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2016年1月10日〜2016年1月16日


1月10日(日) 【▼ぐりぐらメモ/2016年1月10日】
 朝の9時半にJR摂津富田駅に集合して、72系統のバスで高槻市の今城塚古墳跡にある「今城塚古代歴史館」へ。10時15分からのハニワづくり体験教室に参加。先着30名、10時からの受付だけど、最寄のバス停で降りる人が自分たちだけだったので、まだ新年早々やしな、と安心してたら、車で続々と参加者が到着。日の当たるところで開館を待っていたのだけど、あわてて並んで。
 粘土を触るのもひさしぶりなので、指導のとおりに作ろう、と思っていたのだけど、特に細かくこうしてください、というものではなかったので、つい勝手なものを。「ムーミン」シリーズのモランに似せたものにしようと思っていたのだけど、鼻の大きさやバランスに確証が持てず、途中で、なんというか富士山のマスコットみたいなかんじになってしまった。うまく焼き上がるとよいのだけど。時間めいっぱい使ってしまうな。

 それから、いったん摂津富田駅に戻って(直通のバスの本数はものすごく少ない)、高槻駅近くの「熱帯食堂」に。メニューが豊富なのだけど、大人数で行くと、いろんなものが食べられるので、うれしい。その後、高槻城跡の公園で日没まで。暖かくて、過ごしやすい一日でした。おとなしく帰宅。

1月11日(月) 【▼ぐりぐらメモ/2016年1月11日】
 午後から出かけるつもりにしていたのだけど、なんだかんだで出遅れているうちに、いろいろ間に合わなくなってしまい、結局、出かけられなかった。出かけたら買おうと思っていたレコードの中に、デヴィッド・ボウイの "★ (Black Star)" もあった。夕方、しばらくPCから離れていて、戻って、点けたら、ボウイの訃報。えっ、と声に出したきり絶句した。と、Twitter上で呟きはしなかったけれど。そのような呟きがあふれているであろう、と思い。再び、PCを離れて、暖房設備のない自室で、シングル "Sue (Or In A Season Of Crime)" b/w "'Tis A Pity She Was A Whore" をかけて、黙祷した。

 シングル "Sue" は両面とも "★" に収められているようだ。それもすぐに買おうと思った理由。A面で共演しているマリア・シュナイダー・オーケストラについては知らなかった。奔流を感じさせながら、ひとつひとつの音が澄んでいる佇まいは、エバーハルト・ヴェーバーを思わせた。詞には、死の匂いがたちこめていた。レントゲンの結果なんて言葉もあった。今にして思えば、だけれど。

 出会いは、"LOW" から。リアルタイムでの「新譜」は時期的にはベスト盤の "ONECHANGESBOWIE" なのだが、ラジオで聞いた記憶がない。中性的な容貌にも躊躇した。映画『地球に落ちて来た男』の公開はまだだった。"LOW" から、と言うのはずるい気がして、気が引ける。そこに、同じ頃読み始めた「ロッキング・オン」誌の岩谷宏さんの文章が加わる。そのようにして、聞き始めた。買わなくなったのは、"LET'S DANCE" から、というのもまたずるい気がする。

1月12日(火)
[一回休み]
1月13日(水)
[一回休み]
1月14日(木)
[一回休み]
1月15日(金)
[一回休み]
1月16日(土) 【▼ぐりぐらメモ/2016年1月16日】
 午後、出かける前に、用事もあり、ささっと本の疎開先にも寄る。「ロッキング・オン」誌の "LOW" と "HEROES" と "LUST FOR LIFE" についての岩谷宏氏の文章と訳詞を読んだ。持ち帰ろうかなと思ったけれど、やめておいた。当時、受けたもの以上のものをいま受けることはないだろうと思うから。最初に手にしたRO誌は1977年10月号で、"LOW" についての記事が掲載されている2月号は、あとから取り寄せた。
 順序で言えば、"LOW" を聞いたあとで、『岩谷宏のロック論集』を書店で見つけて、RO誌はその後。NHK-FM「ヤング・ジョッキー」は聞いていたけど、RO誌のことは知らなかった。番組では触れていなかったのかもしれない。近くの書店に置いていなかったということかもしれない。目にしたのは、月刊化のタイミングではなかったか。
 不思議なことに、『岩谷宏のロック論集』を見つけた小さな店では、RO誌を見かけなかった。その店ではのちに「だっくす」(のちの「ぱふ」)も見つけることになる。お世話になりました。…て、いまでも同じ場所で健在ですが。RO誌を初めて買った駅前の大きめの書店は今はもう無い(駅ビルの中に規模を縮小して移転)。

