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2017年7月2日〜2017年7月8日


7月2日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月2日】
 朝、目が覚めたら4時過ぎだった。いつもの日曜日だともう一回寝るところだけど、きょうは、知己のグラフィックデザイナー、yamasinさんが出演されるラジオ番組が4時半からあるので、そのまま起きていることにした。出演されるのは、FM TOKYOの「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」。この番組を聞くのをきっかけに、禁断のradikoプレミアムに加入したのでした。以前から、radikoが東京につながってしまうことはよくあって、その時々で楽しんだり、出会いがあったりしたのだけど、意図的には選べないし、関西の番組を聞こうとして東京につながってしまったりということもあり、選べるのならそれに越したことはない。それに、日曜日の朝の4時半は寝ている可能性も高いので、あとから聞けるのもありがたい。ほんとうはこの話を聞いた先週加入しようとしたのだけど、手続きの途中で初回月無料ということを知り、せこくも1日になるのを待って加入したのである。

 yamasinさんは、sakana『sunday clothes』やラブジョイ『あの場所へ』などのカバーやライヴチラシのデザインを手がけられているひとで、ラブジョイのツアーに同行して大阪に来られたこともあった。番組を担当されている田中美登里さんと脈絡がないはずのライヴでよく顔を合わせたことからやりとりが生まれ、出演することになったのだとか。番組では佐野元春きっかけで編集に興味を持ったことやニューヨークでの黒田征太郎さんとの偶然の出会い、そこから広がっていった音楽関係の仕事について話されていた。ラブジョイとの出会いの曲として、『tone poem archives』から「ゼロ」がかかった。やはり、じわんときます。他に太田惠資さんや吉見征樹さんのマサラ、浜田真理子さん、リュート奏者の高本一郎さんも。高本さんのアルバム、面白そう。

 前倒し進行で家の用事を済ませてから、昼過ぎに外出。西成の立ち呑み屋「難波屋」でのカニコーセン、冬支度のライヴ「ひるひなか、難波屋で」に。「難波屋」にはいちど行ってみたことがあるのだけど、どストレートな立ち呑み屋の佇まいにたじろいでしまい、前まで行って引き返したことがあった。他に用事があったとは言え、チキンも甚だしい。どうも呑まないと怒られそうな気がして。実は奥にライヴスペースがあるのだという。そうだったのか。しかし、それを知らずに踏み込むのはやはりハードルが高かったと自己弁護。

 ライヴは14時から。ライヴスペースからの注文はカウンターとは別料金になっていて、そこにチャージ料が加算されているということなのかな。
 最初はカニコーセン。店とバンドには「さん」付けしない方針だけど、ひとりユニットのときは困る。きょうはおひとりだったけど、夫婦ユニットとのことなので、すみません、バンド名扱いで。ずいぶん前からいろんな知り合いから噂は聞いていて、聞いてみたいと思っていた。いちばん最近では、福岡史朗さんのライヴのときにひさしぶりに遭遇した元同僚も口にしていた。のだけれど、試聴になるのは避けたかったので、機会を待っていました。
 辛辣なことをユーモアを交えて書かれているブログや文章は読んでいる。ステージでは船頭のような笠を被り、サングラスをしているので、年齢不詳なかんじだったけど、着いた時にはリハーサルをされていて、思ったよりも若々しい。ステージではさっそく部下をいびり倒していた国会議員の音声を使うなど、やったらあかんかんじのことをやったり歌にしたり。落語やラジオ番組を模したコーナーが随所にはさまれたり。でも、歌は思いのほか伸びやかでちゃんとしてた。「ちゃんと」てなんやという話ですが。ジョン・レノン風の発音による日本語詞はうまい、と思った。

 冬支度は、パーカッションの渡瀬千尋さんが加わったトリオ編成で。カニコーセンのあとをどう受けたらよいものかという動揺があったようですが、パーカッションが入っていることで演奏は安定していた。しかし。なんだかやはりどことなく品行方正のままではよいのか感があったかもしれない。斎藤さんは靴をぬいで椅子の上に乗ってフルートを吹いたりされていましたが、斎藤さんによる安田さんいじりも、カニコーセンの話題まじりなので、微妙な空気も緩和されていた、というところまで含めて持っていかれていたのか。いや、演奏はとてもよかったのです。ひるひなか、電車の路線も近く、ひっそりとした町にひとが行き交うかんじに溶け込んでいて。アンコールの段になって、渡瀬さんから「変なブレイク」という重要な指摘があったりして。

 終わったのは16時過ぎ。他に寄りたいところもあったけど、音楽を聞くと、聞いているだけではあるけれど、心地よい疲労もあり、各駅停車の電車で遠回りしながら、そのまま帰った。

7月3日(月)
[一回休み]
7月4日(火)
[一回休み]
7月5日(水)
[一回休み]
7月6日(木)
[一回休み]
7月7日(金)
[一回休み]
7月8日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2017年7月8日】
 月曜日(正確には火曜日です、すみません)にアウトプットがあったせいか、本読みが進まず、気分転換に金曜日に通勤文庫に置いてあった1956年に書かれた小説を読んだら、男たちへの復讐心を秘めた主人公のカモになる、あまり歳がちがわない登場人物が「老人」として描かれていて、それは確かにそうなのだが、うなだれました。気をつけようと思います。言い寄られるアテも気配もまったくないけれど。

