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2016年5月29日〜2016年6月4日


5月29日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2016年5月29日】
 昨日は外れた天気予報。きょうは雨のはずだったけど、朝から晴れている。予報では降るのは18時からと。その頃には戻らなくてはならない用事があったので、「ちょうどよい」(何が)と思い、午前中ばたばたと家事を片付けてから、再び枚方へ。「ひらかたパーク」で開催中の「team Lab Islands(チームラボアイランド) 踊る!美術館と、学ぶ!未来の遊園地」に。複数の知り合いが良かったと言っていたので、ノることにした。
 目に見えるものに動きを与えることで、その中に入り込んだり、触れたりする体験を楽しもう、というイベント。入口で一時間待ちと言われたけど、並んだのは30分くらい。前半の美術館のパートでもっとゆっくりすればよかったかな。遊園地はパートは少し気が引けたもので。でも、楽しく過ごしました。

 外に出ると、ぽつぽつ。予報より早い。勢いも、昨日よりきつかった。なんとか逃げ切りました。

5月30日(月)
[一回休み]
5月31日(火)
[一回休み]
6月1日(水)
[一回休み]
6月2日(木)
[一回休み]
6月3日(金)
[一回休み]
6月4日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2016年6月4日】
 『マツコの知らない世界』と『重版出来!』がある火曜日の夜だけは、母親と話をしながらテレビを見ることができる。ん?テレビを見ながら話をすることができる、と言うべきか。早いうちから眠ってしまうこともないし、夜中に目が覚めて再度寝ることもできず朝を迎えることもない。それ以外の曜日は、登場人物に何の共感も抱けない刑事ドラマや問題の中身ではなく芸能人が答えたか答えられなかったかで騒ぐクイズ番組に、見ていればそのうちわかるよと言いたくなる母親の反射的な疑問に答えるのがつらくて、音を傍らで聞いているだけで眠くなってきてしまって。

 そんなかんじで、夜中に目が覚めて、買ったまま聞いていなかったブライアン・イーノの "THE SHIP" を聞いた。途中でうつらうつらしてしまったので、早朝目が覚めてからもういちど聞いた。歌っているのは最後に入っている、ラジオで聞いた "I'm Set Free" だけだと思っていたので、声が全編を通じて聞こえてくることに驚いた。ナレーションでも演劇でもなく、ドキュメンタリーに近い感じで。環境音楽の要領で作られているけれど、聞き流すようにはなっていない。ドラマティックではないけれど、こちらのぼんやりした考えを中断させるようなところがある。
 買ったのは日本盤だけど、聞こえてくる言葉は掲載されていない。プレスリリースからだろうか、元のブックレットにはないイーノさんの談話の訳が掲載されている。タイタニック号とその後に起こった第一次世界大戦がモチーフになっているとある。そこに引き寄せられてか、海や荒野を思い浮かべてしまう。でも、残念なことに、聞こえてくる言葉はブックレットには掲載されていない。言葉の書き取りは欲しかったな。ネットにあがっていないか探してみたけど、見つけられなかった。

 今週の通勤読書は、「雲遊天下」124号の渡部幻さんの連載を読んで読みたくなった『白井佳夫の映画の本』。地元の図書館にはなかったけれど、先週、中津の古本屋で見つけて。「キネマ旬報」での座談会やインタビューといった企画記事を再録し、企画意図を語ることで、「キネマ旬報」編集長時代を振り返り、映画雑誌の編集についての考えを示したもの。映画まで余裕がなくて、「サンテレビ」の午後の映画劇場でしか映画に接していなかったわたしは「キネマ旬報」は読んでいなかったけれど、漫画評論誌「ぱふ」に連載を持たれていて、上の世代からの異論をぶつけてくる「大人」として読んでいた。ここではその前の若き日の試行錯誤や悪戦苦闘が。再録された座談会も当時当初の受け取りかたが伝わってくるもので、楽しかった。

 ツイター上で、サブカル対オタクの話題が出ているけれど、趣味嗜好で連帯を求めたことがなく、オタクやサブカルを自認するひとたちのことは何も知らない。外野なのだなとしみじみ。自分の場合を振り返っても、個別事例にしかならないし。過去を捏造して語るひとがいて、それが腹立つというのはあるけれど、そういう手合いは信用しないし、相手にしないことにとどめる。嘘を証明してあげる労力を思うとたいへんだし、個別事例と趨勢を区別するのもたいへんだから。蔑称であった「オタク」が転化して自称・同化の対象になっているのは知っているけれど、「サブカル」もそうらしいことには少し驚いた。むかし「サブカルが好き」という若い子がいて、ちょっと考えが足りないところがある子だったので、「サブカル」という略称は嘲って使うものだし、そもそも自分が好きなものを「サブ」扱いするのは失礼やでと説教したことがあるけど、そういう子だけではなかったのか、と。そっちのひとたちは自認しないと思ってた。

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2016 Kijima, Hebon-shiki