。我が身を振り返れば、無謀な運転をする自転車や自動車に対して、邪魔したろかという気持ちになることはあるから。想像力を欠いていることへの怒りはある。どうやったら、気付かせることができるだろう、と考える。こうした思案も、鬱憤晴らしのためにネタを探して、ここぞとばかりに善意の第三者を装って言い募るひとたちには「何様」ということになるのかもしれない。
 見ず知らずのひとの投稿に強めの口調もしくは構えで批判・非難コメントを付けるのって、歩きスマホしてる危なっかしいひとにわざわざぶつかりに行くのと同じような心持ちなのかもしれない。てなことを言ったら、怪我させるのとはちがうとかそういう話が見ず知らずのひとから来るかもしれないが。

 重ね合わせて社会批評をする必要はないけれど、ほんの少し先しか見えてない、その少し先の向こうに何があるか何が起ころうとしているか気にもとめていない行為が目につく。

 金曜日。例によって、駅の休憩コーナーで、Wi-Fiを通じて、ラジオ関西「夜のピンチヒッター」。「B面最後から二曲目、名曲が多い説!」特集。リクエストしたジョージ・ハリスン "Far East Man" もかけていただいた(一瞬自分でリクエストしたことを忘れて、イントロを聞いたとき、おー、リクエストしてくれたひと、ありがとーという気持ちになってしまった)。好きな曲がほんとうに多い。リクエストする曲を選んでいたときも、まず好きな曲、があって、最後から2曲目だったかな、というものを確かめてピックアップした。最後にオマケ的な曲が入っている場合とか、メドレーになっている場合とか、迷うところもあったけど、番組の1曲目が正にそれで躊躇したビートルズの "The End" だったのが可笑しかった。同じ理由で迷ったウィングスの "Treat Her Gently/Lonely Old People" もかかっていた。よく聞いたレコードはいまとなってはバラして聞いてしまうことも多いけど、たまには「B面ラストから2曲目の曲」として聞かんとな、と思うこと多し。

7月29日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月29日】
 バテと運動のせめぎあい。駅間を歩くのを避けて、堺筋線、長堀鶴見緑地線を乗り継いで、西大橋駅まで。ひさしぶりにアオツキ書房に。「ミツザワ通信」栗鼠・夏号と気になっていた7インチを3枚、ゑでぃまぁこん+高橋幾郎「ストロボ」b/w「交信」、Gofish「肺」b/w「ピアノのまわり」、関根真理「midori」b/w「ao」。それと、中古盤で、ティン・ハット・トリオ "HELIUM"。
 で、バテているので、難波までバスに乗ろうと思ったが、次の便まで10分ほど開いていたので、「運動」しなくてはと歩き出したら、もう。ワキにはさんだタオルハンカチを落としがちな季節を実感。(横断歩道手前でいちど落とした。)

 なにわ筋からまっすぐ南下して、浪速区役所につながる道を東へ。ここらへんが「だだっぴろい」のには理由があると思うけど、また改めて勉強します。倉庫や工場があったところはマンションになり、すると、若い人が増えるからか、ぽつぽつと小奇麗な店を目にするようになった。浪速区役所周辺ですら。というか、「難波ベアーズ」が難波の果てのように感じていたかもしれない。

 「難波ベアーズ」での山本精一+POP鈴木デュオ、佐藤幸雄とわたしたち(佐藤幸雄+POP鈴木デュオ)を聞きに。既に満員でした。物販コーナーになったりする窪みのところに山本さんの「自室」が設えられていて、山本さんはそこで演奏するという趣向。途中から、POP鈴木さんがステージに設置されたドラムセットで加わる。山本さんはエレクトリックギターの弾き語りで、鬱々とした歌と激しい間奏を途切れなく切り替えるのだけど、音響がとても良くて、どちらもクリアに聞こえて、激しい音から歌に戻るときの瞬間にくらくらきてしまった。妙に息詰まる。どちらで解放感が得られるのかはひとそれぞれだと思うけど。POP鈴木さんのドラムは、歌の伴奏ではなく、かといって、混沌としているのでもなく、印をつけるような、歌の表面のリズムではなく、別のものを見ながらリズムを打つ、そんな合奏になっていた。
 佐藤幸雄とわたしたちは、トリオのときに一回だけ聞くことができた。デュオになってからは初めて。それぞれが垂直に立っているかんじは変わらない。ここでも「合わせてる」かんじがほとんどない。おふたりが揃ってベアーズのステージに居るのは、絶望の友以来だそうで、そのあたりの話も少し。あれやこれやは、絶望の友のときに既に演奏していたのか、という発見あり。いまとちがう形だったのだと思うけど。初めて聞く歌も少し。山本精一さんの歌もそうだったけど、ハシゴを外す意志を感じた。ハシゴを外して、聞く者を取り残して、ひとりひとりにする。
 アンコールは三人で、昔、なんでやろ、学校さぼってた訳でもないのによく覚えている昼メロのひとつで、浜田光夫だったか関口宏だったかが帰宅するときに酔っぱらって歌っていた歌を。それにしても、激しい音も静かな音もええかんじで聞こえる演奏会でした。

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2017 Kijima, Hebon-shiki