 仕事では、ひさしぶりに声を荒らげてしまう場面があって、と言っても役割や効果を意識しながらではあったけれど、どのように受け取られるかわからない(からだったのだが)。経緯は詳しくは書かないけれど、「はっきり言わない」「とぼける」「忘れる」といったことをあたりまえのようにされてしまって。やってもーたかなーと思いながら、帰宅して、某星読みのひとのページを読んだら、「隠されたパッション」とあった。当たってるということになるけれど、良いほうに転ぶとは限らんよなぁ。

 金曜日に帰宅すると、郵便物がひとつ。このところ、街中の店に行けてない、プリペイドカードを導入してから交通費にシビアになり、行っても空振りが続いてさらに億劫になっていることから、6月初めくらいにばらばらと発注したものが忘れた頃に届くかんじになっている。届いたのは、ボブ・グリムの "AKASHA"。80年代に入ってから発掘されたモーガンスタジオ制作の録音を集めた "MORGAN BLUE TOWN" に収められた "It Never Stays The Same" で知ったひとだけど、思いがけず、斎藤充正さんの『フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズのすべて』にこのソロアルバムが紹介されていた。斎藤さんに購入先を教えていただいたのだけど、その時点では、本人サイトが落ちていて、途方に暮れてしまった。それから思い出しては、どこかに出ていないか検索をかけていたのだけど、本人サイトが復旧していたことに気付いて、改めて注文した次第。そのために禁断のPayPalアカウントを更新してしまった。
 届いたのはCD-Rに、カラープリンターで出力したとおぼしきブックレットの自主制作盤。歌詞掲載あり。1971年、モーガンスタジオで、同スタジオゆかりのオレンジ・バイシクルのウィル・マローン、スモークのマル・ルーカーと共に制作されている。ブックレットには、A面、B面の区別も書かれているから、発表予定で作られたもののように思える。フェイドインで始まる2曲目のイントロは、1曲目の続きで、ほんとうは続いていたのではないか等、気になるところはあるけれど、コリン・ブランストーンの "ONE YEAR" にも通じるストリングスを配していたりして、力を入れて作られた作品であることがわかる。儚いメロディとCSNY以降の骨太のハーモニーを骨格にしたサウンドが聞ける。"It Never Stays The Same" は、先のオムニバスアルバムとは別バージョン。Youtubeにあげられたオムニバス版に付けられた本人のコメントによると、知らない間にダビングされたものだとか。

 ビデオレコーダーの残り容量が少なくなってきたので、DVDに移すべく夜中に部分消去でCMを切ったり、長い番組を分割したりしていたら、爪と指先を痛めてしまった。編集しながらなので飛ばし飛ばしだけど、ブライアン・ウィルソンやフランク・ザッパのドキュメンタリーをそこそこ見てしまったし。それだけで力尽きてしまい、DVD化はあまり進まなかった。

 休みの日に出かけるときのささやかな楽しみは、駅前の駐輪場の二階に停めること。毎日の通勤のときは一階に停めているのだけれど、二階はガラス張りの天窓があって、停めてある自転車も(土日は特に)まばらなのが気に入っている。

 午後から京都に。梅雨といっても、短期間の豪雨のみで、あまり降られているかんじはないけれど、雨になりそうな雲行きなので、自転車移動は見送り。烏丸で降りて、十字屋に寄り、いまの十字屋ならあるのではないかと思ったアンサンクスの "DIVERSIONS VOL.4: THE SONGS AND POEMS OF MOLLY DRAKE" がしっかり置かれていたので、購入。モリー・ドレイク作品のカバー。ニック・ドレイクの姉で女優のガブリエル・ドレイクが詩の朗読で参加している。

 四条烏丸から地下鉄で北上して、今出川へ。「同志社大学」寒梅館内ギャラリーでの「記憶風景を縫う チリのアルピジェラと災禍の表現」展を見る。1973年9月のクーデター以降の軍事政権下での不自由な暮らしを支援する活動の中で生まれたパッチワークのことだそうで、断水や盗電、警官の横暴など苦しい生活の様子や共同作業、政治犯や行方不明者を生んだ政権への抗議が描かれている。何故刺繍やパッチワークなのか、詳しいことは展覧会では説明がなかったけれど、実用品の技術、生活技術なので、美術の訓練を受けていないひとたちが制作に参加することができ、また伝わっていったように推測している。

 大学内のカフェは開いていたけれど、部外者が利用するのは気が引けてしまい、地下鉄の駅まで戻って、近くで一服。その間にひと雨あったようだ。降りたことのない駅まで乗って、夕方から映画を一本。大阪での上映では見送ったのだけど、ちょうどよい時間だったので。ずいぶん前から制作レポートなどが伝えられていた作品だけど、設定がエクスキューズになっているようなかんじで、特に思うところなし。利用したことのない路線のバスで私鉄沿線に戻り、帰宅。

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2017 Kijima, Hebon-shiki