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2016年7月17日〜2016年7月23日


7月17日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2016年7月17日】
 雨の予報が出ていたけれど、午前中に少し降っただけで、あとはいつ降り出すかわからない、どんよりとした曇り空の一日。昨日、用事をある程度済ませていたし、翌日用の買い物をしなくていいので、ゆっくりはできたのに、起きあがれなかったりして、やっぱりなんだか全体的に弛むだけで、予定していたことしかできない、ぎりぎりなかんじになってしまった。

 かなり前に閉店した駅前のコンビニ跡に先週から動きがあり、通りがかったときに覗いた中が書店だったので、心躍るとともに、近くの小さな書店が打撃を受けることを思い、複雑な気持ちで居たところ、新しい書店の開店ではなく、その小さな書店の移転であったことが判り、がっかりするやら、ほっとするやらでした。がっかりというのは、品揃えに対する期待です。少しは広くなるように思うけど、どうだろう。一駅向こうの書店くらいの品揃えだとありがたいのだけど。

 (また)南森町に。早めに行って、名前をよく見かけていた「LONG WALK COFFEE」に行ってみた。通りに面した大きなガラス窓のある明るい喫茶店だけど、ジャズ喫茶のように大きな音で音楽がかかっている。ユタ・ヒップの前でしばらくのんびり過ごした。このあたりに早めに着いたときは寄ることにしよう。

 「雲州堂」で、「音凪」企画「夏の倉地まつり」二日目、倉地久美夫+内橋和久+外山明トリオ。倉地さんの歌が、ずっと一緒にやっている外山明さんのドラムに加えて、内橋和久さんのギターで奏でられる。内橋さんのギターは、倉地さんの曲のメロディを、細かなところから抽出して、しなやかに支えるように鳴っていた。即興の要素が強いものになるのかなと思っていたのだけど、アレンジが行き届いたものだった。それでいて、外山さんのドラムと同じく、倉地さんの曲の自由を抑えるところがまったくなく。歌は、初めて聞くと思うものも多かった。複数の人が登場するかんじは少なくなっていて、物語よりも、言葉ひとつひとつが入ってくるかんじになってた。
 カバーもいくつか。2016年最初の「at home」は倉地さんによるものとなりました。

7月18日(月)
[一回休み]
7月19日(火)
[一回休み]
7月20日(水)
[一回休み]
7月21日(木)
[一回休み]
7月22日(金)
[一回休み]
7月23日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2016年7月23日】
 きょうも出遅れてしまった。15時を過ぎると、少し遠いところになると、間に合わなくて、遠出は諦めることに。夕方遅く、自転車で近辺を周るも、買おうかなと思っている本や雑誌を見つけることはできず。通勤のための駅近くにある先日移転した書店に初めて入ってみたけど、雑誌は増えているものの、何故か、目当てのものがない。音楽関係にはもともと弱いところではあったけれど。移転とは言っても新装開店なので、ご祝儀に何か買いたいところなのだけど。そこから一駅離れた駅の近くには二軒書店があったのだけど、数年前にできた新しいほうの店は無くなっていた。

 月曜日。伊丹市立美術館での「大原治雄写真展 ブラジルの光、家族の風景」に。ポスターを見かけて、見に行こうかなと思っていたのだけど、会期をすっかり忘れていた。前日に見に行った知り合いの書き込みを見て、あわてて。大原さんは、1927年に移民としてブラジルに渡り、仕事の傍ら、手に入れたカメラで家族や風景を撮影したアマチュア写真家。コンポジション作品もたくさんあり、コンクールに応募し入賞していることから、写真の勉強をしていたことはうかがえるのだけど、家族と景色、景色の中の自分たちを残しておきたいという気持ちが強く感じられた。低い位置から撮った子供たちの表情もいいけど、俯瞰した風景の中にぽつんと置かれた小さな人影が切なかった。告知ポスターと、同じ写真のポストカードを購入。
 ブラジルへの移民と言えば、神戸「ビッグアップル」に早めに着いたとき、近辺をうろうろしていて、移民のための施設だった建物に遭遇した。いまは「海外移住と文化の交流センター」になっている。大原さんは高知出身だし、もしかして、と思ったのだけど、「国立移民収容所」として設立されたのは大原さんたちが移住した翌年とのこと。

 大原さんたちが入植した土地はその後「ロンドリーナ空港」になることが決まり、立ち退くことになる。ということを思いながら、関係ないけど、帰りに伊丹の空港の下を歩いて渡ってみた。歩いて行けるのかどうか知らなかったのだけど、いちど行ってみたいと思っていたので。頭の中で、腹這いになって掘り進むことを思い浮かべていたけど、途中で息絶えてたな、それだと。かなり長い距離だけど、自転車3台、ジョギングのひと1人に追い抜かれたのみ。

 先週今週の通勤読書(帰りの部)は、山崎豊子『仮装集団』。67年刊行の小説で、60年前後が舞台になっている。親の世代の若い頃に重なる。「レクリエーション」がままならなかった頃、「レクリエーション」も職場と密接な関係にあり、音楽を聞くのも、音楽鑑賞団体に加入するのが近道だった。ひとが集まるところには、ひとを集めたいひとたちが食指を伸ばす。楽しみが限られていれば、組織はそこにつけ込むことを考える。そうした動きから距離を置いて、むしろ利用するかたちで企画を実現しようとして最後には追い詰められるプロデューサーを主人公に、音楽を組織化の好都合な餌と考える政党と組織化を防ごうとしてやはり餌をぶらさげる経営者の暗躍を描いている。
 例によって大阪が舞台なので、出てくる風景にはすぐに思い当たる。でも、話しかたには少し違和感が。大企業の社長やジャズを扱う音楽事務所の人間が話すだろうかと思えるようなベタベタな大阪弁が出てきて。石井光三氏の声に変換してしまい、困った。登場人物たちの動機が不可解なままなのも気になるけど。映画化、ドラマ化されたことがないらしいけど、過去を描くのでなければ、餌は何になるだろう。音楽ではないと思う、のだけど。

 いま、なんらかの組織につけ込まれることなく、好きに音楽が聞けるのは「恵まれている」、と思っているので、帰属傾向をことさら避けてしまうのだろうと思う。

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2016 Kijima, Hebon-shiki