 デイヴィッド・ボウイ "★ (BLACK STAR)" は店頭では売り切れているという噂もあったので、天神橋筋商店街に直行して、古本屋でも回って、ボウイファンの女の子が出てくる1974年8月初版の官能小説でも探してみようと思ったのだけど、時間の余裕があったので、行くだけ行ってみようと、梅田に。
 件の官能小説について作家や題名を書かないのは、もったいつけてる訳ではなくて、読んだ当時、音楽絡みの抜書きをしただけで、作家や題名をメモしていなかったから。見当はついているけれど、確かめられていないから。読んだときは、名前の誤記に呆れたのだけど、思い返すと、風俗(ネタ)として取り入れたにしては、ピンポイントすぎて、生々しい。「宇宙的な歌」「こんど日本にくる」と書かれた「デビッド・ボーイ」の来日は73年4月。『ポセイドン・アドベンチャー』を映画館に見に行く場面もある。日本での公開は73年3月。官能小説には不必要な合致だから生々しく感じてしまうのだろう。

 "★" は、日本盤だけ並んでいた。というか、店内でがんがんかかっていた。ひとりでじっくり向かいたいと思っていたのに、いかんぞ、聞いてしまう、とあわてて購入することに。途中で、通販で注文しているのに入荷の気配がないヌメロのオムニバスアルバム "OAK RECORDS: NEW YORK NEW YORK" を発見し、やや躊躇したものの、できるだけ店内でかかっている "★" を聞かないようにするため、ひっつかんで、レジへ。他を見てまわる財布の余裕もなくなった。邦楽フロアでかかっていたの、クラウン時代の細野晴臣っぽいと思ったら、70年代の「宝島」を思わせるジャケットが目を引いていたネバー・ヤング・ビーチというバンドの『YASHINOKI HOUSE』でした。

 いつもなら地下鉄を利用するところ、気まぐれで、JR東西線で南森町まで移動。北新地駅の手前に、各地のPRブースがあったのだけど、ひとも居らず、照明も暗く、廃墟状態で妙なかんじでした。滋賀から古い知り合いの便りが届いたこともあって、滋賀県のブースを覗いてみたり。

 天神橋筋商店街の古本屋を見てまわろうかと思って、一軒覗いた時点で、「駒鳥文庫」のことを思い出し、天満宮前に移動。シナリオが掲載されている雑誌を中心に見ていって、「アートシアター」を3冊。139号(1979年11月、『Keiko』)、154号(1983年12月、『廃市』)、162号(1986年10月、『野ゆき山ゆき海べゆき』)。

 「駒鳥文庫」で時報を聞いて、レジで支払いを済ませ、「音凪」へ。「とんちピクルスと佐藤幸雄のふたり会」。とんちピクルスさんのマンスリー企画の一回目に、佐藤さんがゲスト出演。とんちピクルスさんは、たぶん、南陀楼綾繁さんが書いていることで名前を知って、高倉美恵さんが紹介されていた「夢の中で泣いた」を聞いて、いつかよい組み合わせがあれば聞きに行きたいと思っていたのでした。とんちさん、佐藤さんで第一部、休憩後、佐藤さん、とんちさんで第二部。
 とんちピクルスさん、ウクレレだけでなく、カラオケを使ったダブやラップや演劇的な曲もある。カラオケのアレンジが、ざわざわさせられる要素があって、確かにパンク・ニューウェイヴ世代のひとだ、と思った。整合性のあるバンドアレンジの簡略版でも、ポンチャックのようなデフォルメに近い面取版でもなく、音数が少なくて、スカスカでも、パンク後の自己流で望む音を出していた頃の感触があった。いじりかたも絶妙。世間に対して、リスナーに対して、容赦ないような、暖かいような。
 佐藤さんは、とんちさんファンへの挨拶代りのように、ヒット曲メドレーを最初に。それからも、とんちさんの歌を受けて選ばれたところがありました。それは第二部の後半のとんちさんも同様。去年の山本精一さんのときもそうだったけど、二組でやるときに四分割すると、そういうことができるのがいいなと思います。おかしかったのは、佐藤さんの駄洒落小咄ソング。スーパーマーケットで流れたニュースに人々がざわめく歌も。長く親しんでいた名前がよそに行ってしまった、のであれば、これからそっちへ行くのだな、という受け取りかたがあっていい。bikkeさんもそう歌ってたやんか、と改めて思い出したりして。佐藤さんは、活動再開後の改めての問いかけから、そこに必要な言葉と音を置くかんじになってきていることも改めて。問いかけが必要とした長さも、ときに不要なくらい。

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2016 Kijima, Hebon-shiki